人気ブログランキング | 話題のタグを見る

日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2019年 10月 25日

真言僧・強仁上人の法論要求に「書は言を尽さず言は心を尽さず悉悉公場を期す」と応じた【強仁状御返事】

【強仁状御返事】
■出筆時期:建治元年(1275)十二月廿六日 五十四歳 御作
■出筆場所:身延山 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は真言僧・強仁(ごうにん)が、大聖人に法論を求めた勘状を送られた事への返書となっている。
大聖人は強仁の求めに対し「田舎に於て邪正を決せば、暗中に錦を服して遊行し、澗底(かんてい)の長松・匠(たくみ)を知らざるか。兼ねて又定めて喧嘩出来(しゅったい)の基(もとい)なり」と記し、「片田舎で二人だけで論争しても、暗闇の中で錦の衣を見ているようなもので結局判定がつかず。後々の喧嘩の元になる」と婉曲的に断り、「貴坊本意を遂げんと欲せば公家と関東とに奏聞を経て露点を申し下し、是非を糾明せば、上・一人咲(えみ)を含み、下・万民疑ひを散ぜんか」と、公場での対決を提案されておられます。

さらにこれまで一切経を開き見て「自他叛逼の両難」を予言、「身命を仏神の宝前に捨棄して刀剣・武家の責を恐れず、昼は国主に奏し、夜は弟子等に語る」と説き、文末では「書は言を尽さず、言は心を尽さず。悉悉公場を期す」と大聖人の意図を念押しされておられます。

■ご真筆:京都市 妙顕寺所蔵。
真言僧・強仁上人の法論要求に「書は言を尽さず言は心を尽さず悉悉公場を期す」と応じた【強仁状御返事】_f0301354_2049678.jpg

[真筆箇所(7紙8紙)本文:誠又御勘文為体以非為先。~文末迄]
[強仁状御返事 本文]

 強仁上人・十月二十五日の御勘状・同十二月二十六日に到来す。

 此の事・余も年来欝訴(うっそ)する所なり。忽ちに返状を書いて自他の疑冰(ぎひょう)を釈(ひら)かんと欲す。
 但し歎ずるは田舎に於て邪正を決せば、暗中に錦を服して遊行し、澗底の長松・匠を知らざるか。兼ねて又定めて喧嘩出来の基なり。貴坊・本意を遂げんと欲せば公家と関東とに奏聞を経て露点を申し下し、是非を糾明せば・上・一人咲(えみ)を含み、下・万民疑ひを散ぜんか。其の上・大覚世尊は仏法を以て王臣に付属せり。世・出世の邪正を決断せんこと必ず公場なる可きなり。

 就中・当時我が朝の体為(ていたらく)二難を盛んにす。所謂自界叛逆難と他国侵逼難となり。此の大難を以て大蔵経に引き向えて之を見るに、定めて国家と仏法との中に大禍有るか。

 仍つて予、正嘉・文永二箇年の大地震と大長星とに驚いて一切経を開き見るに、此の国の中に前代未起の二難有る可し。所謂自他・叛逼(ほんぴつ)の両難なり。

 是れ併ながら、真言・禅門・念仏・持斎等、権小の邪法を以て法華真実の正法を滅失する故に招き出す所の大災なり。只今他国より我が国を逼(せ)む可き由・兼ねて之を知る故、身命を仏神の宝前に捨棄して刀剣・武家の責めを恐れず、昼は国主に奏し、夜は弟子等に語る。

 然りと雖も真言・禅門・念仏者・律僧等、種種の誑言(おうげん)を構え・重重の讒訴を企つるが故に叙用せられざるの間、処処に於て刀杖を加えられ、両度まで御勘気を蒙る。剰え頭を刎ねんと擬する是の事なり。

 夫れ以(おもんみ)れば月支・漢土の仏法の邪正は且らく之を置く。大日本国・亡国と為る可き由来之を勘うるに、真言宗の元祖たる東寺の弘法・天台山第三の座主慈覚・此の両大師、法華経と大日経との勝劣に迷惑し、日本第一の聖人なる伝教大師の正義を隠没してより已来(このかた)、叡山の諸寺は慈覚の邪義に付き、神護七大寺は弘法の僻見に随う。其れより已来・王臣邪師を仰ぎ、万民僻見に帰す。是くの如き諂曲(てんごく)既に久しく四百余年を経歴し、国漸く衰え・王法も亦尽きんとす。

 彼の月支の弗沙弥多羅(ほっしゃみったら)王の八万四千の寺塔を焚焼し、無量仏子の頚を刎ねし。此の漢土の会昌天子の寺院四千六百余所を滅失し、九国の僧尼還俗せしめたる。此等大悪人為りと雖も・我が朝の大謗法には過ぎず。故に青天は眼を瞋(いか)らして我が国を睨み、黄地は憤(いきどおり)を含んで動(やや)もすれば夭孼(ようげつ)を発す。国主聖主に非れば謂(いわ)れ・之を知らず、諸臣儒家に非れば事・之を勘えず。剰え此の災夭(さいよう)を消さんが為に真言師を渇仰し、大難を郤(しりぞ)けんが為に持斎等を供養す。譬えば火に薪を加え・冰に水を増すが如く、悪法は弥(いよいよ)貴まれ・大難は益々来たる。只今此の国滅亡せんとす。

 予・粗先ず此の子細を勘うるの間・身命を捨棄し国恩を報ぜんとす。而るに愚人の習い、遠きを尊び近きを蔑るか。将又多人を信じて一人を捨つるかの故に終に空しく年月を送る。今・幸いに強仁上人・御勘状を以て日蓮を暁諭(ぎょうゆ)す。然る可くは此の次でに天聴を驚かし奉つて決せん。誠に又御勘文の体為(ていたらく)非を以て先と為す。若し上人黙止して空しく一生を過せば、定めて師檀共に泥梨(ないり)の大苦を招かん。一期の大慢を以て永劫の迷因を殖(う)うること勿れ。速速(はやばや)天奏を経て疾疾(とくとく)対面を遂げ、邪見を翻えし給え。書は言を尽くさず、言は心を尽くさず。悉悉(ことごとく)公場を期す、恐恐謹言。

 十二月廿六日  日 蓮 花 押

 強仁上人座下




by johsei1129 | 2019-10-25 21:20 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)


<< 大聖人が『三大秘法禀承事』を送...      法華経は釈尊一代聖教の大綱であ... >>