問う、本果の報身は久遠元初に属すとせんや、応仏昇進に属すとせんや。
答う、是れ応仏昇進の自受用身なり。何となれば本果の説法に即ち四教五味有り、全く今日の化儀に同じきなり。籤の七に云わく「久遠に亦四教有り」云云。又云わく「昔日已に已今を得」云云。文句第一に云わく「唯本地の四仏皆是れ本なり」云云。故に知んぬ、三蔵の応仏次第に昇進して自受用を顕わす、豈今日に異なる可けんや。
問う、若し爾らば血脈抄の中に那ぞ勝劣を判じて「今日の本果は従因至果なれば本の本果に劣る」と云うや。
答う、此れは是れ同じく応仏昇進と雖も若し所顕に従えば則ち亦勝劣有るなり。謂わく、今日の本果は迹の因門を開して本の果門を顕わす、故に従因至果なり。本の本果は迹の本果を開して本の本因を顕わす故に従果向因なり。勝劣を言わば今日の本果は迹の因門を開して本の果門を顕わす、所顕の本果を若し本因に望むれば仍本の上の迹なる故に今日の本果は劣るなり。若し本の本果は迹の本果を開して本の本因を顕わす。所顕の本因は独一の本門の故に本の本果は勝るるなり。所顕の法門、勝劣殊なりと雖も今日の本果は同じく是れ色相荘厳の応仏昇進の自受用身なり。
問う、久遠元初の自受用身と応仏昇進の自受用身と其の異なり如何。
答う、多異有りと雖も今一二を説かん。一には謂わく本地と垂迹、二には謂わく自行と化他、三には謂わく名字凡身と色相荘厳、四には謂わく人法体一と人法勝劣、五には謂わく下種の教主と脱益の化主云云。
日興上人、同じく造仏を制止し、妙法五字を勧む につづく
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