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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 23日

観心本尊抄文段 下二一


 次に種脱を(つまび)らかにすとは、此れを三段と為す。初めに略して在末の機縁(きえん)を明かし、次に能説(のうせつ)の教主を明かし、三に所説の法体(ほったい)を明かす。

初めに略して在末の機縁を明かすとは、謂く、在世の機縁は皆是れ本已(ほんい)()(ぜん)の衆生なり。故に(しょ)の十に云く「本已有善には釈迦、小を以て之を(しょう)()す」等云云。(せん)の十に云く「故に知んぬ、今日の逗会(とうえ)(むかし)成就(じょうじゅ)の機に(おもむ)く」等云云。証真云く「経に云く『()の本因縁を以て今法華経を説く』云云。故に知んぬ、()の経は皆往縁の(ため)なり」等云云。

取要抄に云く「仏の在世には人に於ても無智の者(これ)無し」等云云。是れ(すなわ)ち本已有善の故なり。

末法の機縁は皆是れ本未(ほんみ)()(ぜん)の衆生なり。故に(しょ)の十に云く「本未有善、不軽、大を以て而して之を(ごう)(どく)す」等云云。

太田抄に云く「今末法に入つて在世結縁(けちえん)の者は漸漸に衰微(すいび)て権実の二機皆(ことごと)()きぬ。不軽(ふきょう)菩薩、世に出現して(どっ)()()たしむるの時なり」(取意)文。教行証抄唱法華題目抄等、(これ)を略す。

次に能説の教主を明かすとは、(およ)そ熟脱の教主は必ず是れ色相(しきそう)荘厳(しょうごん)尊形(そんぎょう)なり。故に経に云く「(われ)相を以て身を(かざ)り、光明、世間を照す、無量の衆に尊ばれ、(ため)に実相の印を説く」等云云。文の四に云く「身相(しんそう)(へい)(じゃく)にして光色端厳(たんごん)なれば衆の尊ぶ所と()って(すなわ)ち信受すべし」云云。(注:炳着はきらきらとした服を着ること。炳は明らかの意)()の六に云く「(あるい)は恐らくは()せん者の心に軽慢(きょうまん)を生ぜん。(いわ)く、仏の身相()せざれば心に運を受くること(あた)わず。乃至()の故に相好(そうこう)もて自ら()の身を(かざ)る」等云云。当に知るべし、(じゅく)(だつ)の化主は本已(ほんい)()(ぜん)の衆生を()(やく)す。()其の身を厳らずんば、則ち所化(しょけ)の衆生、心に軽慢を生じ、下種の善根を()するの損あり。是の故に其の身を荘厳(しょうごん)して、所説をして心に信受せしむ。宿善を熟脱する故に、熟脱の教主は必ず是れ色相荘厳の形貌(ぎょうみょう)なり。

若し下種の教主、(ほん)()有善の衆生を利益する所以(ゆえん)は逆縁を(おもて)()す。故に外相(げそう)を見て心に軽慢を生ずと(いえど)(さら)に宿善を破するの損なし。而して(かえ)って逆縁を結ぶの益あり。故に其の身を(かざ)らず。故に下種の教主は(ただ)是れ(ぼん)(しん)の当体なり。止観(しかん)第六に云く「和光同塵は結縁(けちえん)の始め、八相成道(じょうどう)は以て其の終りを論ず」等云云。(しか)れば則ち種脱の形貌、文義分明(ふんみょう)なり。本迹の約身約位、之を思うべし。


                 つづく





by johsei1129 | 2015-09-23 16:19 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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