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日蓮大聖人『御書』解説

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2015年 01月 03日

「生身の仏像」とは日蓮大聖人なり 【末法相応抄下】四 


問う、又云わく、宝軽法重抄二十七に云わく「一閻浮提の内に法華経寿量品の釈迦仏の形を書き作れる堂(いま)だ候わず」云云、此の文如何(いかん)

答う、此れは是れ寿量品文底の釈迦仏・久遠元初の自受用(じじゅゆう)(しん)の御事なり。故に上の文に云わく「天台云わく、人は軽く法は重し。妙楽云わく、四不同なりと雖も法を以て本と()す」云云。
 又云わく「天台・伝教は事
(きわ)め尽くさず、日蓮が弟子と成らん人々は(たやす)く之を知る可し」云云。当に知るべし、自受用身は人法体一なり云云。

問う、又云わく、本尊抄八に云わく「其の本尊の為体(ていたらく)本時の娑婆(しゃば)の上に宝塔空に()し、塔中(たっちゅう)の妙法蓮華経の左右には釈迦牟尼仏・多宝仏、釈尊の脇士(きょうじ)には上行等の四菩薩、乃至正像に未だ寿量品の仏(ましま)さず、末法に来入して始めて此の仏像出現せしむべきか」云云。「此の仏像」の言は釈迦・多宝を作る可しと云う事分明なり云云、此の義如何いかん

 答う、其の本尊の為体等とは正しく()の一念三千の本尊の為体を釈するなり。故に是れ一幅の大曼荼羅(まんだら)即ち法の本尊なり。(しか)も此の法の本尊の全体を以て即ち寿量品の仏と名づけ(また)此の仏像」と云うなり。寿量品の仏とは即ち是れ文底(もんてい)下種の本仏久遠(くおん)元初(がんじょ)の自受用身なり。既に是れ自受用身の故に(また)仏像」と云うなり、自受用身とは即ち是れ蓮祖聖人なるが故に出現と云うなり。故に山家(さんけ)大師秘密荘厳論に云わく「一念三千即自受用身、自受用身とは(しゅっ)(そん)(ぎょう)仏」云云。全く此の釈の意なり、之を思い見る可し。
 又「仏像」の言(いま)だ必ずしも木絵に限らず、(また)生身を以て仏像と名づくるなり。即ち文句第九の如し、若し必ず木絵と言わば「出現」の言恐らくは便(びん)ならず、前後の文「本化(ほんげ)出現」と云云。之を思い合わす可し云云。


 富士の蘭室は日蓮大聖人を「本門の教主釈尊」と仰ぐ   につづく


by johsei1129 | 2015-01-03 21:00 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


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