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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 07月 06日

亡き母を弔う四条金吾の志を称えた書【四条金吾殿御書】

【四条金吾殿御書】
■出筆時期:文永八年(西暦1271)七月十二日 五十歳御作。
■出筆場所:鎌倉 館にて。
■出筆の経緯:本抄を記した7月12日が母の命日である四条金吾が、追善供養のため白米一斗・油一筒・御布施一貫等々を大聖人にご供養されたことへの返書となっております。
 大聖人は盂蘭盆についての由来を示すとともに、当時の他宗の僧侶の振る舞いに対し「僧の中にも父母師匠の命日をとぶらふ人はまれなり。定めて天の日月・地の地神いかりいきどをり給いて、不孝の者とおもはせ給うらん。形は人にして畜生のごとし、人頭鹿とも申すべきなり」と指弾し、四条金吾の亡き母を弔う志を高く讃歎されておられます。さらに文末では法華経見宝搭品の偈を引いて「此の経は持つこと難し、若し暫くも持つ者は我即ち歓喜す・諸仏も亦然なり、是の如きの人は諸仏の歎めたもう所」と示し、法華経を持ち続ける功徳を示すとともに「信心をふかくとり給うべし」と一途な信仰を貫く金吾を励まされておられます。
■ご真筆: 現存しておりません。

[本文]

 雪のごとく白く候白米一斗・古酒のごとく候油一筒・御布施一貫文、態(わざわざ)使者を以て盆料送り給い候。殊に御文の趣(おもむき)有難く・あはれに覚え候。
 抑(そもそも)盂蘭盆と申すは源(もと)目連尊者の母・青提女(しょうだいにょ)と申す人・慳貪(けんどん)の業によりて五百生・餓鬼道にをち給いて候を目連救ひしより事起こりて候。然りと雖も仏にはなさず。其の故は我が身いまだ法華経の行者ならざる故に母をも仏になす事なし。霊山八箇年の座席にして法華経を持ち、南無妙法蓮華経と唱えて多摩羅跋(たまらばつ)栴檀香仏となり給い、此の時・母も仏になり給う。
 又施餓鬼の事仰せ候。法華経第三に云く「飢えたる国より来たって・忽ちに大王の膳に遇うが如し」云云。此の文は中根の四大声聞・醍醐の珍膳をおとにも・きかざりしが、今経に来たつて始めて醍醐の味をあくまでになめて・昔しう(飢)へたる心を忽ちにやめし事を説き給う文なり。若し爾らば餓鬼供養の時は此の文を誦して南無妙法蓮華経と唱えてとぶらひ給うべく候。
 総じて餓鬼にをいて三十六種類・相わかれて候。其の中に鑊身(かくしん)餓鬼と申すは目と口となき餓鬼にて候。是は何なる修因ぞと申すに、此の世にて夜討・強盗などをなして候によりて候。食吐(じきと)餓鬼と申すは人の口よりはき出す物を食し候、是も修因上の如し、又人の食をうばふに依り候。食水餓鬼と云うは父母孝養のために手向る水などを呑む餓鬼なり。有財(うざい)餓鬼と申すは馬のひづめの水をのむがきなり、是は今生にて財ををしみ・食をかくす故なり。無財がきと申すは生れてより以来(このかた)飲食の名をも・きかざるがきなり。食法がきと申すは出家となりて仏法を弘むる人・我は法を説けば人・尊敬するなんど思ひて名聞名利の心を以て人にすぐれんと思うて今生をわたり、衆生をたすけず、父母をすくふべき心もなき人を食法がきとて法をくらふがきと申すなり。
 当世の僧を見るに人に・かくして我一人ばかり供養をうくる人もあり。是は狗犬(くけん)の僧と涅槃経に見えたり。是は未来には牛頭(ごず)と云う鬼となるべし。又人にしらせて供養をうくるとも、欲心に住して人に施す事なき人もあり。是は未来には馬頭(めず)と云う鬼となり候。又在家の人人も我が父母・地獄・餓鬼・畜生におちて苦患(くげん)をうくるをば・とぶらはずして、我は衣服飲食(おんじき)にあきみち、牛馬眷属・充満して我が心に任せて・たのしむ人をば・いかに父母のうらやましく・恨み給うらん。僧の中にも父母師匠の命日をとぶらふ人は・まれなり。定めて天の日月・地の地神いかり、いきどをり給いて不孝の者とおもはせ給うらん。形は人にして畜生のごとし、人頭鹿とも申すべきなり。
 日蓮此の業障をけしはてて未来は霊山浄土にまいるべしと・おもへば種種の大難・雨のごとくふり雲のごとくに・わき候へども、法華経の御故なれば苦をも苦ともおもはず。かかる日蓮が弟子檀那となり給う人人、殊に今月十二日の妙法聖霊は法華経の行者なり・日蓮が檀那なり。いかでか餓鬼道におち給うべきや。定めて釈迦・多宝仏・十方の諸仏の御宝前にましまさん。是こそ四条金吾殿の母よ・母よと同心に頭をなで悦びほめ給うらめ。あはれ・いみじき子を我はもちたりと釈迦仏と・かたらせ給うらん。
 法華経に云く「若し善男子・善女人有つて・妙法華経の提婆達多品を聞いて浄心に信敬して疑惑を生ぜざらん者は地獄・餓鬼・畜生に堕ちずして十方の仏前に生ぜん。所生の処には常に此の経を聞かん。若し人天の中に生れば勝妙の楽を受け、若し仏前に在らば蓮華より化生せん」と云云。此の経文に善女人と見へたり。妙法聖霊の事にあらずんば誰が事にやあらん。
 又云く「此の経は持つこと難し。若し暫も持つ者は我即ち歓喜す、諸仏も亦然なり。是くの如きの人は諸仏の歎めたもう所」と云云。日蓮讃歎したてまつる事は・もののかずならず、諸仏所歎と見えたり。あらたのもしや・あらたのもしやと、信心をふかくとり給うべし・信心をふかくとり給うべし。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経、恐恐謹言。

七月十二日         日 蓮 花 押

四条金吾殿御返事


【妙法蓮華経 見宝塔品第十一】
 諸善男子 於我滅後 誰能受持 読誦此経
 今於仏前 自説誓言 此経難持 若暫持者
 我即歓喜 諸仏亦然 如是之人 諸仏所歎

 是則勇猛 是則精進 是名持戒 行頭陀者
 則為疾得 無上仏道 能於来世 読持此経
 是真仏子 住淳善地

 [和訳]
 諸々の善男子よ 我(釈尊)が滅後に、誰が能く此経を受持し読誦するか、
 仏の前で自ら誓の言葉を説け。此経は持し難い。若し暫くも持つ者あらば、
 我(釈尊)則ち(歓喜)する。諸仏もまた然るなり。かくの如き人は諸仏の歎(褒める)ずる所なり。
 これ則ち勇猛なり、これ則ち精進なり。此の人は戒を持ち、頭陀を行ずる者と名づけ、
 則ち疾(速やかに)く、無上の仏道を得る。能く来世に於いて此経(法華経)を読み持つならば、
 是れ真の仏子にして、淳善(清純で善き)地に住するなり。




by johsei1129 | 2015-07-06 16:28 | 四条金吾・日眼女 | Trackback | Comments(0)


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