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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 12月 01日

日蓮大聖人が晩年の病状をおして、我が子五郎殿を失った上野殿母御前を激励した書【上野殿母御前御返事】

【上野殿母御前御返事(所労書)】
■出筆時期:弘安四年(西暦1281年)十二月八日 六十歳 御作。
■出筆場所:身延山中 館にて。
■出筆の経緯:本抄は、前年の九月五日に我が子五郎殿(南条時光の弟)を失った上野殿母御前からご供養の品々を送られたことへの返書となっております。本抄は大聖人が御遷化される約十ヶ月前に書かれたおり、「やせやまい」で体が衰えていることを率直に記されているとともに、そのなかで「この事はあまりになげかしく候へば・ふでをとりて候ぞ。これも、よも(日蓮も)・ひさしくもこのよに候はじ。一定(いちじょう)五郎殿にいきあいぬと・をぼへ候。母よりさきに・けさん(見参)し候わば、母のなげき申しつたへ候はん」と記し、もし日蓮が母御前より先にあの世に行き五郎殿に会ったならば、あなたの今の子を思う気持ちを伝えましょうと、励まされております。
■ご真筆:富士大石寺 所蔵

[上野殿母御前御返事(所労書) 本文]

 乃米(しらよね)一だ・聖人(すみざけ)一つつ 二十ひさげか かつかう・ひとかうぶくろ(一紙袋)おくり給び候い了んぬ。
 このところの・やう・せんぜん(前前)に申しふり候いぬ。さては去ぬる文永十一年六月十七日この山に入り候いて今年十二月八日にいたるまで、此の山・出ずる事一歩も候はず。ただし八年が間、やせやまい(病)と申し、とし(齢)と申し、としどし(年年)に身ゆわく・心をぼ(溺)れ候いつるほどに、今年は春より此のやまい・をこりて秋すぎ・冬にいたるまで日日をとろへ、夜夜にまさり候いつるが、この十余日はすでに食も・ほと(殆)をど・とどまりて候上、ゆき(雪)はかさなり・かん(寒)はせめ候。身のひゆる事石のごとし、胸のつめたき事・氷のごとし。しかるに・このさけ(酒)・はたた(温)かに・さしわかして、かつかうを・はたと・くい切りて一度のみて候へば、火を胸に・たくがごとし、ゆ(湯)に入るににたり、あせ(汗)に・あか(垢)あらい・しづくに足をすすぐ。

 此の御志は、いかんがせんと・うれしくをもひ候ところに、両眼より・ひとつのなんだを・うかべて候。
 まことや・まことや、去年(こぞ)の九月五日、こ五郎殿のかくれにしは・いかになりけると・胸うちさわぎて・ゆび(指)ををり・かずへ候へば、すでに二ケ年十六月四百余日にすぎ候が、それには母なれば御をとづれ(音信)や候らむ。いかに・きかせ給はぬやらむ。ふりし雪も又ふれり・ちりし花も又さきて候いき、無常ばかり・またも・かへりきこへ候はざりけるか。あらうらめし・あらうらめし。余所(よそ)にても・よきくわんざ(冠者)かな・よきくわんざかな、玉のやうなる男かな・男かな、いくせ・をやのうれしく・をぼすらむと見候いしに、満月に雲のかかれるが・はれずして山へ入り、さかんなる花のあやなく・かぜ(風)のちらせるがごとしと・あさましくこそをぼへ候へ。

 日蓮は所らう(労)のゆへに、人人の御文(ふみ)の御返事も申さず候いつるが、この事は・あまりになげかしく候へば・ふでをとりて候ぞ。これも・よも・ひさしくも・このよに候はじ。一定(いちじょう)五郎殿にいきあいぬと・をぼへ候。母よりさきに・けさん(見参)し候わば、母のなげき申しつたへ候はん。事事又又申すべし。恐恐謹言。

 十二月八日           日 蓮 花押

 上野殿母御前御返事




by johsei1129 | 2019-12-01 08:26 | 南条時光(上野殿) | Trackback | Comments(0)


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