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日蓮大聖人『御書』解説

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2022年 07月 06日

此の法門は当世日本国に一人も知りて候人なし、ただ日蓮一人計りにて候と説いた【種種物御消息】

【種種物御消息】
■出筆時期:弘安元年(1287年)七月七日 五十七歳御作
■出筆場所:身延山中の草庵にて。
■出筆の経緯:本消息を送られた南条平七郎は駿河国富士方面の信徒で、恐らく南条時光の縁戚と思われます。平七郎は本消息を賜る二年前には[本尊供養御書]を賜っておられます。
大聖人は本書の前段で「今の天台の座主・東寺<中略>法華経を信じ読むに似たれども、其の根本をたづぬれば弘法大師・慈覚大師・智証大師・善導・法然等が弟子なり。源にごりぬれば流(ながれ)きよからず、天くもれば地くらし<中略>日本六十六ケ国の比丘・比丘尼等の善人等、皆無間地獄に堕つべきなり」と断じ、さらに「此の法門は当世日本国に一人も知りて候人なし。ただ日蓮一人計りにて候へば、此れを知つて申さずば日蓮、無間地獄に堕ちて浮かぶ期なかるべし」と説いて法華経信仰を貫くことを諭されておられます。

また後段では当時の身延山中の状況を「雨は・しのをたてて三月におよび、川はまさりて(増水の意)九十日、山くづれ、道塞(ふ)さがり、人も通わず。かつて(食料の意)も絶えて・いのち(命)・かうにて候いつるに、この種々のもの給いて法華経の御飢えをも継ぎ、釈迦仏の御命をも助け参らせ給いぬ」と長雨が三ヶ月も続き厳しい環境の中、種々のご供養をされた平七郎は釈迦仏の御命を助けるのと同様の功徳だと讃えられておられます。
■ご真筆:東京都妙法寺所蔵(末尾1紙)、他2箇所にて断簡所蔵。古写本:日興上人筆全文(富士大石寺蔵)。
此の法門は当世日本国に一人も知りて候人なし、ただ日蓮一人計りにて候と説いた【種種物御消息】_f0301354_21163843.jpg

ご真筆本文箇所:さかひは、山たかく河ふかく~七月七日 日蓮花押 迄。

[種種物御消息 本文]

 しなしな(種種)のもの(物)・をく(送)り給びて法華経にまいらせて候。
 抑(そもそも)日本国の人を皆やしないて候よりも・父母一人やしないて候は功徳まさり候。日本国の皆・人をころして候は七大地獄に堕ち候。父母をころせる人は第八の無間地獄と申す地獄に堕ち候。
 人ありて父母をころし釈迦仏の御身よりち(血)をいだして候人は、父母をころすつみにては無間地獄に堕ちず。仏の御身よりち(血)をいだすつみにて無間地獄に堕ち候なり。又十悪・五逆をつくり、十方・三世の仏の身よりち(血)をいだせる人の法華経の御かたきとなれるは、十悪・五逆・十方の仏の御身より・ちをいだせるつみにては阿鼻地獄へは入る事なし。ただ法華経不信の大罪によりて無間地獄へは堕ち候なり。
 又十悪・五逆を日日につくり、十方の諸仏を月月にはう(謗)ずる人と、十悪・五逆を日日につくらず・十方の諸仏を月月にはう(謗)せず候人、此の二人は善悪はる(遥)かにかわりて候へども、法華経を一字一点も・あひそむき(背き)ぬれば・かならず・おなじやうに無間地獄へ入り候なり。
 しかればいまの代の海人(あま)・山人(かりうど)・日日に魚鹿等をころし、源家・平家等の兵士(つわもの)等のとしどしに合戦をなす人人は、父母をころさねば・よも無間地獄には入り候はじ。便宜(びんぎ)候はば法華経を信じて・たまたま仏になる人も候らん。今の天台の座主・東寺・御室・七大寺の検校・園城寺の長吏等の真言師・並びに禅宗・念仏者・律宗等は、眼前には法華経を信じよむに・に(似)たれども、其の根本をたづぬれば弘法大師・慈覚大師・智証大師・善導・法然等が弟子なり。
 源にごりぬれば流きよ(清)からず、天くもれば地くら(暗)し。父母謀反をおこせば妻子ほろぶ、山くづるれば草木た(倒)ふる・ならひなれば、日本六十六ケ国の比丘・比丘尼等の善人等・皆無間地獄に堕つべきなり。
 されば今の代に地獄に堕つるものは、悪人よりも善人、善人よりも僧尼、僧尼よりも持戒にて智慧かしこき人人の阿鼻地獄へは堕ち候なり。
 此の法門は当世・日本国に一人もし(知)りて候人なし。ただ日蓮一人計りにて候へば、此れを知つて申さずば日蓮・無間地獄に堕ちて・うかぶ期(ご)なかるべし。
 譬へば謀反のものを・しりながら国主へ申さぬとが(失)あり。申せばかたき雨のごとし・風のごとし・むほんのもののごとし・海賊山賊のもののごとし、かたがた・しのびがたき事なり。例せば威音王仏の末の不軽菩薩のごとし。歓喜仏のすえの覚徳比丘のごとし。天台のごとし、伝教のごとし。又かの人人よりも・かたきすぎたり。かの人人は諸人ににくまれたりしかども、いまだ国主にはあだまれず。これは諸人よりは国主にあだ(怨)まるる事・父母のかたきよりも・すぎたるをみよ。
 かかるふしぎの者をふびん(不便)とて御くやう候は、日蓮が過去の父母か、又先世の宿習か、おぼろげの事にはあらじ。其の上・雨ふり・かぜふき・人のせい(制)するにこそ心ざしはあらわれ候へ。
 此れも又かくのごとし。ただ(平)なる時だにも、するが(駿河)と・かい(甲斐)とのさかひ(境)は山たかく・河ふかく・石おほく・みち(路)せば(狭)し。いわうや・たうじ(当時)は、あめ(雨)はしの(篠)をたてて三月におよび、かわ(川)は・まさりて九十日、やまくづれ・みちふさがり・人もかよはず。かつて(糧)も・た(断)えて・いのちか(乞)うにて候いつるに、このすず(種種)のもの給いて法華経の御うえ(飢)をもつぎ、釈迦仏の御いのちをも・たすけまいらせ給いぬ御功徳、ただ・をしはからせ給うべし。くはしくは又又申すべし、恐恐。

 七月七日       日  蓮  花 押




by johsei1129 | 2022-07-06 20:30 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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