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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 01月 10日

方便品読誦は「所破」と「借文」同時一体なり 【当流行事抄】方便品篇二


  第一 方便品篇


問う、(およ)そ当流の(こころ)は一代経の中には(ただ)法華経、法華経の中には但本門寿量品を()って(もち)いて所依(しょえ)()し、(もっぱ)ら迹門無得道の旨を談ず、何ぞ(また)方便品を読誦(どくじゅ)し以って助行とするや。

答う、(ただ)是れ寿量品が家の方便品なり。宗祖の所謂()予が読む所の迹門」とは是れなり。予が読む所の迹門に(また)両意を含む。所謂一には所破(しょは)の為、二には(しゃく)(もん)の為なり。故に開山上人曰わく「一に所破の為とは方便称読(しょうどく)の元意は(ただ)是れ牒破(ちょうは)の一段なり。二に借文の為とは迹の文証を借りて本の実相を顕わすなり」等云云。

(つつし)んで解して()わく、文々句々(おのずか)ら両辺有り、所謂(いわゆる)文・義なり。文は是れ(のう)(せん)、義は是れ所詮(しょせん)、故に読誦(どくじゅ)(おい)て亦両意を成す。是れ則ち所詮の辺に約せば所破の(ため)、能詮の辺に約せば借文の為なり。故に所破の為とは(すなわ)ち迹門所詮の義を破するなり。借文の為とは迹門能詮の文を借りて本門の()を顕わすなり。

(しばら)(ゆい)(ぶつ)与仏(よぶつ)乃能(ないのう)究尽(くじん)の文の如き、此の一文を(じゅ)するに即ち両意を含む。

一には所破の為とは、立正観抄に云わく「経に唯仏与仏乃能究尽とは迹門の仏、当分(とうぶん)に究尽する辺を説くなり」等云云。

二には借文の為とは、十章抄に云わく「一念三千の出処は(りゃっ)(かい)(さん)の十如実相なれども義分(ぎぶん)は本門に限る」等云云。

一文(すで)(しか)り、余は皆准説(じゅんせつ)せよ。両意有りと(いえど)も是れ前後に非ず、是れ別体に非ず、(ただ)是れ一法の両義にして明闇(めいあん)来去(らいこ)同時なるが如きなり。



    天月を見ずして但池月を見ることなかれ につづく



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by johsei1129 | 2015-01-10 17:45 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


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