問う、生仏尚一如なり、何に況や仏々をや、而るに那ぞ仍一別の異なり有らんや。
答う、若し理に拠って論ずれば法界に非ざること無し、今事に就いて論ずるに差別無きに非ず。謂わく自受用身は是れ境智冥合の真身なり、故に人法体一なり、譬えば月と光と和合するが故に体是れ別ならざるが如し。若し色相荘厳の仏は是れ世情に随順する虚仏なり、故に人法体別なり、譬えば影は池水に移る故に天月と是れ一ならざるが如し、妙楽の所謂「本地の自行は唯円と合す、化他は不定なり亦八教有り」とは是れなり。
問う、色相荘厳の仏身は世情に随順する証文如何。
答う、且く一両文を出ださん。
方便品に云く「我が相を以て身を厳り、光明世間を照らし、無量の衆に尊ばれ為めに実相の印を説く」云云。
文の四に云く「身相炳著にして光色端厳なれば衆の尊ぶ所と為り則ち信受すべし」云云。
弘六の本に云く「謂わく、仏の身相具せざれば一心に道を受くること能わず、器の不浄なるに好き味食を盛れども人の喜ばざる所の如し、是の故に相好を以て自ら其の身を荘る」云云。
安然の教時義に云く「世間皆知る、仏の三十二相を具することを、此の世情に随って三十二相を以て仏と為す」云云。
止観七-七十六に云く「縁不同と為す、多少は彼に在り」云云。
劣応三十二相、勝応八万四千、他受用無尽の相好は只道を信受せしめんが為に仮に世情に順ずる仏身なり。
金剛般若経に云く「若し三十二相を以て如来と見れば転輪聖王も即ち是れ如来ならん」云云。又偈に云く「若し色を以て我と見れば、是れ則ち邪道を行ず」等云云。
台家の相伝、明匠口決五-二十六に云く「他宗権門の意は紫金の妙体に瓔珞細輭の上服を著し、威儀具足する仏を以て仏果と為す、一家の円実の意は此くの如き仏果は且く機の前に面形を著けたる化仏なる故に有為の報仏、未だ無常を免れずと下し、此の上に本地無作三身を以て真実の仏果と為す、其の無作三身とは亦何物ぞ、只十界三千万法常住の所を体と為す、山家(秘密荘厳論)云く、一念三千即自受用身」以上略抄。
応仏昇進・迹仏化他の本果を破す につづく
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