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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 12日

「陰徳あれば陽報あり」と、四条金吾の生活指導をなされた書【四条金吾殿御返事】

【四条金吾殿御返事(不孝御書)】
■出筆時期:弘安二年(1279年)四月二十三日 五十八歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は従来「不孝御書」と「陰徳陽報御書」とに分かれていましたが、不孝御書が陰徳陽報御書の前半部分であることが判明、「四条金吾殿御返事」としてまとめられました。尚、全体で12紙のご消息であったと思われますが、第1紙~第9紙の所在は不明です。
本抄は、主君の江間氏からの御勘気を前年に解かれ、所領も再び賜った四条金吾に対し、大聖人がまるで我が子のように「陰徳あれば陽報あり」との古来の格言を引用し、今後の対処について、兄弟・女性達・主君それぞに分けて細々と指導されておられます。

四条金吾は本抄の他、いくつもの消息を大聖人から送られ、法華経信仰への指導と合わせて普段の生活についても指導も受けられておられます。その甲斐もあり、四条金吾は本抄を送られた半年後の十月に、めでたく江馬氏より所領を加増されておられます。
■ご真筆:京都市妙覚寺(第10紙)、京都市妙顕寺(第11.12紙)各所蔵。
「陰徳あれば陽報あり」と、四条金吾の生活指導をなされた書【四条金吾殿御返事】_f0301354_14837.jpg
[御真筆第10紙本文:下記緑字箇所]

[四条金吾殿御返事(不孝御書) 本文]

 なによりも人には不孝が、をそ(恐)ろしき事に候ぞ。との(殿)ゝあに(兄)・をとゝ(弟)は・われと法華経のかたきになりて・とのをはな(離)れぬれば・かれこそ不孝のもの。とのゝみ(身)にはとがなし。をうなるい(女類)どもこそ、とのゝはぐく(育)み給はずば、一定(いちじょう)不孝にならせ給はんずらんとをぼへ候。

 所領もひろくなりて候わば、我がりゃう(領)えも下しなんどして、一身すぐるほど・はぐくませ給へ。さだにも候わば過去の父母定んでまぼ(守)り給ふべし。日蓮がきせい(祈請)も
いよいよ・かない(叶)候べし。

 いかにわるくとも、きかぬやうにてをはすべし。この事をみ(見)候に申すやうに・だにもふ(触)れまわせ給ふならば・なをなをも所領もかさ(重)なり、人の・をぼへもいできたり候べしとをぼへ候。

 さきざき申し候ひしやうに、陰徳あれば陽報ありと申して・皆人は主にうたへ、主もいかんぞ・をぼせしかども、わどの(金吾殿)の正直の心に主の後生をたすけたてまつらむとをもう心がうじゃう(強盛)にして・すねん(数年)を・すぐれば・かかるりしゃう(利生)にもあづからせ給ふぞかし。此は物のはしなり・大果報は又来たるべしとをぼしめせ。
 
 又此の法門の一門・いかなる本意なき事ありとも、みず・きかず・いわずしてむつばせ給へ。大人に・いのりなしまいらせ候べし。上に申す事は私の事にはあらず。外典三千・内典五千の肝心の心をぬきてかきて候。あなかしこ・あなかしこ。恐々謹言。

 卯月二十三日    日蓮花押

 御返事




by johsei1129 | 2019-11-12 21:35 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)


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