問う、有る人尋ねて云わく「既に本尊を以って中央に安置す、世の帝王の如し、蓮祖・興師を左右に安置す、世の左右の大臣の如し。若し爾らば応に須く蓮祖を左に安んじ、興師を右に安んずべし、是れ則ち左尊右卑の故なり。況や所図の本尊に於て上下自ら明らかなり。謂く、多宝は是れ客仏、上行・無辺行は第一第二なり、故に倶に左に居す、釈尊は是れ主人、浄行・安立行は第三第四なり、故に倶に右に居す、全く世間の如く左尊右卑なり、蓮興両師の左右何ぞ異なるや」云云、此の事如何。
答う、深く所以有り、暁めずんばあるべからず。
応に知るべし、千古より国風自然に同じからず、所謂漢土・日本は天子南面す、故に左は東にして陽、右は西にして陰なり、故に左尊右卑なり。若し月氏の如くんば君父東面す、故に右は南にして陽なり、左は北にして陰なり、故に右尊左卑なり。国風同じからざれば尊卑既に定まる故に、其の処に随って何れの方に向かう時も日本は左を上座と為し、月氏は右を上座と為すなり。本尊の左右亦復爾なり。謂わく、宝塔西に向く故に釈尊は右の上座に居し、多宝は左の下座に居するなり。大衆は東に向く、故に上行・無辺行は右の上座に居し、浄行・安立行は左の下座に居す、是れ霊山の儀式を移す故なり。
末法我等の正行は但妙法五字に限る につづく
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