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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 26日

開目抄愚記 下五

第三十段 略開近顕遠を示す

一 仏此の(うたがい)を答えて等

  此の下は次に(まさ)しく説く、亦二あり。初めに(りゃっ)(かい)(ごん)(けん)(のん)、次に「其の後、仏」の下は(こう)(かい)(ごん)(けん)(のん)。初めの文に亦二あり。初めに略開近顕遠、次に「此に弥勒」の下は動執(どうしゅう)生疑(しょうぎ)なり。

一 阿逸(あいっ)()(なん)(だち)

  仏の答の大旨は、涌出(ゆじゅつ)品の中に於ては(ただ)師主の住処を答えて、(いま)因縁(いんねん)の大事を明かさざるなり。今()の中に於ては但師主に答うる文を引くなり。(あるい)は住処の義は自顕すべき故に(しばら)く是れを略するか。

一 (われ)伽耶(がや)(じょう)菩提(ぼだい)樹下(じゅげ)に於て等

  ()如来(にょらい)の密意を尋ぬれば、即ち是れ本地(ほんち)伽耶(がや)なり。(しか)りと(いえど)も、時衆は知らずして(なお)今日の伽耶と(おも)うなり。此の文に(また)相伝有り云云。

一 (しか)して(すなわ)(これ)教化(きょうけ)して初めて道心を(おこ)さしむ等

  問う、地涌(じゆ)の下種は(いず)れの時に()りや。

  答う、記の一の本三十三に云く「地涌は本因果種」と云云。既に(もと)本果()って発心(ほっしん)下種あり。必ず本因在って聞法(もんぼう)下種あらん。此れは是れ台家(たいけ)の意なり。亦当流の相伝有り云云。

一 我久遠より(このかた)

  此の文は正しく略開近顕遠なり。およそ地涌せんがいを本化の菩薩と名づくることは、本地に於て教化したもう菩薩なるが故なり。し其の文拠もんきょを尋ぬれば、即ち今の文是れなり。謂く「我久遠よりこのかた」は即ち是れ本なり。「これの衆を教化せり」とは即ち是れ化なり。故に本化ほんげというなり。又愚案十七二十五に云云。

一 (ここ)弥勒(みろく)等の大菩薩

  此の下は二に動執生疑、亦二あり。初めに疑念、次に「されば弥勒」の下は発問(はつもん)。初めの疑念に亦二あり。初めに(まさ)しく明かし、次に例を引く。

一 大宝坊・白鷺(びゃくろ)()

  大宝坊は大集経の説処なり。大集経第五初に云く「()(とき)()(そん)(ことさら)に欲色二界の中間、大宝坊中の師子座上に()って、諸の大衆に囲繞(いにょう)せられて法を説く」等文。又第一巻に云く「娑婆(しゃば)世界の大宝坊中」等云云。啓蒙(けいもう)四終、見るべし。

  問う、何ぞ大宝坊と名づくるや。

  答う、第一巻に云く「其の坊四匝(しそう)(びゃく)瑠璃樹(るりじゅ)有り」云云。即ち此の意なり。「白鷺(びゃくろ)()」とは是れ般若(はんにゃ)経の四処十六会の中の一処なり。四処とは一に(じゅ)()(せん)、二には(せっ)(たりん)、三には他化(たけ)自在(じざい)天、四には白鷺池なり。大般若経の五百九十三に云く「如是(にょぜ)我聞(がもん)、一時薄伽(ばが)(ぼん)は王舎城の竹林園の中の白鷺池の(ほとり)に住して(だい)苾芻(びつしゅ)(しゅ)千二百五十人と(とも)なりき」等云云。「薄伽梵(ばがぼん)」とは即ち仏の事なり。三字(とも)濁音(だくおん)なり。太平抄二十五。

  問う、(すで)に四処有り。何ぞ別して白鷺(びゃくろ)()()ぐるや。

  答う、是れ四処の終りなるが故なり。(いわん)(また)其の名、(みやび)(たえ)なるが故なり。(いわん)や亦般若(はんにゃ)経を或は白鷺池経とも名づくるが故なり。

一 しかのごとし

  和語記に云く「しかじかとは、これこれと云う意なり」云云。今(いわ)く「しか」は「さ」に切るなり。故に「さのごとし」と云う意か。常に「しかれば」と云い「されば」と云うと同意なり。

               
つづく


by johsei1129 | 2015-07-26 19:14 | 日寛上人 御書文段 | Trackback | Comments(0)


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