日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 09月 18日

八十一、日蓮、出世の本懐たる本門戒壇の大御本尊を建立

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 白衣の弟子たちが人の背丈ほどの、半丸太状の
(くすのき)の巨木をはこび、日蓮の前においた。そして大筆が用意された。

日蓮はこの日の来ることを予見し、あらかじめ御本尊建立のため楠の巨木を用意していた。
 どのようにこの板を調達したか
は定かでない。しかし弟子の僧坊築造を、鎌倉幕府の作事奉行(建築土木部門の統括)を父に持ち、その仕事を受け継いでいる池上兄弟の兄(むね)(なか)に依頼する御書が残っているので、あるいは宗仲に調達を依頼したと考えるのが自然であろう。
 楠を選んだのは(みき)が太く
木そのものが緻密で、耐湿・耐久性に優れていて末法万年に耐えうる素材である故と思われる。また楠の枝葉を蒸留して樟脳(しょうのう)を得るように、木全体から樟脳の香りがし、防虫効果に優れていることもあっただろう。

宗仲の住まいは現在の東京都大田区池上。楠は大田区の「区の木」でもある。また宗仲は日蓮が滅度すると法華経の字数に合わせ69,384(23㎡ 東京ドーム五個分)を寺領として寄進したという。当然楠木が自生していたと考えられる。

日蓮はこれまで信心強盛な弟子信徒一人一人に対し、厚手の丈夫な和紙に図現した一機一縁の本尊を与えてきた。これらの本尊は「子にあらずんば・ゆづる事なかれ。信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ(阿仏房御書)」と厳命している。

熱原の法難を受け、民衆仏法の興隆を感じた日蓮は、いまこそ一閻浮提(いちえんぶだい)総与(そうよ)、すなわち全世界の一切衆生にあたえる大御本尊を建立する時であると決意した。

時に弘安二年十月十二日、すべての信徒が手をあわせ、厳粛に題目を唱えはじめた。

日蓮が半丸太を削った表面に十界曼荼羅(まんだら)を図現すると、弟子の日法が正確に日蓮の筆をなぞり、彫り上げていく。彫り上がると日蓮はあらためて彫跡に墨で文字をしたためていた。「日蓮が魂を墨に染め流して書きて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意(みこころ)は法華経なり。日蓮が魂は南妙法蓮華経にすぎたるはなし(経王殿御返事)そのものだった。
 さらに妙法蓮華経見宝塔品第十一の虚空会の儀式にのっとり、十界を体現する南無釈迦牟尼仏、南無多宝如来、南無上行・南無無辺行・南無浄行・南無安立行の地涌の四菩薩が最上位に並び、声聞、諸天等に続き、仏法を守護する大持国王等の四天王を四隅に配し、
四天王の左右の間には、仏教が月氏国の起源であることの象徴として(ぼん)()で右に不動明王、左に愛染(あいぜん)明王と印し、右下には「仏滅後二千二百三十余年之間、一閻浮提之内未曾有(みぞうう)大曼荼羅也」と宣言、
最後に中央に南妙法蓮華経、その直下に日蓮花押を大書し筆を止めた。
 日蓮が書き上げた大御本尊はその後、門下信徒の職人により黒の漆で塗り上げ、最後に日蓮がしたためた文字を金で仕上げられた。この大御本尊は楠木の選定、伐採から最後の仕上げまで、全て日蓮門下の弟子・信徒の手で仕上げられたと思われる。

板御本尊が完成すると日法は日蓮に許しを請い、大御本尊となった楠の残りの板で一体三寸の日蓮の御影(みえい)像を作ったという。これに日蓮の髪を分けてもらい薄墨をつくり、この御影に染めたという。この御影像は現在、冨士大石寺に安置されている。
 日蓮は三十二歳で立宗宣言し、二十七年後の五十九歳で出世の本懐をとげた。
 日蓮はこの日のことを「聖人御難事で次のように記している。

去ぬる建長五年太歳癸丑四月二十八日に、安房長狭(ながさの)(こおり)の内、東条の郷、今は(こおり)なり。天照大神の御くりや( 厨 )(注)、右大将家の立て始め給ひし日本第二のみくりや、今は日本第一なり。此の郡の内清澄寺と申す寺の諸仏坊の持仏堂の南面にして、(うま)の時に此の法門申しはじめて今に二十七年、弘安二年太歳己卯なり。仏は四十余年、天台大師は三十余年、伝教大師は二十余年に出世の本懐(ほんかい)を遂げ給ふ。其の中の大難申す計りなし。先々に申すがごとし。余は二十七年なり。其の間の大難は各々かつしろしめせり。聖人御難事

日蓮の出世の本懐とはこの大本尊の建立をいう。

日蓮は時がきたことを知った。一閻浮提の一切衆生のための大曼荼羅を建立する時だった。熱原の人々の捨て身の強信によって、永劫に法が伝わる時を感じた。いま百姓という最下層の人々に仏法が息づいている。あらゆる人々が成仏する仏法の普遍性が証明されつつあった。ならばこの仏法は全世界の人々に通じるはずだと。

日蓮は宙を見つめた。

「日蓮が慈悲(こう)(だい)ならば南無妙法蓮華経は万年の(ほか)未来までもながるべし。日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。無間地獄の道をふさぎぬ。いま法華講衆の願いにより宝塔を建立す。法華経如来(にょらい)壽量品(じゅりょうぼん)にいわく、是の好き良薬を今(とど)めて(ここ)()く、(なんじ)取りて服すべし。()えじと(うれ)うること(なか)れ」

日蓮はこの大曼荼羅が一閻浮提総与である証明として、この大御本尊の下に次のように脇書した。

 『右現当(げんとう)二世造立(くだんの)(ごとし)、本門戒壇之願主弥四郎国重 法華講衆等敬白(けいびゃく) 弘安二年十月十二日』

 意味は、右は現在と未来のため、(くだん)つまり本門戒壇を造立せり。願主は法華講衆等の弥四郎国重なり。富士大石寺六十六世法主、細井日達上人は、弥四郎国重とは熱原三烈士の長男神四郎であると明言されている。
 大石寺四十八世の日量が大御本尊の相貌を記す。

一、本門戒壇の板大曼荼羅 一幅

日蓮聖人筆十界勧請(かんじょう)御判の下横に並べ、現当二世の為め(ぞう)(りゅう)(くだん)の如し、本門戒壇の願主弥四郎国重、法華講衆等敬白(けいびゃく)、弘安二年十月十二日と、末代不朽の為に楠の板に書く、厚さ二寸二分(7cm)(たて)四尺七寸五分(1m44cm)横二尺一寸五分(65cm)なり、彫刻は中老僧日法に之を仰せ付けらる、地黒(ぬり)文字金色なり、広宣流布の時に至り勅宣(ちょくせん)()教書(きょうしょ)申請(もうしう)け富士山に本門寺戒壇を築く可き用意として兼て之を造り置かる。(この)御本尊は宗門の肝心、蓮祖出世の本懐、日興所属の簡要、当山霊宝の随一なり。  富要第五巻『富士大石寺明細誌』

ここに日蓮が生涯の目的とした三大秘法が完成した。本門の本尊、本門の戒壇、本門の題目である。

この三大秘法はこの大御本尊があらわれ、はじめて完結した。しかもこの大御本尊こそが三大秘法をたばねた一大秘法である。この一大秘法はまた三大秘法と開き、万法へと展開する。
 大石寺
二十六世の日寛は語る。

問う(しか)らば三大秘法開合の相如何。答ふ実には(これ)一大秘法なり、一大秘法とは即本門の本尊なり。此の本尊所住の処を名づけて本門の戒壇となす。此の本尊を信じて妙法を唱ふるを名づけて本門の題目となすなり。故に分かちて三大秘法となすなり。又本尊に人あり法あり、戒壇に義あり事あり、題目に信あり行あり、故に開して六義をなす。此の六義散じて八万法蔵となる。例せば高僧伝に一心とは万法の惣体(そうたい)分かちて(かい)定慧(じょうえ)となり、散じて万行となると云ふが如し。

当に知るべし、本尊は万法の惣体なり。故に之を合する(とき)は八万法蔵但六義となり、亦此の六義を合する則は但三大秘法となる。亦三大秘法を合する則は但一大秘法の本門の本尊となるなり。故に本門戒壇の本尊を亦三大秘法惣在(そうざい)の本尊と名づくるなり。 『依義判文抄

日蓮亡きあと、大石寺歴代の貫主はこの大御本尊を手本として書き写し、新たな本尊を建立して弟子檀那に授与しつづけ、今にいたっている。

日蓮はまたこの本尊の書写について遺言している。

又御本尊書写の事、予が顕し奉るが如くなるべし、()し日蓮御判と書かずんば天神(てんじん)地祇(ちぎ)もよも用い給わじ、上行無辺行と持国と浄行安立行と毘沙門(びしゃもん)との間には若脳乱者・頭破七分・有供養者・福過(ふくか)十号と之を書す可きなり、経中の明文等心に任す可きか  百六箇抄

本尊に「日蓮御判」の文字がなければ効力を失う。

さらに地涌の菩薩と四天王のあいだに「()し悩乱する者は(こうべ)七分に破れん」「供養する有らん者は福十号に()ぐ」の文を記せという。十号とは教主釈尊をいう。如来、応供、正徧知、明行足、善逝(ぜんぜい)世間(せけん)()、無上士、天人師、調(じょう)御丈夫(ごじょうぶ)、仏世尊。いずれも釈迦の徳を讃えている。本尊に題目を唱えることは、十号の釈尊を供養するよりすぐれている。


 そもそも大御本尊の中央にしたためられた南無妙法蓮華経は何を意味するのか。
 日蓮は自身の法門を全て付属した弟子日興に口伝した「御義口伝」で南無妙法蓮華経についてこう述べている。

南無とは梵語(ぼんご)なり此には帰命(きみょう)と云う。人法(これ)有り、人とは釈尊に帰命し奉るなり、法とは法華経に帰命し奉るなり。又帰と云うは迹門不変(ふへん)真如(しんにょ)の理に帰するなり、命とは本門(ずい)(えん)真如(しんにょ)の智に(もとづ)くなり。帰命(きみょう)とは南無妙法蓮華経是なり。

釈に云く(ずい)(えん)不変(ふへん)・一念(じゃく)(しょう)と。又帰とは我等が色法なり、命とは我等が心法なり、色心不二なるを一(ごく)と云うなり。釈に云く一極に帰せしむ故に仏乗と云うと。又云く南無妙法蓮華経の南無とは梵語(ぼんご)、妙法蓮華経は漢語なり。梵漢(ぼんかん)()()に南無妙法蓮華経と云うなり。

又云く梵語には()達磨(だるま)芬陀梨伽(ふんだりきや)蘇多覧(そたらん)と云う。(ここ)には妙法蓮華経と云うなり。

()は妙なり、達磨(だるま)は法なり、芬陀梨伽(ふんだりきや)は蓮華なり、蘇多覧(そたらん)は経なり。九字は九尊の仏体なり、九界即仏界の表示なり。妙とは法性(ほっしょう)なり法とは無明(むみょう)なり、無明法性一体なるを妙法と云うなり。蓮華とは因果の二法なり、(これ)(また)因果一体なり。経とは一切衆生の言語音声(おんじょう)を経と云うなり。釈に云く声仏事を為す之を(なづ)けて経と為すと。(あるい)は三世(じょう)(ごう)なるを経と云うなり。法界は妙法なり、法界は蓮華なり、法界は経なり、蓮華とは八(よう)(そん)の仏体なり()く能く之を思うべし。

南無はナムという梵語(サンスクリット)に漢字の音を当てている。ナムは敬うという意味で、妙法蓮華経を敬う、つまり帰命することを意味する。
 南無妙法蓮華経とは、
妙法蓮華経に帰命し体現している存在、つまり久遠元初の如来を意味している。
 妙法蓮華経は梵語では薩(sad)達磨(dharma)芬陀梨伽(puṇḍarīka)蘇多覧(sūtra)となる。

サは正しい、優れたという意味だが鳩摩羅什(くまらじゅう)は妙と漢訳した。釈尊がこの教え(法華経)は難信難解(なんげ)と説いたことに基づくと、妙とは不可思議の意と考えられる。ダルマは法で、プンダリーカは白蓮華を意味する。スートラは経である。つまり妙法蓮華経とは白蓮華のような不思議な教えとなる。なぜ釈尊は白蓮華を妙法の象徴として用いたのか。白は清浄を意味し、(とん)(じん)()に犯されていないことを意味する。また蓮華は他の草花や木花と異なり泥中(でいちゅう)に咲く。泥中は煩悩を意味し、泥中から養分を汲み取り清浄な大輪の花を咲かせる蓮華は、煩悩(ぼんのう)(そく)菩提(ぼだい)を象徴する。また蓮華は花が咲いている時に蓮根という実を同時に持つ。これは因果()()を象徴する。
 それでは、貪・瞋・癡の三毒に侵されず、煩悩即菩提、因果具時を備えた妙法そのものとは何か?
 日蓮は御義口伝で「妙法蓮華経の法体とは一切衆生の慈悲心なり」と断言している。
 つまり妙法とは一切衆生に内在する仏性であり、それは慈悲心であり、大御本尊に南無(帰命)するとは己自身の命に内在している仏性、つまり慈悲心を開くことを意味している。

同じく釈尊は妙法蓮華経方便品第二で「(にょ)我等(がとう)無異(むい)(我がごとく等しくして異なること無らしむ)」と説いて、自分と同じように(衆生の)仏性を開いて慈悲の当体に為すと宣言している。

そして釈迦は妙法蓮華経譬喩品第三で、舎利(しゃり)(ほつ)が将来華光(けこう)如来となるという記を与えるのを皮切りに、(りょう)鷲山(じゅせん)での法華経の説法の座に連なった比丘(びく)(出家僧)比丘尼(びくに)(出家尼)()()(そく)(俗男信徒)()()()(俗女信徒)対し次々と将来仏になるという記別を与えていく。法華経を説く以前は声聞、縁覚らの二乗は成仏しないと責め続けていた釈尊が法華経の説法の座で、ある意味乱発とさえ思われるほど記別を与え続けたのは一体なぜなのか? それは妙法蓮華経が三千大世界を貫く諸法を極めた究極の教えであり、 この妙法蓮華経を受持し、他の衆生にも説き、また説かせるならば必ず仏になることを意味していたからである。

そして外用(げゆう)法蓮華経神力品第二十一で釈尊滅後の妙法蓮華経流布の付属を受けた地涌の菩薩の上首・上行菩薩の再誕、本地は末法の本仏日蓮大聖人は大御本尊を建立し「願主弥四郎国重(くにしげ) 法華講衆等敬白(けいびゃく)としたためることで、大御本尊に帰命(きみょう)する末法の華講衆てに対し、未来世で仏になるとする記を与えたのである。


                        八十二、三烈士、霊山に旅立つ につづく


下巻 目次 


御厨

「みくり」とも読む。皇室や貴族、神社の所領で、食物を調達する所。後に貢納物を献上する土地をさすようになった。吾妻鑑巻三によると、日蓮の出生地の安房国(千葉県南部)東条には、寿永三年(一一八四)源頼朝が伊勢大神宮に寄進した御厨があったとある。



by johsei1129 | 2017-09-18 09:55 | 小説 日蓮の生涯 下 | Comments(0)


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