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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 12月 14日

本門戒壇への邪難を破す 【文底秘沈抄第二】本門の戒壇篇


問う、癡山(ちざん)日饒(にちにょう)が記に云く「富士山に於て戒壇を建立すべしとは是れ所表(しょひょう)に約する一往の意なり。()わく、当に大山に於て大法を説くべき故なり、例せば仏、十二の大城の最大王舎(おうしゃ)(じょう)霊山に於て法華経を説けるが如し、即ち是れ大法を説くを表わす所以なり、再往所縁に約する(とき)本門流布の地皆是れ富士山本門寺の戒壇なり。故に百六箇に云く「(いか)なる在処たりとも多宝富士山本門寺と号すべきなり」と。経(神力品)に云く、当に知るべし是処(ぜしょ)(そく)()道場(どうじょう)是れなり、何ぞ必ずしも富士山を以て(たい)と為し本山と()さんや」略抄、此の義如何(いかん)

答う、(つたな)い哉()(ざん)や、汝は是れ誰が弟子ぞや、(いや)くも(もん)(よう)に隠れて(まさ)に其の根を()らんとするや、()つ其の流れを()んで正に其の源を(ふさ)がんとするや、是れ愚癡(ぐち)の山高く(そび)えて東天の月を見ざるに由るが故なり、(まさ)に今一指(いっし)を下して(にょう)が癡山を(つんざ)くべし、(なん)(すべから)く巨霊が手を借るべけんや。

()わく、仏、実に王舎城に住せずと雖も且く所表に約して一時仏住、王舎城と説かんや、若し仏、実に王舎城に住して法華経を説かば、(なん)ぞ実に富士山に於て戒壇を建立せざらんや是一。

若し是れ本門流布の地は皆是れ本門戒壇ならば、応に是れ権迹流布の地も(また)皆権迹の戒壇なるべし、若し(しか)らば如何(いかん)ぞ月氏の(ろう)()菩薩、祇園(ぎおん)の東南に更に之を建立せんや、亦復如何ぞ(しん)(たん)羅什(らじゅう)三蔵(さんぞう)草堂寺に於て別に之を建立せんや、亦復如何ぞ日域(にちいき)(がん)(じん)和尚、小乗の戒壇を三処に之を建立せんや、(また)(また)如何ぞ伝教大師、迹門の戒壇を叡山に之を建立せんや、権迹の戒壇(すで)に別に之を建立す、本門の戒壇何ぞ更に建てざるべけんや是二。

百六箇に云く「日興が嫡々(ちゃくちゃく)相承の曼荼羅を以て本堂の正本尊と為すべし乃至(いずく)の在処なりとも多宝富士山本門寺と号すべし」云云。嫡々相承の曼荼羅とは本門戒壇の本尊の御事なり。故に御遺状(ごゆいじょう)日興跡条条事)に云く「日興が身に()て賜わる所の弘安二年の大本尊、日目に之を授与す、本門寺に掛け奉るべし」云云、故に百六箇の文意は本門戒壇所在の処を本門寺と号すべし云云。何ぞ上の文を隠して之を引かざるや是三。

「経に云く(そく)()道場(どうじょう)是れなり」という。彼の経文を引くと雖も而も経文の意を知らず、今略して之を引きて其の意を示すべし。経(神力品)に云く「若しは経巻所住の処、若しは園中(おんちゅう)に於ても、若しは林中に於ても皆(まさ)に塔を()供養すべし、所以は(いかん)当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり、諸仏此に於て三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て(はつ)涅槃(ねはん)す」云云。「(にゃく)経巻(きょうかん)とは即ち是れ本門の本尊なり「皆応(かいおう)起塔(きとう)とは本門の戒壇なり、故に此の文意は本門の本尊所住の処に応に本門の戒壇を起つべし。所以は(いかん当に知るべし、是の処は法身の四処の故なり云云。明文(びゃく)()(あたか)も日月の如し、何ぞ()げて私情に会せんや是四。


           本門の戒壇の建立は富士山と断言 につづく

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by johsei1129 | 2014-12-14 17:38 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


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