【大尼御前御返事】
■出筆時期:弘安三年(西暦1280年)九月二十日 五十九歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄は、大聖人の故郷、安房国東条郷の女性信徒で北条一門の大尼御前に宛てられたご消息文です。大尼御前は同郷ということもあり、大聖人の父母も近しくしていられたと思われます。また東条郷の地頭・東条景信によって、大尼御前の所領が奪われそうになった時、大聖人が取り計らい未然に防いだ経緯があります。その縁もあり古くからの信徒でしたが、強信徒ではなく佐渡流罪が起きると法華経信仰を捨ててしまいます。佐渡流罪が赦免になると再び信仰するようになり、嫁の新尼を通じて御本尊の授与を願うが、大聖人は厳然として「法華経信仰を貫いた新尼御前には下付できるが、一旦退転した大尼御前に下付することは叶わない」と伝えます。本書は後半部分の真筆が残っております。内容は、信仰心が定まらない大尼に対し「獄卒や閻魔王」の事を詳細に記し、「なづき(頭)をわり・みをせめて(身を責めて)・いのりてみ候はん<略>これより後は・のち(来世)の事をよくよく御かため候へ」と厳しく指導されておられます。
■ご真筆: 京都市・頂妙寺(後半箇所)所蔵。
[大尼御前御返事 本文(後半部分)]
ごくそつ・えんま(獄卒・閻魔)王の長(たけ)は十丁ばかり。面はす(朱)をさし・眼は日月のごとく・歯はまんぐわの・ねのやうに・くぶしは大石のごとく・大地は舟を海にうかべたるやうに・うごき、声はらい(雷)のごとく・はたはたと・なりわたらむには・よも南無妙法蓮華経とは・をほせ候はじ。
日蓮が弟子にも・をはせず。よくよく内をしたためて・をほせを・かほり候はん。
なづき(頭脳)をわり・み(身)をせめて・いのりてみ候はん。たださきの・いのりと・をぼしめせ。これより後は・のち(来世)の事をよくよく御かため候へ。恐恐。
九月二十日 日 蓮 花押
大尼御前御返事