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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 12月 01日

日蓮大聖人最後のご消息文となった【波木井殿御報】

【波木井殿御報】
■出筆時期:弘安五年(西暦1282年)九月十九日 六十一歳御作
■出筆場所:武蔵野国 池上邸にて。
■出筆の経緯:本抄は身延・草庵の地である波木井の地頭・波木井六朗実長に宛てられた消息で、大聖人の病状が思わしくないため同行していた日興上人が大聖人の口述を代筆されておられます。大聖人は九年間住まわれた身延山中からご病気平癒のため弘安五年九月八日、常陸に湯治に赴くこととなり、同月十八日、無事強信徒の池上宗仲邸に到着したことを伝える書となっております。大聖人は本抄で自身の死期が近いことを悟られ『いづくにて死に候とも、はか(墓)をば・みのぶさわ(身延沢)にせさせ候べく候』と述べられ、御自身の墓は身延に設けることを実長に伝えておられます。
 さらに追記では、せめて「はんぎやう(花押)」を自ら記そうと思われたが、それさえ叶わない病状であることを率直に伝えられております。
 尚、本抄は日興上人への相伝書を除き、建長五年四月二十八日の立宗宣言以来、現在確認できるだけでも五百点以上に及ぶ弟子・信徒へのご消息文のなかで最後の書となっております。
■ご真筆: 身延山久遠寺 曽存(明治八年の大火で焼失)。

[波木井殿御報 本文]
      
 畏(かしこ)み申し候。みち(道)のほど(程)・べち(別)事候はで、いけがみ(池上)まで・つ(著)きて候。みちの間、山と申し・かわ(河)と申し、そこばく大事にて候いけるを、きうだち(公達)にす(守)護せられまいらせ候いて、難もなくこれまでつきて候事・をそれ入り候ながら悦び存じ候。

 さてはやがて・かへ(帰)りまいり候はんずる道にて候へども、所らう(労)のみ(身)にて候へば・不ぢやう(定)なる事も候はんずらん。さりながらも日本国にそこばく(衆多)もてあつかうて候み(身)を・九年まで御きえ(帰依)候いぬる御心ざし・申すばかりなく候へば・いづくにて死に候とも・はか(墓)をば・みのぶさわ(身延沢)にせさせ候べく候。

 又くりかげ(栗鹿毛)の御馬はあまり・をもしろくをぼへ候程に、いつまでも・うし(失)なふまじく候。ひたちのゆ(常陸湯)へひかせ候はんと思い候が、もし人にもぞとられ候はん。又そのほか(其外)いたはしく・をぼへば、ゆ(湯)よりかへり候はんほど・かづさ(上総)のもばら(藻原)殿のもとに・あづけをき・たてまつるべく候に、しらぬとねり(舎人)をつけて候ては・をぼつかなくをぼへ候。まかり・かへ(帰)り候はんまで、此のとねりをつけをき候はんとぞんじ候。そのやうを御ぞんぢ(存知)のために申し候。恐恐謹言。
      
 九月十九日          日  蓮

 進上 波木井殿御報

 所らう(労)のあひだ、はんぎやう(判形)をくはへず候事、恐れ入り候。




by johsei1129 | 2019-12-01 15:40 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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