2019年 10月 27日
【松野殿御返事(十四誹謗抄)】 ■出筆時期:建治二年(西暦1276年)十二月九日、五十五歳御作
■出筆場所:身延山中 草庵にて。 ■出筆の経緯:駿河国松野の領主で、六老僧日持上人の父また南条時光の外祖父でもあった松野六郎左衛門に宛てられたご消息文である。松野殿より「聖人の唱えさせ給う題目の功徳と、我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程(いかほど)の多少候べきや」との問いに答えられた返書である。大聖人は「勝劣あるべからず候。其の故は愚者の持ちたる金も、智者の持ちたる金も其の差別なきなり<中略>但し此の経の心に背いて唱へば其の差別有るべきなり」と諭している。 さらに「人久しといえども百年には過ぎず。其の間の事は但一睡の夢ぞかし。受けがたき人身を得て適(たまた)ま出家せる者も、仏法を学し謗法の者を責めずして徒(いたず)らに遊戯(ゆげ)雑談のみして明し暮さん者は・法師の皮を著たる畜生なり」と出家僧に言及し、在家の信徒である松野殿へは「在家の御身は但余念なく南無妙法蓮華経と御唱えありて僧をも供養し給うが肝心にて候なり。それも経文の如くならば・随力演説も有るべきか」と、自らの力量に応じて他の人へ経文の如く説く事もあって然るべきと励まされている。 ■ご真筆: :現存していない。 [松野殿御返事 本文] 鵞目(がもく)一結(ゆい)・白米一駄・白小袖一(ひとつ)、送り給畢(たまい・おわん)ぬ。抑(そもそ)も此の山と申すは・南は野山漫漫として百余里に及べり、北は身延山高く峙(そばだ)ちて・白根が嶽(たけ)につづき、西には七面と申す山峨峨として白雪絶えず、人の住家(すみか)一宇もなし。適(たまた)ま問いくる物とては、梢を伝ふ猿猴(ましら)なれば少も留まる事なく・還るさへ急(いそ)ぐ恨みなる哉。東は富士河漲(みなぎ)りて流沙の浪に異ならず。かかる所なれば訪(とぶら)う人も希なるに、加様に度度(たびたび)音信(おとずれ)せさせ給ふ事・不思議の中の不思議なり。 実相寺の学徒日源は日蓮に帰伏して所領を捨て・弟子檀那に放され御座(おわし)て我が身だにも置き処なき由承り候に、日蓮を訪(とぶら)い衆僧を哀みさせ給う事、誠の道心なり・聖人なり。已に彼の人は無雙の学生ぞかし。然るに名聞名利を捨てて某が弟子と成りて我が身には我不愛身命の修行を致し、仏の御恩を報ぜんと面面までも教化申し、此くの如く供養等まで捧げしめ給う事不思議なり。末世には狗犬(くけん)の僧尼は恒沙(ごうじゃ)の如しと仏は説かせ給いて候なり。文の意は末世の僧・比丘尼は名聞名利に著し、上には袈裟衣(ころも)を著(き)たれば形は僧・比丘尼に似たれども、内心には邪見の剣(つるぎ)を提(ひっさ)げて我が出入りする檀那の所(もと)へ余(ほか)の僧尼をよせじと無量の讒言を致す。余の僧尼を寄せずして檀那を惜まん事、譬えば犬が前(さき)に人の家に至りて物を得て食ふが、後に犬の来るを見て・いがみ・ほへ、食ひ合ふが如くなるべしと云う心なり。是くの如きの僧尼は皆皆悪道に堕すべきなり。此の学徒日源は学生なれば此の文をや見させ給いけん。殊の外に僧衆を訪(とぶら)ひ顧み給う事・誠に有り難く覚え候。 御文(ふみ)に云く、此の経を持ち申して後、退転なく十如是・自我偈を読み奉り題目を唱へ申し候なり。但し聖人の唱えさせ給う題目の功徳と・我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云。更に勝劣あるべからず候。其の故は愚者の持ちたる金(こがね)も・智者の持ちたる金も、愚者の然(とも)せる火も・智者の然せる火も其の差別なきなり。但し此の経の心に背いて唱へば其の差別有るべきなり。 此の経の修行に重重のしなあり。其大概(その・おおむね)を申せば記の五に云く「悪の数を明かすことをば今の文には説・不説と云ふのみ」。有る人此れを分かって云く「先きに悪因を列ね次ぎに悪果を列ぬ、悪の因に十四あり。一に憍慢(きょうまん)・二に懈怠(けたい)・三に計我・四に浅識・五に著欲(じゃくよく)・六に不解(ふげ)・七に不信・八に顰蹙(ひんしゅく)・九に疑惑・十に誹謗・十一に軽善・十二に憎善・十三に嫉善・十四に恨善なり」此の十四誹謗は在家出家に亘るべし、恐る可し恐る可し。 過去の不軽菩薩は一切衆生に仏性あり・法華経を持たば必ず成仏すべし・彼れを軽んじては仏を軽んずるになるべしとて・礼拝の行をば立てさせ給いしなり。法華経を持たざる者をさへ・若し持ちやせんずらん・仏性ありとてかくの如く礼拝し給う。何に況んや持てる在家出家の者をや。此の経の四の巻には「若しは在家にてもあれ・出家にてもあれ、法華経を持ち説く者を一言にても毀(そし)る事あらば其の罪多き事、釈迦仏を一劫の間・直ちに毀り奉る罪には勝れたり」と見へたり。或は「若実・若不実(にゃくじつ・にゃくふじつ)」とも説かれたり。之れを以つて之れを思ふに、忘れても法華経を持つ者をば互ひに毀るべからざるか。其故は法華経を持つ者は必ず皆仏なり、仏を毀りては罪を得るなり。 加様に心得て唱うる題目の功徳は釈尊の御功徳と等しかるべし。釈に云く「阿鼻の依正は全く極聖の自身に処し、毘盧(びる)の身土は凡下の一念を逾(こ)えず」云云。十四誹謗の心は文に任せて推量あるべし。 加様に法門を御尋ね候事、誠に後世を願はせ給う人か。能く是の法を聴く者は斯の人亦復難しとて、此の経は正(まさし)き仏の御使ひ・世に出でずんば仏の御本意の如く説く事難き上、此の経のいはれを問い尋ねて不審を明らめ・能く信ずる者難かるべしと見えて候。何(いか)に賤者(いやしきもの)なりとも、少し我れより勝れて智慧ある人には、此の経のいはれを問い尋ね給うべし。 然るに悪世の衆生は我慢・偏執・名聞・名利に著して・彼れが弟子と成るべきか。彼れに物を習はば・人にや賤しく思はれんずらんと、不断悪念に住して悪道に堕すべしと見えて候。法師品には「人有りて八十億劫の間・無量の宝を尽して仏を供養し奉らん功徳よりも、法華経を説かん僧を供養して後に須臾の間も此の経の法門を聴聞する事あらば、我れ大なる利益功徳を得べしと悦ぶべし」と見えたり。 無智の者は此の経を説く者に使はれて功徳をうべし。何なる鬼畜なりとも法華経の一偈一句をも説かん者をば「当に起ちて遠く迎えて・当に仏を敬うが如くすべし」の道理なれば、仏の如く互ひに敬ふべし。例せば宝塔品の時の釈迦・多宝の如くなるべし。此の三位房は下劣の者なれども、少分も法華経の法門を申す者なれば仏の如く敬いて法門を御尋ねあるべし。依法不依人・此れを思ふべし。 されば昔(むかし)独りの人有りて雪山(せっせん)と申す山に住み給き。其の名を雪山童子と云う。蕨(わらび)をおり・菓(このみ)を拾いて命をつぎ、鹿の皮を著物(きもの)とこしらへ肌をかくし、閑(しずか)に道を行じ給いき。 此の雪山童子おもはれけるは・倩(つらつら)世間を観ずるに、生死無常の理(ことわり)なれば、生ずる者は必ず死す。されば憂世の中のあだ・はかなき事・譬えば電光の如く、朝露の日に向ひて消ゆるに似たり。風の前の灯(ともしび)の消へやすく、芭蕉の葉の破れやすきに異ならず。人皆此の無常を遁れず、終に一度は黄泉(よみじ)の旅に趣くべし。 然れば冥途の旅を思うに、闇闇として・くらければ日月星宿の光もなく、せめて灯燭(ともしび)とて・ともす火だにもなし。かかる闇き道に又ともなふ人もなし。娑婆にある時は親類・兄弟・妻子・眷属集まりて、父は慈(あわれ)みの志高く、母は悲しみの情深く、夫妻は海老同穴(かいろうどうけつ)の契りとて・大海にあるえびは同じ畜生ながら夫婦ちぎり細やかに、一生一処にともなひて離れ去る事なきが如く、鴛鴦(えんおう)の衾(ふすま)の下に枕を並べて遊び戯(たわむ)る中なれども、彼の冥途の旅には伴なふ事なし、冥冥として独り行く。誰か来たりて是非を訪はんや。 或は老少不定の境なれば老いたるは先立(さきだち)・若きは留まる。是れは順次の道理なり。歎きの中にも・せめて思いなぐさむ方も有りぬべし。老いたるは留まり・若きは先立つ、されば恨みの至つて恨めしきは幼くして親に先立つ子、嘆きの至つて歎かしきは老いて子を先立つる親なり。 是くの如く生死・無常・老少不定の境、あだに・はかなき世の中に、但昼夜に今生の貯(たくわえ)をのみ思ひ、朝夕に現在の業(わざ)をのみなして、仏をも敬はず法をも信ぜず、無行無智にして徒らに明し暮して閻魔の庁庭に引き迎へられん時は、何を以つてか資糧として三界の長途を行き、何を以て船筏(いかだ)として生死の曠海(こうかい)を渡りて・実報寂光の仏土に至らんやと思ひ、迷へば夢・覚(さと)れば寤(うつつ)、しかじ・夢の憂世を捨てて寤の覚りを求めんにはと思惟し、彼の山に篭りて観念の牀の上に妄想顛倒(てんどう)の塵を払ひ、偏に仏法を求め給う所に、帝釈・遥かに天より見下(おろ)し給いて思し食さるる様は、魚の子は多けれども魚となるは少なく、菴羅樹(あんらじゅ)の花は多くさけども菓(み)になるは少なし。人も又此くの如し。菩提心を発(おこ)す人は多けれども退せずして実(まこと)の道に入る者は少し。都て凡夫の菩提心は多く悪縁にたぼらかされ、事にふれて移りやすき物なり。鎧を著たる兵者(つわもの)は多けれども・戦(いくさ)に恐れをなさざるは少なきが如し。 此の人の意(こころ)を行(ゆき)て試みばやと思いて帝釈、鬼神の形を現じ童子の側(かたわら)に立ち給う。其の時・仏(ほとけ)世にましまさざれば・雪山童子普く大乗経を求むるに聞くことあたはず。時に「諸行無常・是生滅法」と云う音(こえ)ほのかに聞ゆ。童子驚き四方を見給うに人もなし。但鬼神近付(ちかづき)て立ちたり。其の形けはしく・をそろしくて頭のかみは炎の如く、口の歯は剣の如く、目を瞋(いか)らして雪山童子をまほり奉る。此れを見るにも恐れず、偏に仏法を聞かん事を喜び・怪しむ事なし。譬えば母を離れたるこうし(犢)・ほのかに母の音(こえ)を聞きつるが如し。 此の事誰か誦しつるぞ、いまだ残りの語(ことば)あらんとて普(あま)ねく尋ね求むるに、更に人もなければ若しも此の語は鬼神の説きつるかと疑へども、よも・さもあらじと思ひ、彼の身は罪報の鬼神の形なり、此の偈は仏の説き給へる語なり。かかる賤しき鬼神の口より出づべからずとは思へども、亦殊に人もなければ若し此の語・汝が説きつるかと問へば、鬼神答て云う、我れに物な云いそ。食せずして日数を経(へ)ぬれば飢え疲れて正念を覚えず、既にあだごと(徒言)云いつるならん。我うつける(不実)意にて云へば・知る事もあらじと答ふ。 童子の云く、我れは此の半偈を聞きつる事・半(なかば)なる月を見るが如く、半なる玉を得るに似たり。慥(たしか)に汝が語なり。願くは残れる偈を説き給へと・のたまふ。 鬼神の云く、汝は本より悟りあれば聞かずとも恨みは有るべからず。吾は今・飢ゑに責められたれば物を云うべき力なし。都て我に向ひて物な云いそと云う。 童子・猶物を食いては説かんやと問う。鬼神答へて、食いては説きてんと云う。 童子悦びて・さて何物をか食とするぞと問へば、鬼神の云く、汝・更に問うべからず。此れを聞きては必ず恐れを成さん、亦汝が求むべき物にもあらずと云へば、童子猶責めて問い給はく、其の物をとだにも云はば・心みにも求めんとの給えば鬼神の云く、我れ但人の和らかなる肉を食し、人のあたたかなる血(ち)を飲む。空(そら)を飛び・普ねく求むれども、人をば各(おのおの)守り給う仏神ましませば・心に任せて殺しがたし。仏神の捨て給う衆生を殺して食するなりと云う。 其の時・雪山童子の思い給はく、我れ法の為に身を捨て・此の偈を聞き畢(おわ)らんと思いて、汝が食物ここに有り、外に求むべきにあらず。我が身いまだ死せず、其の肉あたたかなり、我が身いまだ寒(ひえ)ず、其の血あたたかならん。願くは残りの偈を説き給へ、此の身を汝に与えんと云う。 時に鬼神・大いに瞋(いかり)て云く、誰か汝が語を実(まこと)とは憑(たの)むべき。聞いて後には誰をか証人として糾さんと云う。 雪山童子の云く、此の身は終に死すべし。徒(いたずら)に死せん命を法の為に投げば、きたなく・けがらはしき身を捨てて後生は必ず覚りを開き・仏となり、清妙なる身を受くべし。土器を捨てて宝器に替(かゆ)るが如くなるべし。梵天・帝釈・四大天王・十方の諸仏・菩薩を皆証人とせん。我れ更に偽るべからずとの給えり。 其の時・鬼神少し和(やわらい)で若し汝が云う処実ならば偈を説かんと云う。 其の時・雪山童子大いに悦んで身に著(き)たる鹿の皮を脱いで法座に敷き、頭を地に付け・掌を合せ・跪(ひざまず)き、但願くは我が為に残りの偈を説き給へと云うて至心に深く敬い給ふ。 さて法座に登り鬼神・偈を説いて云く「生滅滅已(しょうめつめっち)・寂滅為楽」と。 此の時・雪山童子是れを聞き悦び、貴み給う事限なく、後世までも忘れじと度度誦して深く其の心にそめ、悦ばしき処はこれ仏の説き給へるにも異ならず、歎かわ敷き処は我れ一人のみ聞きて人の為に伝へざらん事をと深く思いて、石の上・壁の面(おもて)・路の辺(ほとり)の諸木ごとに此の偈を書き付け、願くは後に来らたん人・必ず此の文を見・其の義理をさとり・実(まこと)の道に入れ、と云い畢つて即ち高き木に登りて鬼神の前に落ち給へり。 いまだ地に至らざるに鬼神・俄(にわか)に帝釈の形と成りて雪山童子の其の身を受取りて・平らかなる所にすえ奉りて恭敬(くぎょう)礼拝して云く、我れ暫く如来の聖教を惜みて試みに菩薩の心を悩し奉るなり。願くは此の罪を許して後世には必ず救ひ給へと云ふ。一切の天人又来りて善哉(よきかな)善哉、実に是れ菩薩なりと讃(ほ)め給ふ。半偈の為めに身を投げて十二劫・生死の罪を滅し給へり。 此の事涅槃経に見えたり。然れば雪山童子の古を思へば・半偈の為に猶命を捨て給ふ。何に況んや此の経の一品一巻を聴聞せん恩徳をや、何を以てか此れを報ぜん。尤も後世を願はんには彼の雪山童子の如くこそ・あらまほしくは候へ。誠に我が身貧にして布施すべき宝なくば・我が身命を捨て、仏法を得べき便(たより)あらば身命を捨てて仏法を学すべし。 とても此の身は徒(いたずら)に山野の土と成るべし・惜しみても何かせん、惜しむとも惜しみとぐべからず。人久しといえども百年には過ぎず。其の間の事は但一睡の夢ぞかし。受けがたき人身を得て適(たまた)ま出家せる者も、仏法を学し謗法の者を責めずして・徒らに遊戯雑談(ゆげぞうだん)のみして明し暮さん者は、法師の皮を著(き)たる畜生なり。法師の名を借りて世を渡り・身を養うといへども、法師となる義は一つもなし。法師と云う名字をぬすめる盗人なり、恥づべし・恐るべし。 迹門には「我身命を愛せず但だ無上道を惜しむ」ととき、本門には「自ら身命を惜まず」ととき、涅槃経には「身は軽く法は重し・身を死(ころ)して法を弘む」と見えたり。本迹両門・涅槃経共に身命を捨てて法を弘むべしと見えたり。此等の禁(いましめ)を背く重罪は、目には見えざれども・積りて地獄に堕つる事、譬へば寒熱の姿形(すがたかたち)もなく眼には見えざれども、冬は寒来たりて草木・人畜をせめ、夏は熱来たりて人畜を熱悩せしむるが如くなるべし。 然るに在家の御身は但余念なく・南無妙法蓮華経と御唱えありて・僧をも供養し給うが肝心にて候なり。それも経文の如くならば・随力演説も有るべきか。 世の中ものう(憂)からん時も・今生の苦さへかなしし。況(まして)や来世の苦をやと思し食しても南無妙法蓮華経と唱へ、悦ばしからん時も今生の悦びは夢の中の夢・霊山浄土の悦びこそ実(まこと)の悦びなれと思し食し合せて又南無妙法蓮華経と唱へ、退転なく修行して最後臨終の時を待つて御覧ぜよ。妙覚の山に走り登つて四方をきつと見るならば、あら面白(おもしろ)や、法界寂光土にして瑠璃(るり)を以つて地とし、金(こがね)の繩を以つて八(やつ)の道を界(さか)へり。天(そら)より四種の花ふり、虚空に音楽聞えて、諸仏菩薩は常楽我浄の風にそよめき・娯楽快楽(けらく)し給うぞや。 我れ等も其の数に列なりて遊戯(ゆげ)し楽むべき事、はや近づけり。信心弱くしてはかかる目出たき所に行くべからず・行くべからず。不審の事をば尚尚承はるべく候。穴賢穴賢。 建治二年丙子十二月九日 日 蓮 花 押 松野殿御返事
by johsei1129
| 2019-10-27 10:41
| 弟子・信徒その他への消息
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