2017年 03月 18日
下総はいまの千葉県北部を中心とする一帯である。現在とちがい田園が広がっていた。 夕陽が富木常忍の館を染めた。 日蓮は齢四十になっていた。 故郷清澄寺で立宗宣言して八年がたつ。あっという間の歳月だった。日蓮は物思いにふけっているのか、山の端に沈まんとする夕陽を見ていた。 となりの部屋では弟子たちが筆を走らせ経巻を書写している。また所化の小僧は水をくんで富木の家人とともに夕餉の支度をした。法門について議論しあっている弟子もいた。 日蓮はこの下総の地でさかんに布教を進めた。下総は富木常忍の地盤であり、縁故の武士も多い。 日蓮は常忍の館で早速、百日百座説法を始めた。常忍が知人をこの説法に招いた。この「百日百座説法」を機縁として、大田乗明、千葉氏家臣・曽谷教信、富木常忍の縁戚で幕府御家人の秋元太郎らが入信した。 大田乗明は幕府の問注所の役人である。日蓮と同年齢だったという。下総国葛飾郡八幡荘中山郷に住み、富木常忍、曽谷教信、金原法橋とともに下総中山を中心に日蓮の外護にあたった。大田乗明の祖父は問注所の初代執事である三善康信で、その子三善康連から大田姓を名のったといわれている。乗明は康連の子で、三代続けて問注所の役人であった。 いっぽうの曽谷教信は、下総国葛飾郡曽谷に住んでいたので曽谷と称した。教信は日蓮の二歳下で、元仁元年(一二二四年)、国分村曽谷の邑主、大野政清の長子として生まれた。邑主とは地主の意味である。曽谷は北信越にも所領があり、かなり裕福だったという。曽谷の親孝行は有名である。父の死去の日から十三年間、法華経の自我偈(注)を毎朝読んだという。 また秋元太郎は「この時の日蓮聖人の説法を聞いて弟子に定まった」と、日蓮に消息を書き、そのことを日蓮は秋元殿御返事で次のように記している。 御文委く承り候い畢んぬ、御文に云く、末法の始、五百年にはいかなる法を弘むべしと思ひまいらせ候しに、聖人の仰を承り候に、法華経の題目に限つて弘むべき由、聴聞申して御弟子の一分に定まり候。殊に五節供はいかなる由来、何なる所表、何を以て正意としてまつり候べく候や。[秋元殿御返事] 伯耆房が椀に白湯をはこんできた。日蓮は待ちかねていたのか、ごくりと飲み干した。 そこに当主の常忍が入ってきた。 日蓮はにこやかだった。 「常忍殿。いつもながらお世話になります」 常忍があらたまって身なりを正し日蓮の前に正座した。 「上人、そんなもったいないお言葉痛み入ります。上人の説法で私の縁戚、同僚が入信し法友ができました。感謝に堪えません。ところで僭越ですがわたしに一つ考えがございます」 「さて、考えとは布教についてかな」 「そうです。上人、これからはこの下総の地を本拠とされてはいかがでございましょう。ここは鎌倉とちがい、敵もなく、守護の千葉氏は幕府内でも有力な御家人です。北条氏とて、うかつに手出しは来ません。また上人の故郷も近い。海山の幸もほかとはちがって恵まれております。いかがでしょう」 日蓮が答える。「ご親切にかたじけない。だがこの日蓮はあくまで日本の権力の中心地、鎌倉で法を弘めるつもりです。鎌倉はこの日本の都。日本の主が住むところです。その主が法華経をたもつまで、わたしは法をひろめてまいりたい」 「過日、聖人が最明寺殿に見参された以降、幕府の動きがさっぱり伝わってきませんが、立正安国論への幕府の対応はどうなったのでありましょうか。最明寺殿はご覧になったのかどうか。いろいろとさぐりをいれましたが、いっこうに埒が明きません」 日蓮が一口湯を含んでから答えた。 「幕府重臣として宿屋殿、また儒官の大学三郎殿がおられるので、最明寺殿がたとえご覧にならなくとも肝心な事は聞かされているはずです。また周辺の者には驚きであったはず。もし最明寺殿が賢人ならばかならずわかるはずです」 常忍が胸中でつぶやく。 (もし、最明寺殿が愚かなら上人にはどんな難がふりかかるのやら) 数日後、富木常忍の屋敷に突然見知らぬ武士が三人訪れた。 騎馬の武士三人が常忍邸にかけつけたのである。 「だれかおらぬか」 鏡忍房が玄関でひざまずいて応対した。 「こちらは下総国守護の文官、土木常忍のお屋敷でございますが、なにか」 「ここに日蓮御房はおられるか」 筆頭弟子の鏡忍房は、相手の素性が不明なため慎重に答える。 「日蓮聖人は確かにおりますが、どのような御用件でしょうか」 「鎌倉からの使者である。通せ」 これを聞いた日蓮は一人で客間にはいり、上座にむかって手をあわせた。 使者の三人が部屋に入り、つかつかと床の間を背に、上座の中央と左右に座る。そのあと少し間を置いて、富木家の家人が茶と菓子を膳に載せ、使者の前に恭しく差し出す。 上座の真ん中に座った上役と思われる使者は、運ばれた膳を一瞥すると、すぐに日蓮に向かって問いかけた。 「そのほうが日蓮御房であるか」 使者は幕府の権威を傘に、あくまで居丈高である。 「いかにも日蓮と申します」 左右に座る使者は懐から紙を出し、二人の会話を筆記している。 「このたびの仰せ、鎌倉へ出頭せよとの知らせである。場所は幕府政所。あいわかったか」 「うけたまわりました。で、いつ」 「すぐにも」 「どのような件で」 「それはわれらの知るところではない。必ずまいるよう」 使者たちは、出された膳に手をつけることなく、役目を終えるとすぐに出ていった。 別室で待機していた常忍と弟子たちが、どっと客間に入ってきた。 日昭がすぐに問いかける。 「上人、時頼さまからの使者でございますか」 「どうもそのようだな」 日蓮はそう答えると、常忍にむきなおった。 「常忍殿。今までのこと、お世話になりました。明日鎌倉へ出立いたします」 座が緊張した。 日朗が不安げにいう。 「上人、それは考えものではないでしょうか。鎌倉はまだ危険です。時頼様が上人をどのように扱うのかわからない今、出かけるのは虎の口にはいるようなものではありませんか。再度念仏者どもが襲ってこないともかぎりません」 上機嫌になった大進房が止めた。 「筑後房、心配は無用だ。わざわざ鎌倉から使者がこられた。上人の祈りがとどいたのだ。わしはお供する。そんなに心配なら、そなたもついてくるがよい」 日蓮は昇りはじめた月にむかい南無妙法蓮華経と唱えた。 弘長元年五月十二日、日蓮の一行は朝比奈の切り通しをぬけて鎌倉に入った。切り通しは鎌倉に七か所あったという。鎌倉が三方を山にかこまれているため、山を掘削し、人馬が通れるようにした道である。 日蓮を先頭に弟子の一団が若宮大路をすすむ。 町人が一様におどろいた。 「法華宗の日蓮ではないか」 みな日蓮が生きていたことに驚いた。 「鎌倉に戻ってまた騒動がおきなければよいけれど」 女たちが不安げに日蓮を見つめていた。 政所では鎧甲をつけた屈強な武士が門を守っていた。 日蓮が門を見あげて入る。 豪壮な建物に広い庭があった。だれもいない。警護の武士が立っているだけだった。 役人が先導して日蓮を案内した。 庭に粗末な筵が一枚だけ敷かれている。これは日蓮を罪人として見なしていることになる。だが日蓮は、来るものが来たとばかり全く表情を変えない。 役人が筵を指さした。 「ここに」 日蓮はゆっくりとすわり、足を結跏趺坐に組んだ。 三人の役人が出てきた。そして筵の日蓮を見おろした。 「法華宗の僧侶、日蓮。そのほうを伊豆流罪とする」 いきなりの下達である。 日蓮が真っすぐに役人を見た。 役人は下文を淡々と読みあげていく。 「そのほう法華経を第一とし、念仏を無間地獄、禅宗を天魔の所業などと誹謗した罪浅からず。くわえて鎌倉諸処で口論をいたし、各宗の僧を悩ましめた罪状は明らかなり。そのうえ前年鎌倉の松葉ヶ谷で火付けをいたし、世を惑わしたのは幾多の証人から明らかである。これほどの重罪のかずかず、死罪・打ち首が正当なるも、僧侶の衣をまとっておる者、みだりに命を召しては八幡のおとがめあり。よって伊豆に遠島申しつけるものなり」 下達を宣言すると、役人はすぐに立ち上がろうとしたが日蓮が止めた。 「おまちくだされ。罪状の件、究明されてはおりませぬ。各宗の僧侶を召し集め、正邪を決することが先決でありましょう。でなければご政道にもおとるもの。式目の定めは・・」 役人が聞こえないかのようにひきあげた。 かわりに二人の武士が近づいた。二人とも罪人を見る目つきをしている。 常忍や弟子たちは外でまちうけていた。 みな心配顔だった。 やがて馬に乗った日蓮がでてきた。表情がけわしい。 日蓮が武士に囲まれて通りすぎた。 常忍がその武士を見てつぶやいた。 「あれは罪人担当の役人では・・」 日朗が泣きそうになって走ってくる。 「上人は伊豆に流罪とのご沙汰です」 「なに、日蓮上人が流罪だと」 ふだん温厚な常忍も思わず怒号をあげる。 日蓮が馬に乗せられ、目の前を通りすぎていく。 北条時頼は政所の廊下をゆっくりと歩いていた。従うのは重時である。 時頼は格子窓の前で止まった。 彼は僧侶が馬に乗って通りすぎるのを見た。 重時がしかたなくひざまずいた。 時頼がつぶやくように聞く。 「あれはどこの寺の僧侶だ」 「罪人の護送でござる」 時頼がわずかに驚いた。 「僧侶がか」 「いかにも。日蓮と申す者」 「にちれん・・はて聞いた名だな」 重時の口調は弁解がましい。 「過日、念仏は無間地獄といった立正安国論なる書をたてまつった坊主でござる。このたび関東において破戒の僧、怠慢の坊主どもを取り締まる下知を出したばかり。あの日蓮はその最たる者でござる」 時頼はゆっくりと思いだした。 「たしか、われらが手をこまねいていれば、日本国に内乱と他国の侵略があると予言めいたことをいった者か」 「ありもしないことをのべて幕府を混乱する罪は死罪よりも重いもの。このたびの仕置の責任は、重時が一身に負っております。いかが」 時頼がなにごともなかったように歩きだす。 重時は時頼の同意を得たとばかり、にやりと笑みを浮かべた。 人々が八幡宮の門前で手をあわせていた。そこに兵卒に囲まれた馬がゆく。 常忍と弟子たちが馬上の日蓮によりそって進んだ。 沿道で野次馬がさわいだ。 「あれはどの寺の僧侶だ」 「知らないのか、日蓮とかいう坊主よ。ほら、南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経とばかり唱える・・」 「坊主が伊豆に島流しか」 「鎌倉様に楯突くからこのざまだ」 群衆は思い思いに馬上の日蓮に罵声を浴びせる。 「念仏を唱える者は、地獄に堕ちると責めた罰だ。自業自得じゃ」 「打ち首にならないだけ、幸せというもんだ」 沿道をとりかこんだ野次馬からつぎつぎと罵声があがった。さらに事情を知る武士の中から馬上の日蓮に声がかかる。 「日蓮上人殿、いくさはいつおこるのじゃ」 群衆がどっと笑いだす。 「どの国が攻めてくるのか教えてくだされ。宋か、それとも高麗か」 群衆はその声に追従し、さらに高笑いする。 このなかに涙目の女性がいた。日眼女と日妙である。二人とも群衆から遠く離れ、日蓮にそっと手をあわせた。日眼女は夫の四条金吾とともに知らせを聞いてかけつけた。 金吾が富木常忍と出くわし、問い詰めた。 「どういうことだ」 「早まったのだ。こうとわかっておれば上人を鎌倉にはこさせなかったものを」 二人は歯ぎしりする思いだった。 馬は由比ヶ浜に着いた。 雨がふりだした。海も白波をたて荒い。 日蓮が馬からおりて船にのる。 船には漕ぎ手と、船に同乗する目付の武士がまっていた。二人とも日蓮を見る目は僧を敬う目つきではない、あくまで凶悪な罪人を見る眼だった。 十六歳になった筑後房日朗が泣きながら日蓮を乗せた船を追いかける。 「お武家様、わたしがお供します。わたしも一緒に乗せてください」 そばにいた役人が櫓で日朗をはらい、突きとばした。 日蓮が日朗を止めた。 「まて筑後房、船には乗るな。お前まで罪人になる。これも鎌倉殿のご沙汰だ。お前は鎌倉でやるべき大事なことがある」 師の表情がけわしい。今まで見せたことのない気迫である。 役人が弟子たちをなだめた。 「安心いたせ。伊豆は近い。われらは安全に日蓮殿をおくりとどける。みなの者立ち去れい」 日蓮が船に乗り込む。 船は海上にすすみ、鎌倉が遠くなっていった。 あたりは一面の海となった。 波がさらに荒くなってきた。 漕ぎ手と役人が用意していた縄で自分の体を舟板に縛りつける。海にほうり出されないためだった。 二人はおたがいの目をあわせた。 日蓮は船の上で目をとじ「南無妙法蓮華経」とつぶやき続けていた。 ここでいきなり船が大きくゆれた。日蓮は一瞬よろめいたが、すぐに目を開け船の端をがっしりとつかんだ。 漕ぎ手の船頭は日蓮の挙動がおかしかったのか、思わず笑いころげる。 海岸では弟子の筑後房が雨にうたれ、船がみえなくなるまで波打際を走り続けた。 日蓮を乗せた船が大きくゆれた。 船首が垂直ちかくに傾く。 つぎに全身に波がおそいかかってきた。 日蓮はせまい船のなかで、ころげまわりながら身をささえる。 こぎ手が笑った。 「これはよい波じゃ。罪人にとって好都合というところか」 「これでは伊豆にたどりつけまい」 命綱をつけた役人が笑う。 「のう日蓮とやら。それともいっそ海の藻屑とならぬか」 二人が大声で笑った。 どうせ罪人である。護送の途中で波が荒かったため、行方不明になったと報告しても責められない。 日蓮が船中をころがりながら、懸命に身をささえた。全身をうつ激痛はこん棒に打たれたようだった。さらにまともに浴びる海水は打撲した傷口に染み込み、火傷でもしたかのような痛みだった。日蓮の顔には急速に疲労の色があらわれた。安房育ちの日蓮は荒海のこわさを知っている。 やがて船は伊豆川奈の海岸にたどりついた。 日蓮が船から投げ出されるように砂浜に捨て置かれた。 砂浜には悪天候もあってだれもいない。 日蓮は雨にうたれ、弱り切って砂に手をついた。声もでないほど衰弱している。 (ここで死ぬわけにはいかない) 仏国土日本を救うため北条時頼に諫言したが、答えはあまりにもむごかった。 やがて遠くから漁民が一人二人と集まり、日蓮のまわりをとりかこんだ。 日蓮は砂に伏せたままである。 漁民がささやきあった。 「罪人らしいな」 「僧侶が流されるとは。よほどあくどい者か」 「さあ」 「どうする。このままでいくと死ぬぞ」 「助ける必要はない。放っておけ」 そこに川奈の漁民、船守弥三郎が網をかつぎながらやってきた。真っ黒に日焼けた形相である。 「どうした。なにをしておる」 「おう弥三郎、罪人のようじゃ。弱っておる。どうしたらよいかのう」 弥三郎は怒った。 「たわけ。なぜ手当てしない」 「じゃが、地頭がうるさいでの」 「おまえたち、地頭がこわいか。わしらは漁師だ。苦しむ者を助けなければ、いざという時、天から見捨てられるぞ」 弥三郎が網を仲間の漁師に預け、日蓮をおこす。そして楽々と背にかつぎ、わが家へはこんだ。 「帰ったぞ」 妻が笑顔でむかえたが、かつがれた日蓮を見ておどろいた。 「浜で倒れていた。手当てしてくれ」 弥三郎は日蓮をゆっくりとおろし、土間にすわらせた。 妻はすぐに桶に湯を入れ、丁寧に日蓮の足を洗った。 日蓮は朦朧としながら、はじめて助かったことを実感した。そして無意識に手をあわせた。 「かたじけのうござる」 弥三郎がぶっきらぼうに答えた。 「わけは聞かぬ。どなたかも知らぬが、ゆっくりと休まれるがよい」 翌朝、弥三郎が網をつくろっている。 日蓮は横たわり、眠りについていた。 女房は雑炊を煮こむ。彼女は時おり日蓮を見た。 「このお坊さんは罪人ですか。また近所から白い目で見られますね」 弥三郎はいつものとおり、妻の言うことには答えず黙々と網をつくろう。 波の音だけが聞こえた。 船守弥三郎の居間には所せましと漁具がそろっている。 この日の昼も、弥三郎はいつものように気むずかしい顔でいた。 妻は外で日蓮の衣を干していた。 日蓮は依然横たわっている。 弟子の伯耆房日興が布きれを桶の水でしぼり、日蓮のひたいにあてた。伯耆房は流罪騒動の時、実相寺にいた。あとで日蓮の流罪を知り、伊豆に渡って日蓮をさがしまわった。いま彼はようやく弥三郎の家にたどりついたばかりだった。 日蓮が眠りからさめた。 「ここは」 日蓮の声を聞き、伯耆房の顔が思わずほころんだ。 「お目ざめになりましたか」 日蓮が痛々しくおきあがった。 弥三郎と妻は正座して頭をさげる。夫妻は伯耆房から日蓮のことを詳しく聞いた。 伯耆房が紹介した。 「こちらは船守弥三郎ご夫妻でございます。上人が海辺で倒れていたのを、誠に有り難いことに助けて頂きました」 日蓮が夫妻を見つめ頭をさげた。 「かたじけのうございます。みなこの日蓮を憎み、妬む中、助けてくれるとはまことに不思議です。いかなる宿縁でしょうか。過去に法華経の行者でおられたのでしょうか、今末法に生れて船守の弥三郎殿と生まれかわり、日蓮をあわれんでくださるのでしょうか」 日蓮が夫を称えるのを聞き、弥三郎の妻は笑顔になり日蓮に手を合わせた。 「さ、お食事の用意ができています。めしあがってください」 女房が椀に玄米の雑炊をいれてさしだした。 日蓮はおどろいた。 「これは米ですか。今は乏しい時期でありましょう。痛みいります」 弥三郎がいった。 「遠慮することはねえ。めしあがってくだされ」 川奈の海岸は砂浜が広く長い。 日蓮が伯耆房にかかえられて砂浜をゆく。 やがて日蓮が伯耆房から離れた。 「大丈夫だ。ひとりで歩ける」 日蓮が一人、はてしなく続く砂浜を、一歩一歩足跡を残して歩きつづけた。伯耆房がうしろから心配そうについていく。 ひと月ほどたったころ、日蓮は移居したばかりの伊豆伊東の地頭・伊東八郎左衛門尉の屋敷から弥三郎夫妻に感謝の手紙を送った。 日蓮去る五月十二日流罪の時その津につきて候しに・いまだ名をもききをよびまいらせず候ところに・船よりあがりくるしみ候いきところに・ねんごろにあたらせ給い候し事は・いかなる宿習なるらん、過去に法華経の行者にて・わたらせ給へるが今末法にふなもりの弥三郎と生れかわりて日蓮をあわれみ給うか、たとひ男は・さもあるべきに女房の身として食をあたへ洗足てうづ其の外さも事ねんごろなる事・日蓮はしらず不思議とも申すばかりなし 『船守弥三郎許御書』 弥三郎夫妻は日蓮の世話をするなかで日蓮の威徳に触れ自然に帰依することになった。 日蓮は伊東八郎左衛門から病気平癒の祈祷依頼を受けて祈念し、見事に病は平癒した。この事を機縁に八郎左衛門も日蓮に帰依し、伊東の漁師が海中から引きあげた釈迦立像を日蓮に寄進する。この釈迦立像を日蓮は生涯、随身し、日興に「自身の墓所の傍らに立てておくべし」と遺言している。 尚、日蓮が釈迦立像を身につけていた理由について日寛上人は六巻抄の中の「末法相応抄下」で次のように記されている。 一には猶是れ一宗弘通の初めなり、是の故に用捨時宜に随うか。 二には日本国中一同に阿弥陀仏を以て本尊と為す、然るに彼の人々(当時の信徒)適、釈尊を造立す。豈に称歎せざらんや。 三には吾が祖(日蓮聖人)の観見の前には一体仏の当体、全く是れ一念三千即自受用の本仏の故なり。 また伯耆房(日興上人)は伊豆にいる間、日蓮に常随給仕しながら伊豆宇佐美・吉田の地を弘教、熱海真言僧の金剛院行満を改宗、行満は日行と名のり自坊を大乗寺と号した。 この大難にあった日蓮はつぎのような書をのこしている。 法華経は至高の経典である。その法華経を末法に弘通する日蓮を罰する者には報いがくると。 法華の持者を禁むるは釈迦如来を禁むるなり。梵釈四天も如何驚き給はざらん。十羅刹女の頭破七分の誓ひ、此の時に非ずんば何の時か果し給ふべき。頻婆娑羅王を禁獄せし阿闍世、早く現身に大悪瘡を感得しき。法華の行者を禁獄する人、何ぞ現身に悪瘡を感ぜざらんや。 『同一鹹味御書』 梵釈とは梵天帝釈のこと。四天とは四天王(注)のことである。十羅刹女は鬼子母神の娘で、悪鬼羅刹の姿である。彼女たちは法華経をたもつ者を梵天帝釈とともに守護し、敵対する者を責めるという。 頻婆娑羅は古代インドの大国、マカダの王だった。彼は釈尊を厚く崇拝したが、王子の阿闍世は提婆達多(注)の誘惑を受けて父を殺害してしまった。阿闍世はその報いを受けて全身に瘡を生じて重態となったという。 注 自我偈 法華経如来寿量品第十六の「自我得仏来」から「速成就仏身」にいたる文。「自我得仏来」の「自我」の二字をとって自我偈という。 偈(サンスクリット語: gāthā)とは、仏典の記述を韻文形式で記したもの。法華経では詳細に記した後に、要約した内容を偈として繰り返して記す様式となっている。これは経の概要を記憶し口伝で衆生に伝えるために、韻文形式で覚え易くしたものと推測される。 妙法蓮華経は釈尊五十年の説法の極説だが、如来寿量品第十六の自我偈は極説中の極説といえる。釈尊が無量百千万億歳阿僧祇という長遠の過去に成道(成仏)し、その後常に衆生を教化してきたという如来の寿命の図ることができないほどの長さ、そして過去の記憶を余すことなく蘇らせることができるという如来の智慧の深さ、さらに如何にして衆生を無上道に入らしめるかを常に念じているという如来の広大無辺な功徳・慈悲が、漢字五百十文字の偈(詩)に説き明かされている。 「寿量品二十七箇の大事 第廿一 自我偈の事 御義口伝に云はく、自とは九界なり、我とは仏身なり、偈とはことはるなり、本有とことはりたる偈頌なり。深く之を案ずべし。偈様とは南無妙法蓮華経なり」 四天王 三千大世界(宇宙)の東西南北に住して仏法を守護する大王。東に持国天、南に増長天、西に広目天、北に毘沙門天が住する。日蓮大聖人が図現された御本尊では、向かって右上に持国天王、左上に毘沙門天王、右下に大広目天王、左下に増長天王と認められておられる。 提婆達多 Devadatta 釈迦在世当時、仏弟子となりながら退転し、逆罪を犯して釈迦を迫害した悪比丘。提婆達兜・禘婆達多・地婆達多等とも書き、略して提婆・達多・調達ともいう。天授・天熱などと訳す。出生に関しては諸経によって異説があるが、起世経には甘露王の子で阿難の弟にあたるとあり、大智度論巻三には斛飯王の子で阿難の兄にあたるとされ、釈迦のいとこにあたる。幼い頃から釈迦に敵対し、釈迦に与えられた白象を打ち殺したり、耶輸陀羅姫を争って敗れたりした。後に出家して釈迦の弟子となったが、高慢な性格から退転し、新教団を創ったり釈迦を殺そうとするなど五逆罪を犯した。また阿闍世王をそそのかして、その父王を殺させたが、後に阿闍世王は釈迦に帰依し、提婆達多は生きながら無間地獄に堕ちたといわれる。法華経提婆達多品第十二には、釈迦が過去世に修行中、阿私仙人として釈迦の善知識となったのが提婆達多とされ、天王仏として未来成仏の記別を与えられ、悪人成仏の例とされている。
by johsei1129
| 2017-03-18 16:30
| 小説 日蓮の生涯 上
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