日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 09月 17日

七十六、 熱原の三烈士

  熱原は今の静岡県富士市、富士山南麓の田園地帯である。

ここに夕暮れがさしていた。

百姓たちが農作業を終えて家路についた。

汗まみれの三人がいた。熱原郷の百姓、神四郎、弥五郎、弥六郎である。

三人は(くわ)かつぎながら歩いていた。

日に焼けた弥五郎が元気なくつぶやいた。

「今年もなんとか実ってくれればのう」

弥六郎が首をひねる。

「わからんぞ。いつぞやひどい旱魃があったからのう。油断はできんわい」

「まったく百姓は天気次第だ。豊作になっても地頭に借金をかえして、やっとの思いで年を越すだけだ。不作で文無しなら下人におとされる。武士がうらやましいのう。われらは天気に左右され、地頭にふりまわされ、女房子供に小言をいわれ、働きづめで一生をおわる」  

神四郎がやんわりとたしなめた。

「こら、なにをいっている。そんな弱気では、はやり病にかかるぞ。病は落ちこんだ者にとりつくというからな。元気をだせ」

弥五郎が揶揄(やゆ)した。

「神四郎はいいのう。愛らしい嫁さんがいるから」

神四郎がむきになった。

「ばかをいうな。つらいのはわれわれだけじゃないぞ。侍だって、むくりがおしよせれば、どうなるかわかったものか。対馬や壱岐や筑紫をみろ。(いくさ)で死ぬ武士がたくさんでたのだ。われわれはまだいい。命はあるからな」

「それはそうだが・・あ、そうだ。今晩寄りあいがあるぞ。庄屋の家だ」

「なんだ用件は」

「田んぼの水引のことだ。今年もあぜを直さなければいかんでな」

「それだけか」

「いや。なんでも鎌倉から念仏のえらい坊さんがくるという話だ」

弥六郎がよろこんだ。

「そいつはめずらしい。いってみるかな。神四郎はどうする」

「おれは行かぬ。念仏の坊さんは陰気すぎる。話をきいていると気がめいる」

弥五郎と弥六郎がまた笑った。

「これ神四郎、そんなことでは罰があたるぞ。なんでもよい、ありがたく聞くことだ。百姓を相手にしてくれるのは、念仏の坊様しかないではないか。気がめいっても我慢することだ」

彼らはいつものように滝泉寺の前をとおった。

古い天台宗の寺院である。ここで二十九歳になった日蓮の一の直弟子,伯耆房日興がこの寺院を最前線として富士山の南、熱原の布教に全力を注いでいた。

伯耆房は若い僧侶三人を相手に法華経を説いた。

若い僧とは下野(しもつけ)房日秀、越後房日弁、頼円の三人である。みな真剣に聞いている。伯耆房の話は念仏僧のように辛気くさいものではない。ときおり笑い声もひびいた。

この寺の前を神四郎たちが歩いてきた。

神四郎がなぜか立ち止まった。彼は垣根ごしの伯耆房を見た。

「だれだ。あの坊様は。みかけない顔だな」

弥五郎と弥六郎は気づかずにとおりすぎていく。

伯耆房の口調はいつになく強い。

「みなさんが信奉しておられる天台宗は堕地獄の原因です。比叡山延暦寺の第三租、円仁慈覚は根本尊敬の法華経に下劣の大日経を取りまぜて、法華経の功力をふさいでしまった。法華経をほめるといえども法華の義を殺すとはこのことです。この流れが四百年続いている。源濁れば、流れ清からず、師堕ちれば弟子墜ちるという。邪義を捨てて早く正法の法華経に帰せねばなりません。さて、この正法を修行するに広・略・要の三種がある」

日秀たちがうなずいた。伯耆房の話は彼らにとって衝撃的だった。

「皆さんが信じる天台の教えは、末法の世にはいって功力を失っている。修行をしても証しはありません。いわば去年の暦です。末法は天台宗などの広略を捨てて肝要をとる。この根本である肝要の修行こそ南無妙法蓮華経の御本尊に帰依することなのです」

頼円がうなずいた。

「要の修行か」

「そのとおり。本門の題目、本門の本尊、本門の戒壇に帰するのが我らが日蓮聖人の教えなのです」

日秀がうなずいた。

百姓の神四郎が垣根ごしに伯耆房の説法に聞き入っていた。

伯耆房が百姓姿の神四郎に気づき、笑顔で会釈する。神四郎は伯耆房に挨拶され一瞬戸惑うが、すぐに頭に巻きつけていた手ぬぐいをとり、深々と頭を下げた。

先を歩いていた弥五郎の呼びかける声がする。
「おーい、あにい、早く帰るぞ。明日は早いでな」

神四郎がわが家に帰った。

妻子が出むかえる。子供が神四郎にだきついた。

「お父、きょうはどんなことがあった」

「今日は土おこしで一日おわった。もうすぐ種まきが始まるから、もうすこし急がんとな」
「それはそれは暑い中、大変でしたねお。いつもご苦労様です」

妻は一言、神四郎をねぎらうと、すぐに夕餉の支度をはじめた。

 ふと神四郎が竜泉寺で見た僧侶のことを思いだした。

「そういえば、今日滝泉寺の寺の前をとおりかかったらな、初めて見る坊さまが説法していなさった。わしと目が合ったから、なにか叱られるかと思ったら、坊様の方から笑ってあいさつしたんで、びっくりした。わしの恰好がよっぽどおかしかったのかな」

「滝泉寺の坊様はいつも偉ぶっているから、いいお坊様が来てよかったね、お父」

子供は父の楽し気な話しぶりに、笑顔で相槌をうった。

「その坊さまはな、なにかこう力強く話されていたぞ。まるで武士のような話しかただった。あんなお坊さんは初めてだ」

神四郎の妻は夫と子供の話を聞いているだけで一向にとりあわない。


滝泉寺はもともと天台宗の寺院である。

この寺は悪評が高い。かつては人々に慕われていたが、寺の主がかわったとたん百姓を苦しませたからである。

滝泉寺に新しく赴任した役人は常軌を逸していた。役人の名は平左近入道行智という。肩書は院主代である。滝泉寺・院主代理人の意味だ。この行智は破戒の僧と組んで信じられない行動をはじめた。

まず川に毒をまいて漁をした。さらに自ら魚を焼いて貪べ、のこりを村里で売った。山では鹿を撃ち取っている。僧侶が山で鹿を追いこんで捕獲し食い物にする。現代でもさすがにこんな僧はいないのではあるまいか。

この時代、毒流しや焼狩といった狩猟法が記録にある。毒というのは一種の麻酔薬であろう。焼狩というのは山野に火を放ち、逃げ出した鳥獣を獲った。一般的な狩猟法だが、不殺生戒を保つ僧侶にとって考えられない所業である。

釈迦の滅後二千年の末法にいたって、仏法の荒廃がはじまっていた。末法とは釈迦の教法が滅尽する時をいう。釈迦は大集経(だいしゅうきょう)で自ら「大覚世尊、月蔵(がつぞう)菩薩に対して未来の時を定め給えり。所謂(いわゆる)我が滅度の後の五百歳の中には解脱(げだつ)堅固(けんご)、次の五百年には禅定(ぜんじょう)堅固已上一千年、次の五百年には読誦(どくじゅ)多聞(たもん)堅固、次の五百年には多造(たぞう)塔寺堅固已上二千年、次の五百年には我が法の中に於て闘諍(とうじょう)言訟(ごんしょう)して白法(びゃくほう)隠没(おんもつ)せん」説き、自分の仏法が効力を失い、(いさか)いが絶えず、戦争がおきることを予言している。

法の荒廃はまず人からはじまる。人をみちびくはずの僧侶に退廃がはじまっていた。その堕落ぶりは現代よりもひどかったのではないか。

日蓮は当時の僧侶の堕落ぶりについて次のように記している。

 

僧の中にも父母師匠の命日をとぶらふ人はまれなり。定めて天の日月・地の地神いかりい()どおり給ひて、不孝の者とおもはせ給ふらん。形は人にして畜生のごとし、人頭(にんず)鹿(ろく)とも申すべきなり。  四条金吾殿御書』 

まず僧侶は父母師匠の命日を省みなくなったという。不孝の者は頭が人で、その下は鹿であるという。日蓮は不孝の者にまったく手きびしい。父母師匠の命日を祈らないのは、現代にはじまったことではなかった。
 日蓮はまた女性を犯す僧侶が数多くいると指摘している。信じられない話だが、彼らは他人の妻を犯すという。日蓮は地獄のうちの一つ、集合地獄を説明して高僧の邪淫を糾弾している。

殺生(せっしょう)偸盗(ちゅうとう)の罪の上、邪淫(じゃいん)とて他人のつま()を犯す者此の地獄の中に()つべし。而るに当世の僧尼士女、多分は此の罪を犯す。(こと)に僧にこの罪多し。士女は各々互ひにま()り又人目をつゝまざる故に此の罪ををかさず。僧は一人ある故に淫欲(いんよく)とぼ()しきところに、()(はら)むこと有らば父たゞ()されてあらはれぬべきゆえに、独りある女人をばをかさず。もしや()くるゝと他人の妻をうかゞひ、ふかくかくれんとをもふなり。当世のほかた()とげなる僧の中に、ことに此の罪又多かるらんとをぼゆ。されば多分は当世た()とげなる僧此の地獄に墮つべし。『顕謗法抄

悪僧は独身女性を避け、人妻を犯すという。僧の中でも高僧にこの例が多いという。日蓮は実名こそあげていないが、当時の有名な僧であったろう。「ふかくかくれんとをもうなり」とある。悪僧は汚れた動機で衆生に説法していたのである。人頭鹿以下であろう。

これらは一例にすぎない。

退廃しきったすえに僧団は荒れはてた。人肉を食べる僧まであらわれたのだ。院主代の行智の凶行は、釈尊が大集経で「於我法中闘諍言訟白法隠没(我が法の中に於いて闘諍言訟して白法隠没せん)」と説いた悪世末法がもたらした影の一面といってよいだろう。

滝泉寺の庭ではその行智が酒をくみかい、鹿の肉にむさぼりついた。彼だけではない、村の役人までいた。行智は口のまわりを血だらけにして悪行を重ねていた。もはや出家僧として守るべき戒律を破ることに、なんの羞恥心もなかった。

百姓は遠くであぜんとしてながめているだけである。

弥五郎が怒る。

「あれでも坊主か。生き物を殺生しその肉を食う。むかしはあんなことはなかった。世も末になってきたのか」

神四郎が庄屋にせまった。

「とめてくだされ。あれでは作物がとれませぬ。大事な池に毒をまいて山を荒らしては皆を困らせている。百姓は逃げだしますぞ」

庄屋は百姓たちをなだめた。

「しんぼうするのだ。あの行智様は他でもない、平の左衛門尉さまの血筋のお人じゃ」

百姓たちがおどろいた。平頼綱の悪評はこの田舎でもとどいている。

「みなの者も知っておろう。左衛門尉様は鎌倉様の執事をつとめるお人じゃ。さからえばどうなるかわかったものじゃない。みんな、ここは穏便にいくのじゃ。こらえろ、こらえろ」

百姓らは庄屋の説得に反駁することもなく黙って聞いていた。

庄屋が念をおした。

「さからってはならぬぞ」

神四郎は行智の荒ぶる姿をいつまでも凝視し続けていた。

富士一帯の日興による布教の進展に暗雲がたれこめていたのである。

夜、庭に面した滝泉寺の縁側に伯耆房を中心として若い僧侶があつまった。

灯心がみなの顔を照らす。

彼らは伯耆房に深々と頭をさげて恭順の意を示した。日秀、日弁、日禅、頼円の四人である。

同じ寺で魚を食い、鹿を食う者がいる。光景は対照的である。 

伯耆房が四人の入信に喜んだ。

「念仏は無間地獄の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、律宗は国賊のあつまりです。過去に法華経の結縁強盛なるゆえに、現在にこの経を受持した。未来に仏とならんこと疑いあるべからず」

この様子を百姓の神四郎が庭先で眺めていた。彼は伯耆房の話が忘れられず、暇を見つけては滝泉寺に来ていた。

神四郎がふと気づくと、弥五郎と弥六郎がいつのまにかそばにいた。かれらも伯耆房の話が気になっていた。

ここで頼円が百姓の三人に気づいて追いはらおうとした。
「これ、なにを見ておる。おまえたちには関係はないぞ」

しかし伯耆房がとめた。聞かれていることを気にしないようすである。

それをとらえ、垣根ごしに神四郎がたずねた。

「熱原の百姓、神四郎と申します。ごらんのとおりわれらは、しがない百姓です。百姓の身分でも、お坊様のいう法華経を(たも)つことができるのでしょうか」

伯耆房は笑みを浮かべて答える。

「わが師匠日蓮聖人は漁師の子として生まれました。殺生をいとなむ下賤の者です。天竺ではこれを(せん)()()といいます。その旋陀羅の身分の日蓮聖人が、釈尊の教えで最も優れた法華経を広めているのです。人の命をつなぐ尊い米を作る百姓のあなたが、法華経をたもてないわけがないのです」

弥五郎はまだ納得できない。

「信じられませぬな、そのお話は。第一いまの世は荒れ放題でござる。飢饉があり、いくさもある。そのうえ疫病もはびこっています。生きていくのがやっとでございます。坊様は魚を食い、肉を食らう。教えといえば今でなく来世に成仏できる話ばかり。われらが仏様の命をたもつなどとは、とうてい信じられませぬ」
 日弁がしかった。

「これ、だまらんか。俗の身分で僧侶に説法するのか」

だが伯耆房が日弁をとめていう。

「お三人ともよくこられました。ではこの灯明を見てごらんなさい。たった一つの灯りなのに、みなさんを分け隔てなく照らしている。法華経の徳とはこれと同じなのです。そして賢者が持っても、愚者が持っても、燈明の効能に変わりはありません。男にも女にも平等に光をあたえる。法華経を信ずることは自分の胸の内に灯をたくことなのです。他人を救済するために法華経の灯をともせば自分の前も明るくなるのです」

弥六郎がくいさがった。

「なんとしても信じられませぬな。世には成仏が遠い者がおります。わたしもその一人です。わたしのような鈍根の者が仏の命をあらわすというのは、まやかしではございませぬか。人には公家・武士・百姓の差別があるように、成仏できない者もいるはずです」

灯火の下、伯耆房は弥六郎の方を向き、さらに説法を続ける。伯耆房は、法華経に興味があるからこそ弥六郎が反論してくると見抜いている。

「仏道にはいる人にも機根に上中下の三つがありますが、それぞれ一生のうちに仏界をあらわします。上根の人は聞くと直ちにさとりをひらく。中根の人は一日、一月、一年のうちにあらわします。下根の人はのびゆくところがなくてつまってしまう。さりながら一生はかぎりあることであるから、臨終の時にいたり、もろもろにみえる夢がさめるように、今まで見ていたところの生死妄想のひが思いはあとかたもなく消え、さとりの目ざめに帰りて法界を見れば、みな寂光の極楽であり、日ごろ卑しと思っていた我が身が、三身即一の本覚の如来であるとさとるのです。たとえば秋の稲には(わせ)(なか)(おく)と三つあれども、一年のうちにおさめるがごとく、仏道も上中下の差別ある人なれども、おなじく一生のうちに諸仏如来と一体不二となります」

神四郎が熱意を込め懇切丁寧に農民衆に説法する伯耆房に思わず手をあわせた。

伯耆房日興による甲斐、駿河方面の布教の勢いがとまらない。

滝泉寺の大坊では伯耆房の法話を、天台宗の僧侶ら、また男女問わず多くの農民が熱心に聴聞していた。その中に神四郎、弥五郎たちもいた。

伯耆房が厳粛につげた。

「このたびは法華経の行者となり、日蓮聖人の一門となったならば強盛に信心をとおしなされ。聖人と同じ思いで信心するならば、法華経で説かれる悪世末法に出現するという地涌(じゆ)の菩薩であろうか。もし地涌の菩薩に定まりなば、釈尊久遠(くおん)の弟子である事を疑うべきではない。末法にして妙法蓮華経の五字を弘めんとする者は男女はきらうべからず。この題目は、皆地涌の菩薩の出現にあらずんば、唱えがたき題目なのです」

説法が終わると、参集していた信徒衆が宝殿に掲げられた御本尊にむかい、伯耆房を導師としていっせいに「南無妙法蓮華経」と唱題をはじめた。

この時、院主代の行智とその一味があらわれた。行智は自分の寺で勝手な布教をする者がいることを探知していた。

行智が目を怒らせる。

「まてい。わしの寺でなにをしておる。そのほうは」

「伯耆房日興と申す。ただ今日蓮聖人の教えを説いているところでございます」

行智の表情がくもった。

「日蓮の手下か。仏法を学びながら中身は外道の教えとおなじだ。正しい教えをまげて邪義におとしめる者ども」

伯耆房の目が鋭くなった。

「法華の正義をもって外道の邪教と称するはいずれの経、いずれの論でありましょう。浅い教えを破折(はしゃく)するのは、日蓮聖人のはかりごとではない。これみな教主釈尊の御口から出たこと」

行智は聞かずに手下の者に聴衆を立ちのかせた。百姓はおそれをなして逃げだしていった。

行智は伯耆房も部外者であるとして擯斥(ひんせき)した。対論などには応じない。力ずくで追いだした。日蓮の時と同じく、はやくも迫害がはじまった。

この夜、行智と日秀、日弁、日禅、頼円の四人が経机をはさんで対峙した。机には紙と硯がおいてある。

行智は四人の主人であるかのように、にらみをきかせた。

「わしは平の行智である。平の頼綱様の血筋の者だ。頼綱様がこの日本の武家の棟梁であらせられることは知っておろうな。このわしも頼綱様も念仏をたもっておる。いや日本国の民百姓が南無阿弥陀仏を唱えている。手荒なことはせぬ。今ここで証文を書け。日蓮の邪教はうけず、念仏だけを唱えるとな。しかと誓えば幕府にもとりなして権の僧正にでも取りたててやろう。書かずば一生乞食坊主のままだ」

沈黙がつづいた。

四人のうち、頼円がたえきれず硯の前にすわった。

「わたしは争いごとは好かぬ。わたしは念仏の教えも日蓮殿の教えも、どちらでもよい。僧侶はいずれであれ修行して位をつみあげていくのが一番とぞんずる」

頼円は怠状を(したた)め、そそくさと出ていった。

のこった日秀ら三人は、行智がいくら促しても一向に起請を書こうとしなかった。

行智がついにあきらめた。

「どうやら心がわりはないようだな。わかった。ではこの寺を立ち去れ。いずこでも野たれ死にするがよい」

ここで日弁が抵抗した。

「またれい。行智殿はわれら僧侶の罷免はできぬはず。貴殿はこの滝泉寺の代官であって住職ではない。代官の身で僧侶に手だしするのは無用でござる。もし不実にもわれらを(ひん)(ずい)するならば、式目の法にまかせて問注所に訴えますぞ」

行智が不敵にも笑みを浮かべて立ち去った。

鎌倉の大路では平頼綱の親子が馬にまたがり進んでいた。

頼綱には二人の子がいた。長男の宗綱、次男の為綱である。二人は父につづいてゆっくりと馬をすすめた。

町民は恐ろしいものを見るように、いっせいに道をあけ、地面にかしづいた。

頼綱は執権時宗の威をかり、幕府権力を一手ににぎっていた。彼に意見がいえるのは主人時宗と安達泰盛しかいない。こうなればいやでも横暴になる。したがって庶民の頼綱親子にたいする見方は辛辣だった。さらに庶民は権力なるものに生理的に反発する。鎌倉の町民は服従したかのように見せていたが、この親子を蛇でも見かのよう()に忌み嫌っていた。

その時、日妙と娘の乙御前がにこやかに大路を歩いていた。だが頼綱親子に気づいてとっさにふせた。

弟の為綱はとおりすぎる者に睨みをきかし、わめきちらした。おとなしい長男とちがって弟は父親の凶暴をそのまま引きついだ。

「どけ、左衛門尉様のお通りなるぞ」

為綱の鞭で一人の町民が背中を打たれた。悲鳴をあげて倒れた町民の背から血がながれる。まわりにいた者たちがあわてて手ぬぐいで血をふき取り、抱えて治療のために近くの寺に連れていった。

為綱はそれを見てあざけ笑っている。父の頼綱は見て見ぬふりをし、長男の宗綱は逆におろおろしている。

日妙が頼綱親子の背をにらんだ。

この夜、竜泉寺の行智は駿河から鎌倉へはいり頼綱邸をおとずれた。

坊主頭の行智が酒を飲む。下女が酌をした。

そこへ頼綱が帰ってきた。

「おお、来ておったか」

頼綱が目くばせし、女がさがった。

灯心の下、盃を鳴らした。

頼綱はにこやかだった。

「ひさしぶりだの。おぬしのうわさは聞いておるぞ。わしの血縁であることをいいことに、寺院を支配してやりたい放題とな」

行智はにこりともしない。

「ほう、噂はここまできておるか」

頼綱がたしなめた。

「度を越さぬほうがよい。寺につとめる身だ。坊主の身で鹿や魚の肉など食わぬほうがよい。時宗様はそういうことにはうるさいお人だからな」

行智は盃を口にふくんでいった。

「あの滝泉寺はつまらぬ。毎日毎日、坊主の経を聞いてみろ。侍につかわれていたほうがましだったわ」

行智はにわか坊主だった。僧侶など、世をわたる手段にすぎない。頼綱の周旋で頭をまるめて院主代になっただけである。この時代、僧侶のほとんどがこのたぐいである。日蓮はかれらを食法(しょくほう)餓鬼(がき)といってはげしく攻撃した。

頼綱が不気味に笑う。

「おぬしらしいのう」

「いまは末法の世だ。釈迦の教えなど、すたれきっておる。鹿を殺そうと魚を食おうと、なにをしても勝手だ」

頼綱は聞きあきたようにいった。

「それはそうと。今日はなんの用だ。わしも先日の火事の後始末や蒙古の一件でいそがしいのでな」

行智は本題にはいった。

「わしの寺のことだ。寺の内部でわしに逆らう若僧がいる」
 頼綱が笑った。

「そうであろう。おぬしはやりすぎだ。若い坊主の言い分はもっともだろうて」

行智が盃をおいた。

「その若僧は法華経を信ずるといいだしておる」

「なに、法華経・・」

頼綱の顔つきがかわった。

「やつら南無阿弥陀仏ではなく、南無妙法蓮華経と唱えておる」

頼綱が唇をかんだ。

「日蓮め、そこまで手をだしているのか。あの一帯は北条の地だ。われらの土地にまで足を踏みいれたか。ただではすまぬぞ」

「悪いことに百姓までが信じだした。わしも年貢は欠かせぬ。百姓が宗旨替えをするのはこまる。やっかいだわい。できれば根絶やしにしたいが」

頼綱がしばらく考えた。

この日本国でだれもが自分になびくのに、日蓮だけは(ぎょ)しがたい。首を斬ろうとしてもひるまず、幕府の誘いも蹴った。統率する者にとって、日蓮ほど厄介な存在はない。その日蓮の弟子が、佐渡赦免いらい本格的に布教をはじめている。権力と妥協しない日蓮門下は、御家人以上に脅威である。これをくいとめる方法は弾圧しかない。

「よし、こうするか」

頼綱は行智に日蓮門下弾圧の策を授け、満足した。

「これで日蓮はつぶれる。こんどこそ」


          七十七、法華講衆の苦闘 につづく


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by johsei1129 | 2017-09-17 23:36 | 小説 日蓮の生涯 下 | Comments(0)


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