2015年 02月 16日

「恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ」と説いた【下山御消息】六

[下山御消息 本文] その六

 
 然而極楽世界よりはるばると御供し奉りたりしが無量義経の時、仏の阿弥陀経等の四十八願等は未顕真実乃至法華経にて一名阿弥陀と名をあげて、此等の法門は真実ならずと説き給いしかば、実とも覚へざりしに阿弥陀仏正く来りて合点し給いしをうち見て、さては我等が念仏者等を九品の浄土へ来迎の蓮台と合掌の印とは虚しかりけりと聞定めて、さては我等も本土に還りて何かせんとて八万二万の菩薩のうちに入り、或は観音品に遊於娑婆世界と申して此の土の法華経の行者を守護せんとねんごろに申せしかば、日本国より近き一閻浮提の内、南方、補陀落山と申す小所を釈迦仏より給いて宿所と定め給ふ。阿弥陀仏は左右の臣下たる観音勢至に捨てられて、西方世界へは還り給はず、此の世界に留りて法華経の行者を守護せんとありしかば、此の世界の内、欲界第四の兜率天、弥勒菩薩の所領の内、四十九院の一院を給いて阿弥陀院と額を打つておはするとこそうけ給はれ。其の上、阿弥陀経には仏、舎利弗に対して凡夫の往生すべき様を説き給ふ。舎利弗、舎利弗、又舎利弗、と二十余処までいくばくもなき経によび給いしは、かまびすしかりし事ぞかし。

 然れども四紙の一巻が内すべて舎利弗等の諸声聞の往生成仏を許さず、法華経に来りてこそ始て華光如来、光明如来とは記せられ給いしか、一閻浮提第一の大智者たる舎利弗すら浄土の三部経にて往生成仏の跡をけづる。まして末代の牛羊の如くなる男女、彼彼の経経にて生死を離れなんや。此の由を弁へざる末代の学者等、並に法華経を修行する初心の人人、かたじけなく阿弥陀経を読み念仏を申して、或は法華経に鼻を並べ、或は後に此れを読みて法華経の肝心とし、功徳を阿弥陀経等にあつらへて西方へ回向し、往生せんと思ふは、譬へば飛竜が驢馬を乗物とし、師子が野干をたのみたるか、将又日輪出現の後の衆星の光、大雨の盛時の小露なり。故に教大師云く「白牛を賜う朝には三車を用いず。家業を得る夕に何ぞ除糞を須いん」。故に経に云く「正直に方便を捨て但無上道を説く」、又云く「日出でぬれば星隠れ巧を見て拙を知る」と云云。
 法華経出現の後は、已今当の諸経の捨てらるる事は勿論なり。たとひ修行すとも法華経の所従にてこそあるべきに、今の日本国の人人、道綽が未有一人得者、善導が千中無一、慧心が往生要集の序、永観が十因、法然が捨閉閣抛等を堅く信じて、或は法華経を抛ちて一向に念仏を申す者もあり、或は念仏を本として助けに法華経を持つ者もあり、或は弥陀念仏と法華経とを鼻を並べて左右に念じて二行と行ずる者もあり、或は念仏と法華経と一法の二名なりと思いて行ずる者もあり。此れ等は皆教主釈尊の御屋敷の内に居して、師主をば指し置き奉りて、阿弥陀堂を釈迦如来の御所領の内に、国毎に郷毎に家家毎に並べ立て、或は一万、二万或は七万返、或は一生の間一向に修行して主師親をわすれたる、だに不思議なるに、剰へ親父たる教主釈尊の御誕生、御入滅の両日を奪い取りて、十五日は阿弥陀仏の日、八日は薬師仏の日等云云。一仏誕入の両日を東西二仏の死生の日となせり。是豈に不孝の者にあらずや、逆路七逆の者にあらずや。人毎に此の重科有りて、しかも人毎に我が身は科なしとおもへり、無慚無愧の一闡提人なり。

 法華経の第二の巻に主と親と師との三大事を説き給へり、一経の肝心ぞかし。其の経文に云く「今此の三界は皆是れ我有なり、其中の衆生は悉く是れ吾が子なり。而も今此の処は諸の患難多し唯我一人のみ能く救護を為す」等云云。又此の経に背く者を文に説いて云く「復教詔すと雖も而も信受せず、乃至其の人命終して阿鼻獄に入らん」等云云。されば念仏者が本師の導公は、其中衆生の外か唯我一人の経文を破りて千中無一といいし故に、現身に狂人と成りて楊柳に登りて身を投げ、堅土に落ちて死にかねて十四日より二十七日まで十四日が間、顛倒狂死し畢んぬ。又真言宗の元祖、善無畏三蔵、金剛智三蔵、不空三蔵等は親父を兼ねたる教主釈尊、法王を立下て大日他仏をあがめし故に、善無畏三蔵は閻魔王のせめにあづかるのみならず又無間地獄に堕ちぬ。汝等此の事疑あらば眼前に閻魔堂の画を見よ。金剛智、不空の事はしげければかかず。又禅宗の三階信行禅師は、法華経等の一代聖教をば別教と下だす、我が作れる経をば普経と崇重せし故に、四依の大士の如くなりしかども、法華経の持者の優婆夷にせめられてこえを失ひ、現身に大蛇となり数十人の弟子を呑み食う。

  今日本国の人人はたとひ法華経を持ち釈尊を釈尊と崇重し奉るとも、真言宗、禅宗、念仏者をあがむるならば無間地獄はまぬがれがたし。何に況や三宗の者共を日月の如く渇仰し、我が身にも念仏を事とせむ者をや心あらん人人は、念仏、阿弥陀経等をば父母、師、君、宿世の敵よりもいむべきものなり。例せば逆臣が旗をば官兵は指す事なし、寒食の祭には火をいむぞかし。されば古への論師、天親菩薩は、小乗経を舌の上に置かじと誓ひ、賢者たりし吉蔵大師は、法華経をだに読み給はず。此等はもと小乗経を以て大乗経を破失し、法華経を以て天台大師を毀謗し奉りし謗法の重罪を消滅せんがためなり。今日本国の人人は一人もなく不軽軽毀の如く苦岸、勝意等の如く、一国万人、皆無間地獄に堕つべき人人ぞかし。仏の涅槃経に記して、末法には法華経誹謗の者は大地微塵よりもおほかるべしと記し給いし是なり。而に今法華経の行者出現せば一国万人、皆法華経の読誦を止めて、吉蔵大師の天台大師に随うが如く身を肉橋となし、不軽軽毀の還つて不軽菩薩に信伏随従せしが如く仕うるとも、一日二日、一月二月、一年二年、一生二生が間には法華経誹謗の重罪は尚なをし、滅しがたかるべきに、其の義はなくして当世の人人は四衆倶に一慢をおこせり。所謂念仏者は法華経を捨てて念仏を申す、日蓮は法華経を持といへども念仏を持たず、我等は念仏を持ち法華経をも信ず、戒をも持ち一切の善を行ず等云云。此等は野兎が跡を隠し、金鳥が頭を穴に入れ、魯人が孔子をあなづり、善星が仏ををどせしにことならず、鹿馬迷いやすく鷹鳩変じがたき者なり。墓無し墓無し。当時は予が古へ申せし事の漸く合かの故に、心中には如何せんとは思ふらめども、年来あまりに法にすぎてそしり悪口せし事が忽に翻がたくて信ずる由をせず。而も蒙古はつよりゆく、如何せんと宗盛、義朝が様になげくなり。あはれ人は心はあるべきものかな、孔子は九思一言、周公旦は浴する時は三度にぎり、食する時は三度吐給う、賢人は此の如く用意をなすなり。世間の法にもはふにすぎば、あやしめといふぞかし。国を治する人なんどが、人の申せばとて委細にも尋ねずして左右なく科に行はれしは、あはれくやしかるらんに夏の桀王が湯王に責められ、呉王が越王に生けどりにせられし時は、賢者の諌暁を用いざりし事を悔ひ阿闍世王が悪瘡身に出で、他国に襲はれし時は提婆を眼に見じ耳に聞かじと誓い、乃至宗盛がいくさにまけ義経に生けどられて鎌倉に下されて面をさらせし時は、東大寺を焼き払はせ、山王の御輿を射奉りし事を歎きしなり。

 今の世も又一分もたがふべからず、日蓮を賤み諸僧を貴び給う故に、自然に法華経の強敵となり給う事を弁へず。政道に背きて行はるる間、梵釈、日月、四天、竜王等の大怨敵となり給う。法華経守護の釈迦、多宝、十方分身の諸仏、地涌千界、迹化他方、二聖、二天、十羅刹女、鬼子母神、他国の賢王の身に入り代りて、国主を罰し国をほろぼさんとするを知らず。真の天のせめにてだにもあるならば、たとひ鉄囲山を日本国に引回し須弥山を蓋として十方世界の四天王を集めて波際に立て並べてふせがするとも、法華経の敵となり教主釈尊より大事なる行者を法華経の第五の巻を以て日蓮が頭を打ち、十巻共に引き散して散散に〓たりし大禍は、現当二世にのがれがたくこそ候はんずらめ。日本守護の天照太神、正八幡等もいかでか、かかる国をばたすけ給うべき、いそぎいそぎ治罰を加えて自科を脱がれんとこそ、はげみ給うらめをそく科に行う間、日本国の諸神ども、四天大王にいましめられてやあるらん、知り難き事なり。教大師云く「竊に以れば菩薩は国の宝なること法華経に載せ大乗の利他は、摩訶衍の説なり、弥天の七難は大乗経に非ずんば何を以てか除くことを為ん。未然の大災は菩薩僧に非ずんば豈冥滅することを得んや」等云云。

 而るを今大蒙古国を調伏する公家武家の日記を見るに、或は五大尊或は七仏薬師或は仏眼或は金輪等云云。此れ等の小法は大災を消すべしや、還著於本人と成りて国忽に亡びなんとす。或は日吉の社にして法華の護摩を行うといへども、不空三蔵が誤れる法を本として行う間、祈祷の儀にあらず。又今の高僧等は或は東寺の真言、或は天台の真言なり。東寺は弘法大師、天台は慈覚、智証なり。此の三人は上に申すが如く大謗法の人人なり。其れより已外の諸僧等は、或は東大寺の戒壇の小乗の者なり。叡山の円頓戒は又慈覚の謗法に曲げられぬ、彼の円頓戒も迹門の大戒なれば今の時の機にあらず、旁叶うべき事にはあらず。只今国土やぶれなん、後悔さきにたたじ、不便、不便と語り給いしを千万が一を書き付けて参らせ候。

 但し身も下賤に生れ心も愚に候へば、此の事は道理かとは承わり候へども、国主も御用いなきかの故に鎌倉にては如何が候けん、不審に覚え候。返す返すも愚意に存じ候は、これ程の国の大事をばいかに御尋ねもなくして両度の御勘気には行はれけるやらんと聞食しほどかせ給はぬ人人の、或は道理とも或は僻事とも仰せあるべき事とは覚え候はず。又此の身に阿弥陀経を読み候はぬも、併ら御為父母の為にて候。只理不尽に読むべき由を仰せを蒙り候はば、其の時重ねて申すべく候。いかにも聞食さずしてうしろの推義をなさん人人の仰せをば、たとひ身は随う様に候えども心は一向に用いまいらせ候まじ。又恐れにて候へども兼ねてつみしらせまいらせ候。此の御房は唯一人おはします、若しやの御事の候はん時は御後悔や候はんずらん、世間の人人の用いねばとは一旦のをろかの事なり、上の御用あらん時は誰人か用いざるべきや。其の時は又用いたりとも何かせん、人を信じて法を信ぜず、又世間の人人の思いて候は、親には子は是非に随うべしと君臣師弟も此くの如しと、此れ等は外典をも弁えず内典をも知らぬ人人の邪推なり、外典の孝経には子父、臣君諍うべき段もあり。内典には恩を棄て無為に入るは真実に恩を報ずる者なりと仏定め給いぬ。悉達太子は閻浮第一の孝子なり、父の王の命を背きてこそ父母をば引導し給いしか。比干が親父紂王を諌暁して胸をほられてこそ賢人の名をば流せしか。賤み給うとも小法師が諌暁を用ひ給はずば、現当の御歎きなるべし。此れは親の為に読みまいらせ候はぬ、阿弥陀経にて候へばいかにも当時は叶うべしとはおぼへ候はず。恐恐申し上げ候。

建治三年六月 日 僧 日永 (日蓮大聖人代筆)
下山兵庫五郎殿御返事
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by johsei1129 | 2015-02-16 21:20 | 御書十大部(五大部除く) | Comments(0)


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