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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 08月 01日

開目抄愚記 下七

第三十一段 広開近顕遠を示す

一 ()の後・仏等

  此の下は(こう)(かい)(ごん)(けん)(のん)の文、亦二と()す。初めに遠きに迷う(いわ)を明かし、次に「然るに善男子」の下は(ごん)を破し(おん)を顕す云云。

一 皆今の釈迦(乃至)(おも)えり等

  問う、若し経文は(ただ)(ごん)(じょう)(しゅう)するの相なり。何ぞ一切(いっさい)の菩薩の(しょ)()()ぐると云い、亦遠きに迷う謂れを明かすと云うや。

  答う、(ただ)近成を知る、故に即ち之に執するなり。近成に執する故に即ち遠本に迷うなり。故に其の言は(こと)なりと(いえど)も、其の義は是れ同じなり。

一 (しか)るに(ぜん)男子(なんし)

  文の九・三十二に云く「『然るに善男子、我実に成仏してより已来(このかた)』の下は、執を破し迷を()ることを明かし、以て久遠の本を(あらわ)す」文。しゅうを破し迷を遣る」とは、此の「然」の字のこころなり。「以て久遠を顕す」とは「我実に成仏して」の文意なり。およそ「然るに」と言うは、上を領し下を生ずるの辞なり。上を領する故に執達しったつと云い、下を生ずる故に破遣はけんと云うなり。し上根利智のやからは、ただ此の「然」の一字を聞くとも、即ちまさに迹に執し本に迷うを破遣し、以て如来の久遠の本をりょうすべきなり。の君子、深く之を思うべし。

一 我実に成仏してより已来(このかた)文。

  言う所の「我」とは、今日の迹仏なり。「実に成仏して」とは、久遠(くおん)の本仏なり。故に迹は即ち是れ本にして開迹(かいしゃく)顕本(けんぽん)の意なり。(げん)(もん)第七・二十六に云く「因果等を明かすに(みな)迹仏に約す。本を()すとは是れなり」と。啓蒙(けいもう)の義、()を尽すに(あら)ざるなり。またまたまさに知るべし、此の文はまさしく本果の三身を顕すなり。しばらく玄文第七本果妙の下の意に准ずれば「我」とはほっしん「仏」とはほうしん「已来」はおうじんなり。是れ即ち文上の寿量品の意なり。若し内証の寿量の顕本けんぽんに約せば、久遠元初の自受用じじゅゆうほうちゅうろんさん無作むささんじんなり。

故に御義口伝の下十に云く「我とは法界(ほうかい)の衆生なり、実とは無作三身の仏なりと定めたり」と云云。

三大秘法抄に此の文を引き、()の一念三千を証す。

御義口伝の下十七に云く「伝教(でんぎょう)云く『一念三千即自受用身・自受用身とは尊形(そんぎょう)()でたる仏と、(しゅっ)尊形(そんぎょう)仏とは無作の三身と云う事なり』」と云云。

学者深く是れを思え、学者深く是れを思え、無作三身とは、即ち是れ末法の法華経の行者(ぎょうじゃ)なり等云云。

一 一言に大虚妄(こもう)なりと・やぶ()るもんなり

  「我実に成仏して」の一言を以て、()(じょう)正覚(しょうがく)の諸文を破るなり。()(じょう)正覚(しょうかく)を破れば四教の果破る。四教の果を破れば四教の因破れぬ。故に()(ぜん)・迹門の十界の因果を()(やぶ)るなり。(つぶさ)上巻の如し。亦二十三・二十二に。

  問う、一流の義に云く、(ただ)()(じょう)の辺を破るのみにて迹門の法体を破らずと、此の義如何(いかん)

  答う、迹門の法体は、諸法実相・一念三千を()でず。(みょう)(らく)の云く「実相は必ず諸法、諸法は必ず十如(じゅうにょ)、十如は必ず十界」等云云。故に知んぬ、十界の因果を打ち破るは、即ち是れ諸法実相・一念三千を打ち破ることを。何ぞ法体(ほったい)を破らずといわんや。(いわん)(また)能説(のうせつ)の教主(すで)に破らる。所説(しょせつ)の法体(いずく)んぞ破られざらんや。唐決上十に云く「仏()し是れ権ならば、所説の法も(また)(まさ)に権なるべし」と云云。国家論六十九勘文抄二十八等に云云。

  問う、又一流の義に云く、今一言を以て迹門(しゃくもん)等を破ることは、是れ()(じょう)昇進(しょうしん)に約す。若し本化の知見に約すれば本迹不二の内証なり云云。此の義如何。

答う、記の九の本二に云く「(しか)も本の弟子は(もと)より近迹(ごんしゃく)を知れり。今の弟子は(なお)遠本(おんぽん)に迷えり」等云云。文の意は本化の菩薩は(ただ)遠本を知るのみに(あら)ず、亦元より近迹を知れり。故に本迹並びに明らかなり。今の弟子は近迹を知らざるのみに(あら)ず、猶(また)遠本に迷えり。故に遠近(おんごん)(とも)に迷えり云云。「天月を()らずして(ただ)()(げつ)()るのみ」とは、今の弟子の所見(しょけん)なり。「本より迹を()るるは月の水に現ずるが如し」とは、(まさ)に本化の知見なるべきなり。故に本化の知見は、本迹並びに明らかにして、天月・水月(とも)に迷わず。何ぞ本迹不二(ふに)の内証といわんや。

つづく


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by johsei1129 | 2015-08-01 12:25 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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