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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 01月 22日

文底の顕本を「我が内証の寿量品」と名づく 【当流行事抄】寿量品篇十四


次に「後に化他の為」の下は垂迹化他、(また)分かちて二と為す、初めに本果已後、次に「王宮」の下は今日(こんにち)、亦分かちて二と為す。初めに能説の教主、次に「四十余年」の下は所説の法、亦分かちて二と為す。初めに()(ぜん)、次に「其の後」の下は法華経なり、法華の(もん)略なり、然りと雖も既に「種子の理を説き顕わす」と云う故に文底の顕本皎在(こうざい)目前なり、若し上来の旨を得る(とき)此の文意を知らん云云。

当体義抄に云わく「釈尊五百塵点の当初(そのかみ)此の妙法当体の蓮華を証得し、世々(せせ)番々に成道を唱え能証所証の本理を顕わす」云云。此の文略なりと雖も其の(こころ)前に同じ、初めに本地の自行を明かし、次に垂迹化他を明かすなり。(すで)に「能証所証の本理を顕わす」(あに)文底の顕本に非ずや。此の文底の顕本を(また)我が内証の寿量品」と名づくるなり。



 「我が内証の寿量品」とは本因妙の事なり につづく



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by johsei1129 | 2015-01-22 22:00 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


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