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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 05日

観心本尊抄文段 下一二  本迹の不同は実に天地の如しと雖(いえど)も、若し文底独一の本門・真の事の一念三千に望んで見れば殆ど竹膜を隔つ。


次に正義(しょうぎ)を明かすとは、(いわ)く、今所説の法体(ほったい)を明かすに二意あり。

一には(さき)(すで)弁ぜしが如く、(ただ)ちに迦門に対して以て本門を明かす。所謂(いわゆる)彼は本無(ほんむ)(こん)()の百界千如、此れは本有(ほんぬ)常住(じょうじゅう)念三千なり。故に「所説の法門も(また)天地の如し」と云うなり。

二には重ねて文底に望みて(かえ)って本迹を判ず。謂く、本迹の不同は実に天地の如しと(いえど)も、若し文底独の本門・真の事の念三千に望んで、(かえ)って彼の迹本二門の念三千を見れば(ほとん)ど竹膜を隔つるぞとなり。(たと)えば(ただ)ちに尺を以て丈に望む(とき)は長短(こと)なりと雖も、若し十丈に望んで還って彼の一尺・一文を見れば、則ち(ただ)是れ少分の異なりと成るが如し。(また)二万億仏の時節は久しと雖も、若し大通に望めば(ほとん)ど昨日と()るが如し。又三千塵点は(はる)かと雖も、()し五百塵点に望めば猶(しん)宿(しゅく)と成るが如し。(注:信宿=一夜の宿泊のこと)(げん)の第六、記の第一等、之を思い合すべし。(みょう)(らく)所謂(いわゆる)(およ)そ諸の法相(ほっそう)は所対不同」と、宗祖の所謂所詮(しょせん)所対を見て経経の勝劣(しょうれつ)(わきま)うべきなり」とは是れなり。

(また)文底の大事に望む(とき)は、迹本事理の三千(なお)同じく理の念三千と名づく。

故に血脈抄云く「代応仏のいき()をひかえたる方は理の上の法相(ほっそう)なれば部共に理の念三千」と云云。

又云く「迹門をば()()念三千と名づく、脱益(だっちゃく)の法華は本迹(とも)に迹なり、本門をば事行の一念三千と名づく、下種の法華は(どく)(いち)の本門なり」等云云。

(たと)えば尺と丈とは長短(こと)なりと(いえど)も、若し十丈に望む(とき)は同じく短と名づくるが如し。()し反例せば、妙楽の「第義は理なりと(いえど)も観に望めば事に属す」と云うが如し。本門は事なりと雖も、文底(もんてい)に望むれば理の一念三千に属するなり。故に文底に望めば、迹本事理の三千を(なお)同じく迹門の理の念三千と名づく。(いわん)や今「(ちく)(まく)(へだ)つ」と云う、何の疑滞(ぎたい)あらんや。

問う、()(しか)らば、本迹致と云わんも(まさ)(さまた)無かるべしや。

答う、此の問、恐らくは()なり。(およ)そ本迹の不同は実に天地の如し。(ただ)文底下種の独の本門・真の事の念三千に望むるが故に「竹膜を隔つ」と云うなり。「竹膜を隔つ」と云うと(いえど)も、彼の天地の不同(たちま)ちに(うなが)して竹膜と成るには(あら)ざるなり。彼の二万億仏の如き、()(かん)(たちま)ちに促して始めて昨日と()らん。(ただ)三千塵点の久々(くく)に望むるが故なり。又三千塵点の如き、如何(いかん)ぞ忽ちに促して(なお)信宿と成らん。但五百塵点の遠々(おんおん)に望むるが故なり。故に(たと)い文底に望むと雖も、(なお)本迹致と云うべからず。(いわん)(また)彼の(やから)、文底の大事を知らず、何ぞ本迹一致と云うを得べけんや。国王に望む(とき)は同じく臣と(しょう)すと雖も、(あに)官階に高下なきを得んや。故に国王に望むと雖も、(なお)群臣致と云うべからず。(いか)に況や国王を知らざる者に於てをや。

文に「又迹門並びに前四味」等と云うは、此の下は四に本迹(ほんじゃく)勝劣を明かすなり。文の意に(いわ)く、後の文底に望むれば迹本二門の事理の三千は(ただ)竹膜を隔つれども、迹門・(ぜん)四味(しみ)・無量義・涅槃(ねはん)経等の三説に望むれば、本門は三説の(ほか)の難信難解の(ずい)自意(じい)となり云云。

五には()(どう)始終(しじゅう)の文無きは略せるなり。「三種一例」の相伝、之を思え。之を略する所以(ゆえん)は、迹を以て本に例する故に、後を以て前に例する故に。(いわ)く、後の文に云く「久遠を以て下種と()し、大通・前四味・迹門を(じゅく)と為して、本門に至って等妙に(のぼ)らしむるを脱と為す」等云云。

問う、()(しか)らば(つぶさ)に化導の始終を明かすに、何ぞ本門脱益(だっちゃく)の三段と名づくるや。

答う、本門の言は迹門に対し、脱益の言は文底下種に対す。(いわ)く、迹門に対する時は化導の始終を明かすと(いえど)も、若し文底に望むる時は(ただ)脱益と名づくるなり。

故に下の文に云く「(かれ)は脱()れは種なり。彼は一品(いっぽん)二半、此れは(ただ)題目の五字」等云云。(まさ)に知るべし、今家(しょ)(りゅう)の第二の教相の(しゅ)(じゅく)(だつ)は、若し今家所立の第三の教相(きょうそう)に望むれば、(ただ)脱益と名づくるのみ。

                    つづく

文段下 目次  



by johsei1129 | 2015-09-05 14:52 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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