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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 02月 01日

富士の三衣は華美を許さず 【当家三衣抄】七


 問う、他流の上人皆
(こう)()を著す、是れ平僧に簡異(かんい)せんが為の故なり。中正論第二十に云わく「吾が宗の上人の(しき)()(もく)(らん)(じき)を用う、而るに此の木蘭の皮に香気有り、彼の色に(じゅん)じて之を染む故に亦香衣と名づくるなり、皆此の衣を(ちゃく)す、是れ平僧に簡異する為なり」云云。最も其の()われ有り、何ぞ之を許さざるや。
 答う、是れ(まさ)に平僧に簡異せんとして(かえ)って他宗の住持に(みだ)す、(なん)ぞ之を許す可けんや。応に知るべし、畠山(はたけやま)が白旗には而も(あい)の皮有り、吾が家の平僧には則ち(そで)(うら)無し、(きん)()異なりと雖も(とも)(みだ)るる所無きなり。

問う、他流皆(じき)(とつ)を著す、当家何ぞ之を許さざるや。

答う、(およ)そ直綴とは唐代新呉(しんご)の百丈山()(かい)大智禅師、褊衫(へんざん)裙子(くんず)の上下を(つら)()て始めて直綴と名づく。故に知んぬ、只是れ法服を(ほう)(ごう)す、既に法服を許さず、(なん)ぞ直綴を(ゆる)す可けんや、(いわん)や復由来(ゆらい)謗法の家より出づ、(なん)ぞ之を用う可けんや。

問う、若し爾らば(よこ)()は慈覚より始まる、何ぞ亦之を用うるや。

答う、実には是れ伝教大師の相伝なり。健抄(ごんじょう)四・五十二に云わく「天台宗の裳付(もつけ)(ころも)は慈覚大師より始まるなり、根本は是れ伝教大師の御相伝なり」云云。何ぞ直綴の来由(らいゆ)に同じからんや。故に開山云わく云云。()



註解

○簡異 比べ分けること。

○畠山 鎌倉時代の武将、畠山重忠のこと。勇猛で知られる。彼の旗は先祖代々白色だったが、主君の源頼朝も白色だったため藍の皮をつけて区別したという。

○横裳 素絹の衣のこと。素は粗い意味。



 僧侶の黒衣は謗法、必ず地獄に堕すにつづく

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by johsei1129 | 2015-02-01 17:43 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


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