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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 01月 10日

天月を見ずして但池月を見ることなかれ 【当流行事抄】方便品篇三


問う、寿量品が家の方便品とは其の相如何(いかん)

答う、通じて迹門に於て(おのずか)ら両意有り。
 一には
顕本(けんぽん)()(ぜん)の迹門、是れを(たいげ)の迹門と名づく、即ち是れ本無(ほんむ)(こん)()の法なり。譬えば「不識(ふしき)天月(てんげつ)(たん)(かん)()(げつ)の如し。
 二には顕本
已後(いご)の迹門、是れを体内(たいない)の迹門と名づく、即ち本有(ほんぬ)常住(じょうじゅう)の法と成るなり。例せば「従本(じゅうほん)垂迹(すいじゃく)如月(にょげつ)現水(げんすい)の釈の如し、此の二義、諸文に散在せり云云。今は是れ体内の迹門を読誦(どくじゅ)する故に寿量品が家の方便品と云うなり。

問う、()し所破借文と言わば(まさ)に体外の迹門に約すべし、若し体内の迹門は即ち是れ本門なり、(あに)所破借文と言うことを得べけんや。

答う、古徳(ことく)の釈に云わく「体内の権に非ずんば(いずくん)ぞ実を引くことを得ん」云云、今(また)(また)(しか)なり、故に両義並びに顕本已後に約するなり。
 十章抄に云わく「
止観(しかん)一部は法華経開会(かいえ)の上の建立なり、爾前・外典(げてん)を引くと雖も(しか)も爾前・外典の(こころ)に非ず、文をば()れども義をば(けず)()つるなり」云云。開会の上の所破借文(あたか)も晴天に日輪の赫々(かくかく)たるが如し云云。

問う、若し体内(たいない)の迹門は即ち本有常住の法なり、(なん)ぞ其の義を破せんや。

答う、体内と云うと雖も(なお)是れ迹門なり、是の故に体内の本門に及ばず、例せば十章抄に云うが如し、仮使(たとい)開会を悟れる念仏なりとも(なお)体内の権なり、体内の(じつ)に及ばず云云。
 十法界抄に云わく「本門顕われ
(おわ)れば迹門の仏因(ぶついん)(すなわ)ち本門の仏果となる、故に天月水月(とも)本有(ほんぬ)の法と成り、本迹(とも)に三世常住と顕わるるなり」云云。
 当に知るべし、三世常住の水月は三世常住の天月に及ばず
(いずくん)ぞ破せざるを得んや。一致(いっち)門流此の義を知らず、私情に曲会(こくえ)()()を荘厳するなり。

問う、在々(ざいざい)処々(しょしょ)に破する所の迹門と所破の為に読む所の迹門と正しく()の不同如何(いかん)

答う、在々処々に破する所の迹門は是れ体外(たいげ)の迹門にして天台()()の迹なり。若し所破の為に()む所の迹門は是れ体内の迹門にして予が誦む所の迹なり。

問う、往古(おうこ)の難に云わく「若し所破の為ならば何ぞ()(ぜん)を読まざらんや」云云、此の難如何。

答う、此の難(はなは)だ非なり、是れ三時の弘経に(くら)く、四重の興廃(こうはい)(わきま)えざる故なり、()わく、天台は像法迹門の導師、故に(ただ)爾前を破して(もっぱ)ら迹門を弘む。吾が祖は末法本門の導師、故に迹門を破して専ら本門を弘む。是れ則ち像末適時(ちゃくじ)()(りゅう)なり。(いわん)爾前に(おい)て更に一念三千の文無し、何ぞ借用すべけんや。

問う、顕本已後(なん)ぞ其の文を()や。

答う、玄文第九に云わく「諸迹(ことごと)く本より()る、(かえ)って迹を借りて本を顕わす」云云、即ち此の文の(こころ)なり。

  教の浅深を知らざれば理の浅深を知る者なし につづく

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by johsei1129 | 2015-01-10 21:36 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


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