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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 08月 22日

観心本尊抄文段 下五  寿量品の儀式を以て「雖脱在現・具騰本種」を思い合わすべし


 問う、(まさ)しく本尊の為体(ていたらく)、二仏並座(びょうざ)、本化・迹化、身子(しんし)目連(もくれん)等、(あに)今日寿量品の儀式に(あら)ずや。

答う、今句寿量品の儀式は文上(だっ)(ちゃく)、迹門の理の念三千の教相の本尊なり。()(いま)遺付(いふ)の本尊は文底下種の本門事の一念三千、観心の本尊なり。(しか)るに本事(すで)()く、()し迹を借らずんば何ぞ()く本を()らん。

故に今日寿量品の儀式を以て、久遠(くおん)元初(がんじょ)自受用(じじゅゆう)相貌(そうみょう)(あらわ)すなり。妙楽の所謂(いわゆる)(すい)(だつ)在現(ざいげん)()(とう)本種(ほんしゅ)是れを思い合すべし。若し(つぶさ)是れを論ぜば施開廃(せかいはい)の相伝あり。 謂く、文上の意は、久遠本果の本より中間(ちゅうげん)今日(こんにち)の迹を()れ、中・今日の迹を開して久遠本果の本を顕す。久遠本果の本を顕し(おわ)んぬれば(さら)句の余法無し。(ただ)是れ久遠本果の為体(ていたらく)念三千の儀式なり。

若し文底の意は、久遠元初の本より本果・中間・今日(こんにち)の迹を垂れ、本果・中間・今日の迹を開して久遠元初の本を(あらわ)す。久遠元初の本を顕し(おわ)んぬれば更に句の余法無し。(ただ)是れ久遠元初の自受用身の当体の相貌(そうみょう)にして真の事の念三千の為体なり。

(たと)えば()(げつ)に准じて天月の相貌を知り、天月を知り(おわ)んぬれば池月の影を(はら)って唯天月を指すが如し。天台の所謂(いわゆる)「下に准じて上を知り、影を撥って天を指す」は是れなり。(しか)るに諸流の(やから)は天月を()らず(ただ)池月を()る。()(かん)ぞ盆に(のぞ)みて天漢(てんかん)を仰がざるや。鳴呼(ああ)聾駭(ろうがい)なり、()(かん)ぞ道を論ぜんや云云。

問う、何ぞ本果を以て(なお)迹に属するや。

答う、若し文底の意は(ただ)久遠元初を以て名づけて本地(ほんち)()す。本果已後(いご)を通じて迹に属するなり。是れ則ち本果の成道に既に四教・四仏の(せん)(じん)不同あるが故なり。文の一・二十一に云く「(ただ)本地の四仏は皆是れ本なり」と云云。(せん)の七十一に云く「(すで)に四義の浅深不同あり。故に知んぬ、不同なるは(さだ)めて迹に属す」等云云。

三に文に随って消釈(しょうしゃく)せば、

文に云く「本()(しゃ)()の上に宝塔(くう)()し」とは「本師の裟婆」は即ち是れ常在(じょうざい)(りょう)鷲山(じゅせん)」なり。妙楽云く「常在の言に()るに即ち自受(じじゅ)用土(ゆうど)に属す」等云云。故に知んぬ、(のう)()の宝塔五百()(じゅん)は即ち自受用身の本有(ほんぬ)の五大を表し、(しょ)()虚空(こくう)は即ち自受用所居の寂光(じゃっこう)を表するなり。

文に云く「塔中(たっちゅう)の妙法蓮華経の左右に釈迦牟(しゃかむ)尼仏(にぶつ)・多宝仏」等とは、忠抄に云く「中央の妙法蓮華経の脇士(きょうじ)は釈迦・多宝なり。釈迦・多宝の脇士は四大菩薩なり。文殊(もんじゅ)弥勒(みろく)等は四大菩薩の眷属(けんぞく)なり」と云云。此の最美(さいび)なり。

問う、仏在世の「塔中の妙法蓮華経」とは、()体何物ぞや。

答う、()れ能表を以て所表を(あらわ)し「塔中の妙法蓮華経」と云うり。是れに三意有り。(いわ)く、無始(むし)(しき)(しん)、境智冥合なり。

一には妙法蓮華経とは、即ち是れ本有(ほんぬ)の五大なり。謂く、今日迹中の五百()(じゅん)の宝塔は(ひそか)本地(ほんち)自受(じじゅ)(ゆう)(しん)の本有の五大を表するなり。自受用身の本有の五大とは(すなわ)是れ妙法蓮華経なり。

故に宗祖云く()とは地水火風空なり乃至(これ)則ち妙法蓮華経の五字なり、此の五字を以て人身の体を造るなり本有(ほんぬ)常住(じょうじゅう)なり本覚(ほんがく)の如来なり」云云。

二には妙法蓮華経とは、即ち是れ十界()()なり。(いわ)く、今日迹中の十界の聖衆は(すなわ)ち本地自受用の念の心法(しょ)()の十界()()の妙法蓮華経を表するなり。

故に宗祖云く「因果()()・不思議の(これ)有り。之を名づけて妙法蓮華と()()の妙法蓮華の法に十界三千の諸法を具足(ぐそく)して(けつ)(げん)無し」等云云。

三には妙法蓮華経とは、即ち是れ境智の二法なり。(いわ)く、十界の聖衆左右に()するは即ち本地難思の境智の妙法蓮華経を表するなり。天台(てんだい)云く「境智和合すれば(すなわ)ち因果あり。照境(しょうきょう)(いま)(きわま)らざるを因と為し(みなもと)(つく)すを果と為す」等云云。(まさ)に知るべし、左右の九界は「照境未窮(みぐ)」の妙因を表し、釈迦・多宝の両仏は即ち「尽源(じんげん)為果(いか)」の妙果を表するなり。

  

                       つづく
文段下 目次



by johsei1129 | 2015-08-22 08:37 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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