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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 21日

我弟子等の中にも信心薄淡き者は臨終の時阿鼻獄の相を現ず可しと説いた【顕立正意抄】

【顕立正意抄】
■出筆時期:文永十一年(西暦1274)十二月十五日 五十三歳御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本抄を著した約二か月前の十月五日、大聖人が「立正安国論」で記した予言通り蒙古が壱岐・対馬に来襲、いわゆる「文永の役」が勃発する。この事態を受け大聖人は、あらためて立正安国論の意義を門下の弟子信徒を諭すために本抄をしたためたと思われる。本抄の題号の「顕立正意」とは「立正安国論」の意を顕わす事を意味し、大聖人自らこの題号をつけられておられる。
■ご真筆: 現存していない。古写本:日春筆(沼津市 光長寺所蔵)

[顕立正意抄 本文]

 日蓮・去る正嘉元年太歳丁巳八月二十三日、大地震を見て之を勘え定めて書ける立正安国論に云く「薬師経の七難の内・五難忽ちに起つて二難猶残れり。所以(いわゆる)他国侵逼の難・自界叛逆の難なり。大集経の三災の内、二災早く顕れ一災・未だ起らず。所以兵革(ひょうかく)の災なり。金光明経の内の種種の災過一一起ると雖も・他方の怨賊・国内を侵掠(しんりょう)する此の災、未だ露われず・此の難未だ来たらず。仁王経の七難の内・六難、今盛んにして一難未だ現ぜず。所以(いわゆる)四方より賊来つて国を侵すの難なり。しかのみならず国土乱れん時は先ず鬼神乱る、鬼神乱るる故に万民乱ると。
 今此の文に就いて具(つぶ)さに事の情(こころ)を案ずるに、百鬼早く乱れ・万民多く亡びぬ。先難是れ明らかなり、後災何ぞ疑わん。
 若し残る所の難、悪法の科に依つて並び起り・競い来らば其の時何為(いかんせん)や。帝王は国家を基(もとい)として天下を治む、人臣は田園を領して世上を保つ。而るに他方より賊来たつて此の国を侵逼し、自界叛逆して此の地を掠領(りょうりょう)せば、豈驚かざらんや・豈騒がざらんや。国を失い家を滅せば、何れの所にか世を遁(のが)れん」等云云。已上、立正安国論の言なり。

 今・日蓮重ねて記して云く、大覚世尊記して云く「苦得外道、七日有つて死す可し。死して後、食吐鬼(じきとき)に生れん。苦得外道の言く「七日の内には死す可からず。我・羅漢を得て餓鬼道に生れじと」等云云。瞻婆城(せんばじょう)の長者の婦(つま)懐姙す。六師外道の云く「女子を生まん」仏記して云く「男子を生まん」等云云。仏記して云く「卻(さっ)て後三月あつて我当に般涅般(はつねはん)すべし」等云云。一切の外道云く「是れ妄語なり」等云云。仏の記の如く二月十五日に般涅槃し給う。法華経の第二に云く「舎利弗、汝・未来世に於て無量無辺・不可思議劫を過て乃至当に作仏するを得べし。号(な)をば華光如来と曰わん」等云云。又第三の巻に云く「我が此の弟子・摩訶迦葉、未来世に於て当に三百万億に奉覲(ぶごん)することを得べし。乃至最後身に於て仏と成ることを得ん。名をば光明如来と曰わん」等云云。又第四の巻に云く「又如来滅度の後に、若し人有つて妙法華経の乃至一偈一句を聞いて一念も随喜せん者には我亦阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く」等云云。
 
 此等の経文は仏・未来世の事を記し給う。上に挙ぐる所の苦得外道等の三事、符合せずんば誰か仏語を信ぜん。設い多宝仏・証明を加え、分身の諸仏・長舌を梵天に付くとも信用し難きか。今亦以て是くの如し。設い日蓮・富楼那の弁を得て目連の通を現ずとも、勘うる所当たらずんば誰か之を信ぜん。

 去ぬる文永五年に蒙古国の牒状渡来する所をば朝に賢人有らば之を怪む可し。設い其れを信ぜずとも・去る文永八年九月十二日御勘気を蒙りしの時・吐く所の強言、次の年二月十一日に符合せしむ。情(こころ)有らん者は之を信ず可し。何に況んや今年既に彼の国災兵(さいひょう)の上・二箇国を奪い取る。設い木石(ぼくせき)為りと雖も、設い禽獣(きんじゅう)為りと雖も感ず可く・驚く可きに、偏えに只事に非ず。天魔の国に入つて酔えるが如く・狂えるが如く、歎く可し・哀む可し、恐る可し・厭(いと)う可し。

 又立正安国論に云く「若し執心飜(ひるが)えらずして亦曲意(ごくい)猶存せば、早く有為(うい)の郷(さと)を辞して必ず無間の獄に堕せん」等云云。今符合するを以て未来を案ずるに、日本国の上下・万人、阿鼻大城に堕ちんこと大地を的と為すが如し。此等は且らく之を置く。日蓮が弟子等又此の大難脱れ難きか。

 彼の不軽軽毀の衆は現身に信伏随従の四字を加れども、猶先謗の強きに依つて先ず阿鼻大城に堕して千劫を経歴(きょうりゃく)して大苦悩を受く。今日蓮が弟子等も亦是くの如し。或は信じ・或は伏し・或は随い・或は従う。但だ名のみ之を仮りて心中に染まざる信心薄き者は、設い千劫をば経ずとも或は一無間・或は二無間乃至十百無間、疑ひ無からん者か。是を免れんと欲せば各薬王・楽法(ぎょうぼう)の如く臂(ひじ)を焼き・皮を剥(は)ぎ、雪山国王等の如く身を投げ・心を仕えよ。若し爾らずんば五体を地に投げ、遍身に汗を流せ。若し爾らずんば珍宝を以て仏前に積め。若し爾らずんば奴婢(ぬひ)と為つて持者に奉えよ。若し爾らずんば、等云云。四悉檀を以て時に適(かな)うのみ。
 我弟子等の中にも信心薄淡(うす)き者は臨終の時、阿鼻獄の相を現ず可し。其の時・我を恨む可からず等云云。

 文永十一年太歳甲戌十二月十五日  日蓮之を記す




by johsei1129 | 2019-10-21 17:57 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)


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