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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 01月 18日

日蓮大聖人の垂迹化他を説きつくす 【当流行事抄】寿量品篇十


次に(たとえ)の文に百千枝葉の同じく一根に趣くが如しと云うは、横に十方に(へん)(たて)に三世に(わた)り、微塵(みじん)の衆生を利益したもう、垂迹化他の功皆同じく久遠元初の一仏一法の本地に帰趣(きしゅ)するなり。
 総勘文抄に云わく「釈迦如来五百
塵点(じんてん)当初(そのかみ)凡夫(ぼんぶ)にて御座(おわ)せし時、我が身は地水火風空なりと(しろし)めし、即座に悟りを開きたまいき。後に化他の為に世々(せせ)番々(ばんばん)に出世成道(じょうどう)し、在々処々に八相(はっそう)作仏(さぶつ)す。王宮に誕生し、樹下に成道し、始めて仏に成る様を衆生に(けん)()せしめ、四十余年方便教を(もう)けて衆生を誘引(ゆういん)し、其の後方便の教経を捨てて正直(しょうじき)の妙法蓮華経の五智の如来の種子の理を説き顕わす」等云云。

(つつし)んで此の文を釈するに亦分かちて二と為す。初めに本地の自行を明かし、次に「後に化他の為」の下は垂迹化他を明かすなり。初め本地の自行、其の文少なしと(いえど)も而も義意豊富の故に多義を以って之を解す云云。

一には()わく、是れ久遠元初の自受用身を明かすなり、(まさ)に知るべし、五百塵点は即ち是れ久遠なり、「当初」の二字(あに)元初に非ずや。言う所の「知」とは即ち是れ能称(のうしょう)如々(にょにょ)の智なり、我身等は是れ所称(しょしょう)如々(にょにょ)(きょう)なり、境智相称(あいかな)う、(あに)自受用報身に非ずや。(しょ)の第九に云わく「如来は如実に三界の相を知見す、如々の智、如々の境に(かな)う、此れは是れ報身如来の義なり」等云云。

問う、(しょ)に三界の相を知見すと云うと、今の我が身地水火風と知ると云うと、同じと()んや異と為んや。

答う、其の言異なると雖も其の(こころ)是れ同じ、()わく、三界の五大(とも)に法界なるが故なり、妙楽釈して云わく「(とも)に三界と云う、法界に非ざるなし」云云。当家深秘(しんぴ)の御相伝(御本尊七箇之相承)に云わく「我が身の五大は即ち法界の五大なり、法界の五大即ち我が身の五大なり」云云。

二には謂わく、是れ(ほん)(ごく)(ほっ)(しん)を明かすなり、謂わく、五百塵点の当初の故に本極と云うなり。「知」は謂わく、能如(のうにょ)の智即ち是れ智法身、「我が身」等は所如(しょにょ)の境即ち是れ理法身、境智倶に法身の故に法身と称するなり。玄第七に云わく「本極法身微妙(みみょう)深遠(じんのん)云云。(こん)光明(こうみょう)に云わく「(ゆい)()如々(にょにょ)、如々智」云云、唯有如々は境法身なり、如々智は即ち智法身なり。故に天台の文九・二十一に云わく「法如々の境、法如々の智」云云。玄に微妙深遠と云うは、微妙は総じて法身を(たん)ず、微妙浄法身の如し、深遠は別して境智を(たん)ず。故に妙楽云わく「理深く、時遠し、故に深遠(じんのん)と云う」云云。当に知るべし、玄文に本極法身と云うは即ち是れ久遠元初の自受用身の御事なり、久遠は即ち本、元初は即ち極、自受用は即ち(ほっ)(しん)なるが故なり。

三には()わく、是れ久遠元初の無作三身を明かすなり、久遠元初は前に(じゅん)じて知る可し、無作三身は即ち是れ自受用報身一体三身の徳なり、「知」は謂わく(のう)(じょう)の智、此れ即ち無作の報身なり、「我が身」等は(しょ)(じょう)の境、此れ即ち無作の法身なり、境智合する(とき)必ず大悲有り、大悲は必ず(ゆう)を起こす、起用は即ち是れ無作の応身なり、(たと)えば(かん)(がい)相応せば必ず含蔵(ごんぞう)の用有り、所蔵の物(まさ)に外に(たす)くる()えたるが如し。止観六に云わく「境に()くを法身と()し、智に就くを報身と為し、起用を応身と為す」云云。

又此の三身は即ち三徳三章なり。謂わく、無作の法身は即ち法身の徳、是れ妙体なり。無作の報身は即ち般若(はんにゃ)の徳、是れ妙宗なり。無作の応身は即ち解脱(げだつ)の徳、是れ妙用(みょうゆう)なり。無作三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり、()(こう)良薬(ろうやく)結要(けっちょう)付嘱(ふぞく)、之を思い合わす可し、之を思い合わす可し。

 四には()わく、是れ久遠元初の名字の報身を明かすなり、久遠元初は准説(じゅんせつ)して知る可し、「釈尊凡夫の御時」(あに)名字に非ずや。「知」「我が身」等とは即ち是れ境智和合、(むし)ろ報身に非ずや。若し証文を()わば此の文を()だす可し。


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by johsei1129 | 2015-01-18 20:41 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


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