日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 04月 22日

富士大石寺の開基大檀那・南条時光との出会いを記した書【南条後家尼御前御返事】

【南条後家尼御前御返事】
■出筆時期:文永十一年(1274年)七月二十六日 五十三歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。
■出筆の経緯:本書は大聖人が身延山中に草庵を設けたことを知った南条後家尼御前(故南条兵衛七郎の妻)が、家督を継いだ当時十五歳の時光に頼んで、ご供養の品々を届けたことへの返書となっております。大聖人は九年前の文永二年三月八日に南条兵衛七郎が亡くなると、鎌倉から駿河上野郷にわざわざ下向し、兵衛七郎の墓に参っておられます。そして当時幼かった時光が成長した姿をみて「すがたのたがわせ給わぬに、御心さひにられける」と記され、姿も心根も父兵衛殿にそっくりで言うことがないと称えられておられます。

さらに文末では「あわれ人はよき子はもつべかりけるものかな」と記され、後家尼に対し貴女は良いお子に恵まれております、と称えられております。
尚、時光は熱原の法難で日興上人とともに弾圧された信徒の農民を外護、大聖人から「上野賢人」の称号を賜り、日興上人が身延を離山したときは領地を提供し、富士大石寺の開基大檀那となっております。
■ご真筆: 常陸太田市 久唱寺(きゅうしょうじ)所蔵。
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[南条後家尼御前御返事 本文]

 鵞目十連・かわのり二帖・しやうかう二十束、給候い畢んぬ。
かまくら(鎌倉)にてかりそめの御事とこそ、をもひまいらせ候いしに、をもひわすれさせ給わざりける事申すばかりなし。こうへのどの(故上野殿)だにもをはせしかば、つねに申しうけ給わりなんと、なげきをもひ候いつるに、をんかたみ(御形見)に御みをわかくして、とどめをかれけるか。すがたのたがわせ給わぬに、御心さひにられける事いうばかりなし。
 法華経にて仏にならせ給いて候とうけ給わりて、御はかにまいりて候いしなり。又この御心ざし申すばかりなし。
今年のけかちにはじめたる山中に、木のもとに、このは(木の葉)うちしきたるやうなるすみかを、もひやらせ給え。
 このほどよみ候御経の一分をことのへ廻向しまいらし候。
あわれ人はよき子はもつべかりけるものかなと、なみだ(涙)かきあえずこそ候いし。

 妙荘厳王は二子にみちびかる。かの王は悪人なり、こうへのどのは善人なり。かれにはにるべくもなし。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。

七月二十六日       日 蓮 花押
御返事


by johsei1129 | 2015-04-22 22:43 | 南条時光(上野殿) | Comments(0)


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