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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 10日

但南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ、と説いた【九郎太郎殿御返事】

【九郎太郎殿御返事】英語版
■出筆時期:弘安元年(1278年)十一月一日 五十七歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本消息を送られた九郎太郎は駿河国富士方面の信徒で、南条時光殿の父(故)南条兵衛七郎の近親、あるいは兄弟ではないかと思われます。
 本消息で大聖人は、身延山中ではなかなか手に入らない珍しい芋、栗、はじかみ(生姜)、焼米を供養されたことを「法華経は仏にまさらせ給う法なれば供養せさせ給いて、いかでか今生にも利生にあづかり・後生にも仏にならせ給はざるべき」と、九郎太郎の志を讃えられるとともに「念仏は多けれども仏と成る道にはあらず<中略>但南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ」記し、法華経信仰を貫くよう励まされておられます。 
■ご真筆:山梨県 身延山久遠寺所蔵(1紙)。
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真筆本文箇所:冒頭から~かいをたもちなんどする人はををけれど 迄。
[九郎太郎殿御返事 本文]

 これにつけても・こうえのどの(故上野殿)の事こそ・をもひいでられ候へ。

 いも一駄・くり・やきごめ・はじかみ(生姜)給び候いぬ。さてはふかき山には・いもつくる人もなし。くりもならず・はじかみも・をひず。ましてやきごめ(焼米)みへ候はず。たとえ・くりなりたりとも、さるの・こずへ(梢)か(枯)らす。いえのいもはつくる人なし。たとえつくりたりとも・人にく(憎)みてた(給)び候はず。いかにしてか・かかる・たか(高)き山へは・きたり候べき。

 それ山をみ(見)候へば・たかきよりしだいにしも(下)えくだれり。うみをみ候へば・あそ(浅)きより・しだいにふかし。代をみ候へば三十年・二十年・五年・四三二一・次第にをとろへたり。人の心もかくのごとし。これはよ(世)のすへ(末)になり候へば、山には・まがれるきのみ・とどまり、の(野)には・ひきき・くさのみをひたり。よには・かしこき人はすくなく・はかなきものはをほし。牛馬のちちをしらず・兎羊(とよう)の母をわきまえざるがごとし。
 仏・御入滅ありては二千二百二十余年なり。代すへ(末)になりて智人次第にかくれて山のくだれるがごとく・くさ(草)のひききににたり。念仏を申し・かい(戒)をたもちなんどする人は・ををけれども法華経をたの(恃)む人すくなし。
 星は多けれども大海をてらさず、草は多けれども大内の柱とはならず。念仏は多けれども仏と成る道にはあらず。戒は持てども浄土へまひる種とは成らず。但(ただ)南無妙法蓮華経の七字のみこそ仏になる種には候へ。此れを申せば・人はそね(妬)みて用ひざりしを、故上野殿・信じ給いしによりて仏に成らせ給いぬ。各各は其の末にて此の御志をとげ給うか。竜馬につきぬる・だには千里をと(飛)ぶ。松にかかれる・つた(蘿)は千尋をよづと申すは是か。各各主の御心なり。つちのもちゐ(餅)を仏に供養せし人は王となりき。法華経は仏にまさらせ給う法なれば供養せさせ給いて・いかでか今生にも利生にあづかり、後生にも仏にならせ給はざるべき。
 その上みひん(身貧)にして・げにん(下人)なし。山河わづら(煩)ひあり。たとひ心ざしありとも・あらはしがたきに、いま(今)いろ(色)をあらわさせ給うにしりぬ、をぼろげならぬ事なり。さだめて法華経の十羅刹まほ(守)らせ給いぬらんと・たのもしくこそ候へ。事つくしがたし。恐恐謹言。
 
 弘安元年十一月一日           日 蓮 花 押

 九郎太郎殿御返事




by johsei1129 | 2019-11-10 09:55 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)


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