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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 08月 04日

観心本尊抄文段 上二三


一 (みゆき)の時は梵天(ぼんてん)左に在り帝釈(たいしゃく)右に()べり

是れ()(かん)第五の文を()ぐるなり。()の五・百十七に云く「如来(みゆき)の時は帝釈(たいしゃく)右に()り、梵天(ぼんてん)左に在り。金剛(こんごう)(さき)に導き、四部(しりえ)に従う」等云云。

(つつし)んで案じて(いわ)く、此の止観の文の梵帝の左右は恐らくは是れ反転せり。(まさ)に「帝釈左に在り、梵天右に在り」と云うべし。是れ(みゆき)の時に約する故なり。

(まさ)此の義を明かさんとするに、(しばら)く両段と()す。初めに行坐の列次を明かし、二に聴法(ちょうほう)の列次を明かさん。初めに行坐の列次を明かすに、初めに文証を引き、次に道理を明かさん。

初めに文証を引くとは、西域(さいいき)六十一に云く「尼拘(にく)()樹林(じゅりん)()()()あり。釈迦如来正覚(しょうがく)を成じ(おわ)って国に(かえ)り、父王に(まみ)えて(ため)に法を説く処なり。乃至(じょう)(ぼん)(のう)、諸の群臣と四十里外に()(とど)め迎え奉る。是の時、如来と大衆と(とも)なり。八金剛周衛(しゅえ)し、四天王は前に導く。帝釈と欲界天と左に(はべ)り、梵天と色界天と右に侍り、諸僧其の(しりえ)に列在す」略抄等云云。

書註の十八・二十一に云く「仏昇(ぶっしょう)(とう)利天(りてん)為母(いも)説法(せっぽう)経に云く『仏摩耶(まや)に語るに生死(しょうじ)の法()あれば必ず()あり。我(いま)(まさ)閻浮提(えんぶだい)下還(げげん)すべし」と。義足経の下巻に云く「是の時、天子有り。三階を化作(けさ)す。(こん)(ごん)瑠璃(るり)なり。仏は(しゅ)()(いただき)より下りて瑠璃階に至り住したまう。梵天(ぼんてん)王及び諸有の色天は(ことごと)く仏の右面より(こん)(かい)(したが)って下り、天王釈及び諸有の欲天は仏の左面より(ごん)(かい)に随って下る」等云云。

  (りん)の十九・七に云く「菩薩処胎経に云く『其の時、八大国王(おのおの)五百張の(はくじょう)を持ち(ことごと)(きん)(かん)(つつ)む。()の時に大梵天王(もろもろ)の梵衆を(ひき)い右面に()って立つ。釈提(しゃくだい)桓因(かんにん)、諸の(とう)()諸天を将い左面に在って立つ」と云云。

西域(さいいき)・二十に云く「伽藍(がらん)(がたわら)()堵波(とば)あり。高さ数百尺、是れ釈迦仏、(むかし)国王と()って菩薩行を修する処なり。遠からずして二の石の卒堵波あり。(おのおの)高さ百尺、右の(かたわら)は梵王の立つ所、左は(すなわ)ち天帝の立つ所なり」云云。又第五・六に云く「(かい)(にち)天王(てんのう)、仲春の月、初一日より珍味を以て諸の沙門に(そな)え、二十一日に至る。王、行宮(あんぐう)より一の金像の高さ三尺に余るを(いだ)し、()するに大象を以てし、張るに(ほうけん)を以てす。(かい)(にち)(おう)帝釈(たいしゃく)の服を為し、(ほう)(がい)()って以て左に(はべ)り、拘摩(くま)()(おう)は梵天の儀を作し、白払(びゃくほつ)()り、而して右に侍り、各五百の象(よろい)(かぶ)って周衝(しゅえ)す」等云云。

今、上来の諸文を以て是れを考うるに、()し行坐の時は右梵(うぼん)()帝宛(たいあたか)日月(にちがつ)の如し。



        つづく
上巻 目次



by johsei1129 | 2015-08-04 22:42 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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