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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 02月 01日

素絹の服に節度あり 【当家三衣抄】六


三に料簡とは、 問う、唯当流に於て法服七条等を許さざる其の()われ如何(いかん)

答う、凡そ法服とは上を褊袗(へんざん)と曰い、下を裙子(くんず)と曰う。(そもそ)仏弟子は(もと)腰に()を巻き、左の肩に僧祇支(ぞうぎし)()以て三衣(はだぎ)にするなり。僧祇支とは覆膊(ふばく)()と名づけ、亦(えん)(えき)()と名づく。是れ左の肩を(おお)い、及び右の(わき)(おお)う故なり。阿難(あなん)端正なり、人見て皆悦ぶ、仏()肩衣(けんえ)()せしむ、此れ右肩を覆うなり。而るに(こう)()の宮人、僧の一(ひじ)(はだぬぎ)にするを見て以て()しと為さず、便(すなわ)ち之を縫合して以て褊袗(へんざん)と名づく。()云わく「(ひとえ)未だ袖端(しゅうたん)有らざるなり」云云。()の後唐の代に大智(だいち)禅師亦(けい)(ちゅう)を加え(すなわ)褊袗と名づく、是れ本に()って立つる名なり。裙子(くんず)と言うは(いにしえ)に涅槃僧と云う、(もと)(たい)(はん)無し、其の(まさ)に服せんとする時、(きぬ)を集めて(ひだ)と為し、束帯(そくたい)条を(もち)いるなり。今は則ち(ひだ)を畳み、帯を付けるなり。今褊衫(へんざん)裙子(ぐんず)を取って通じて法服と名づくるなり。()くの如き法服七条九条は(すなわ)ち是れ上代高位の法衣にして、末法下位の着する所に非ず、何ぞ之を許す可けんや。孝経に曰わく「先王の法服に非ずんば()えて服せず」云云。註に云わく「法服は法度(はっと)の服なり、先王は礼を制して章服を異にし、以て品秩(ひんちつ)を分かつ、卿に卿の服有り、大夫に大夫の服有り、若し非法の服を服せば(せん)なり」云云。又云わく「(せん)にして貴服を服する、之を僭上(せんじょう)と謂う、僭上を不忠と為す」云云。外典(なお)(しか)り、(いわん)や内典をや。()


註解

○三衣 「さんね」と読む。袈裟のこと。インドにおける仏弟子は腰に裳を巻きつけ、左の肩から右の脇には僧祇支(ぞうぎし)三衣(袈裟た。って僧祇支(ぞうぎし)役割があった

(はだぎ) 肌着

袖端(しゅうたん) (そで)と。それまでの法服は袖がなかった。

(けい)(ちゅう) (えり)(そで)と。意味くわて、名前従来どお褊衫(へんざん)という

(たい)(はん) (はん)たすき味。

法度(はっと) 法律の。

○章服 紋章などのある服。これにより身分の違いを区分けして秩序をたもった。
 ○僭  下の人が分限を超え、上になぞらいおごること。

僭上(せんじょう) 上位であ(おご)聖者であ



 富士の三衣は華美を許さず につづく



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by johsei1129 | 2015-02-01 14:23 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


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