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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 09月 03日

開目抄愚記 下三十

   
  第三十九段  三類について釈す

一 ()(じゅ)(ほう)(かく)(りん)

  此の下は第二に釈、(また)二あり。初めに略して示し、次に「妙法華経」の下は広く釈す、亦三あり。初めに総じて時節を論じ、次に「第一の有諸」の下は別して三類(さんるい)に配し、三に「無眼」の下は結なり。初めの総じて時節を論ず、亦三有り。初めに諸品を引いて(まさ)しく末法を明かし、次に「天台」の下は像法を(えら)び、三に「此れは教主」の下は仏語の(たが)わざるを明かす。

一 恐怖(くふ)悪世中

  御書一七・九に云く「恐怖(くふ)悪世中の経文は末法の(はじめ)を指すなり」と云云。又云く添品てんぽん法華経に云く恐怖悪世中」と云云。

  今(これ)云云(うんぬん)するなり。

一 (これ)は教主釈尊等

  此の下は三に仏語の(たが)わざるを明かす、亦二あり。初めに正しく明かし、次に「周の第四」の下は例を引く、亦二あり。初めに外を以て内を(きょう)し、次に「されば仏」の下は前を以て後に例す。

一 周の第四昭王の御宇(ぎょう)二十四年等

  (まさ)に「二十六年」に作るべきなり。

  問う、如来(にょらい)生滅(しょうめつ)の日月に多くの異説有り。(しか)るに天下の相伝は、四月八日を仏生(ぶっしょう)()()し、二月十五日を仏滅の日と為す。其の(いわ)如何(いかん)

  答う、現証是れ分明(ふんみょう)なるが故なり。謂く、周書(しゅうしょ)異記(いき)に云く「昭王の二十六年(きのえ)(とら)四月八日、(こう)()池井(ちせい)(はん)(いつ)す等。蘇由(そゆう)云く、大聖人有って西方に(うま)ると」云云。又云く「(ぼく)王の五十三年壬申(みずのえさる)二月十五日、暴風(たちま)ちに(おこ)り、屋を(あば)き木を折る等。扈多(こた)云く、西方の大聖人の終亡の相なり」と云云。

  問うて云く、()る儒生の云く「周書の四月は即ち今の二月なり。(また)彼の二月は即ち今の十二月なり。()の故は(しん)(たん)に正を立つること三代に異なり有り。謂く、()の代には(とら)の月を正月と()し、(いん)の代には(うし)の月を正月と()し、周の代には()の月を正月と為す。(しか)るに仏の生滅は並びに周代に()り。()し周書異記の現証に()らば、応に是れ二月八日を仏生の日と為し、十二月十五日を仏滅の日と()すべし。釈氏(なお)此の事を知らず」等云云。此の義は如何(いかん)

  答う、諸文の中にも異説紛紜(ふんうん)たり。今儒書を引いて略して其の義を示す。書経第四・十四伊訓篇に云く「()元祀(げんし)十有二月」と云云。

  註に云く「()には歳と()い、商には()と曰い、周には年と()うは(いつ)なり。元祀は(たい)(こう)即位の元年なり。十二月とは、商は丑に建つるを以て正と為す。故に十二月を以て正と為すなり。三代に正朔(せいさく)同じからずと(いえど)も、(しか)(みな)寅の月を以て数を起す。(けだ)朝覲(ちょうきん)会同(かいどう)、暦を(わか)ち時を授くるに(すなわ)ち正朔を以て事を行い、紀月の数に至っては則ち皆寅を以て(はじめ)と為すなり」と云云。

  又(いわ)く「詩に曰く、四月()れ夏、六月()(しょ)りと。則ち寅の月より数を()つ、周(いま)(かつ)て改めず」と云云。

  又云く「(しん)()に建つ。(しか)るを史記に()(こう)の三十一年、(あらた)(ろう)を名づけて()(へい)()う。()(ろう)は必ず丑に建つる月なり。(しん)()を以て正と為す。(すなわ)ち臘を三月と為す。十二月と云うは則ち寅の月より数を()つ。秦未だ曽て改めざるなり」と云云。

  又云く「漢の(はじめ)に史氏の書く所は旧例なり。漢、秦の正に()り、亦書して元年冬十月と曰うは、則ち正朔(せいさく)を改めて月数を改めざること亦(すで)に明らかなり」(略抄)と已上。

  又、(そう)景濂(けいれん)(もん)(ずい)に、孔子の生卒(しょうそつ)の歳月を弁じて云く「或人、周の十月は即ち夏の八月とは()なり。三代に建つること異なりと(いえど)も、而も月は則ち未だ曽て改めず。(しから)ざれば則ち春は(なつ)に入り、夏は秋に入り、錯乱(さくらん)して歳を(じょう)ぜず」略抄と已上。

  文理分明(ふんみょう)なること(あたか)日月(にちがつ)の如し。(かれ)(なお)儒書を知らず、(いずく)ぞ仏家を知らんや。故に知んぬ、(いん)の代には(ただ)十二月を正月と名づけ、周の代には十一月を正月と名づけて朝覲(ちょうきん)等の礼法を()(おこな)うのみ。若し月数に至っては(まった)()の代に同じく、寅の月を以て(はじめ)()す。

  詩経の第九・五十九小雅の四月篇に云く「四月()れ夏、六月()く暑有り」と。註に云く「四月、六月も(また)()(せい)を以て之を数う」等云云。

故に周の四月は(すなわ)ち今の四月なり。周の二月も(また)今の二月なり。故に天下相伝の四月八日を仏生日と()し、二月十五日を仏滅日と為す。是れ則ち周書異記の現証に()るが故なり云云。(とう)()二・八、同三十五・三、名義(みょうぎ)三・二十二、随筆の三・四十三、()いて見よ。

  問う、当時の正月は全く夏の代に同じ。是れ(いず)れの代よりするや。

  答う、前漢の第六(こう)()帝の(たい)(しょ)元年より之を改めて今に至るか。

  十八史略の二・三十三に「漢の武帝の(たい)(しょ)元年十一月甲子(きのえね)(さく)(たん)冬至(とうじ)(たい)(しょ)(れき)を作り、正月を以て(とし)(はじめ)と為す」と。註に云く「()(せい)を用うるなり」等云云。

和漢(ごう)(うん)第二・四十五に云く「太初元年宋の暦数、始めて夏正を用う」と云云。

一 ()れば仏等

  付法蔵経の二八、又五・五、同六。

一 六百年の馬鳴(めみょう)・七百年の竜樹(りゅうじゅ)文。

  是れは摩耶(まや)経の説なり。


つづく


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by johsei1129 | 2015-09-03 22:21 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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