日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 09月 17日

七十一、日蓮、弟の宗長を諌暁

兄宗仲は手斧を水につけて磨いていた。そのあと、のこぎりをヤスリでみがく。宗仲はここ数ケ月の心労でやせ細った。意地だけで生きていた。

うしろで子供が寝ている。

宗仲が手斧や鋸をならべた。そして仏壇にむかう。

妻は背をむいたままだった。

「どうした」

妻が疑いの目で夫をみた。

「弟君のことでございます。あなた、宗長様はほんとうに信用できるのですか」

「なにをいう。弟はわしと一心同体だ」

「先日、極楽寺良観様から宗長様の宅へ貢ぎ物があったこと、あなたご存じでしたの。そのお礼に宗長様が極楽寺へお尋ねになったのですよ」

宗仲は動揺をかくす。

「まさか。そんなことがあろうはずがない。たとえそうだとしても、宗長なりの考えがあるのだろう」

「いいえ。宗長様は弟の身で池上を継ぐおつもりです」

「なにを申す。弟を侮辱するのか」

妻は唇をかみしめた。

「侮辱などしておりませぬ。わたくし、くやしくて・・あなたの勘当を良いことに、弟が跡目をねらっているのです。どうして弟なんぞに負けなければいけないのです」

「おちつくのだ。なにを思いつめている。奉行の職になんの値打ちがあるというのだ。いままで信心してきたのはなんのためだった。今が肝心なのだ。今こそ強盛の信心で魔を退治する時なのだ」

「どうやって」

宗仲が妻に数珠をわたした。

そして夫婦そろって仏壇にむかい、手をあわせた。

妻がくやしげになんども涙をふいた。

翌日、弟宗長は父と対面した。父康光の横では母がしおれたようにすわった。

康光がうなるように告げる。

「じつはな。兄を勘当した以上、跡目を決めねばならぬ。宗長、そなたしか池上を継ぐ者はおらぬ。兄のことなど考えるな。そなた自身の問題だ」

宗長が哀願した。

「父上、時がたてばきっと兄上の気持ちがおわかりになります。なにとぞお考えください。わたしなど、池上の統領になる素質などありませぬ」

康光がせまった。

「宗長、時間がないのだ。まごまごしておれば、作事奉行の職は取りあげられるぞ」

宗長は驚愕した。

「幕府をあまく見るな。後継ぎでもめておれば、鎌倉殿からきつい仕置きがある。奉行の職をねらっている御家人は多いのだ。良観様もだまってはいない」

母が加勢した。

「宗長、わかっておくれ。家を守るために池上を継いでおくれ。兄は日蓮につきました。お前だけは念仏を信じて池上を継ぐのです」

宗長が苦悶の表情をみせる。

父がとどめをさすようにいった。

「そなたが念仏を信じれば、一生、良観様が守ってくださる。安心しろ。棟梁になれば安心だ。もう日蓮の手合いとも会わずにすむぞ」

信仰の是非と家の興廃が一気におしよせてきた。宗長は窮し、しばらくして言った。

「父上、考える(いとま)をくださいませぬか」

父が弟の目を見すえた。

「三日後に跡目相続の儀をおこなう。宗長、猶予はならんのだ。お前のことだ、良い返事をまっているぞ」


建築現場では兄の宗仲が職人にまじって働いていた。
 執権の館は完成間近だった。

大工が宗仲に声をかける。

「ちかごろ、弟君の姿を見かけませぬな」

宗仲は関心のないふりをした。心配してもどうなるものでもない。

そこに康光が登場した。

みな地に片手をつけて平伏した。

「よい知らせがある。完成披露は、時宗様がじきじきにおみえになる」

一同が静かなよろこびにわいた。

「油断のないよう。とくに火は厳禁である。ぬかるな。あわせて達しがある。このたび作事奉行の跡目を、次男宗長にゆずることとした」

一同が驚き、だれもが兄の顔を見やった。

康光はつづける。

「宗長はかならずわが家を継いでくれるであろう。でなければ池上は断絶となる。跡目相続の義は三日後、わが館で行う。幕府の面々が参集する。ぬかるでないぞ」

康光が去った。

入れかわりに、苦渋にみちた宗長がでてきた。宗長はまだ決心がついていない。

彼は兄の前に立った。

「困りました。父にそむけば作事の家は断絶。父につけば兄上が・・」

兄の目はやさしかった。

「宗長、こうなった以上、お前の考えで決めるがよい。わしはなにがあっても法華経の行者として生きる。お前がわしを捨てても、わしは恨まぬ。お前自身できめよ」

兄がさびしく去った。大工たちも宗長に背をむけた。

弟がひとり立ちつくした。

極楽寺では僧侶と所化がいそがしく働いていた。

仏事ではない。

運びこまれた銅銭を数えて中央の穴に糸をとおし、積みあげていた。その横では、絹の反物が積まれていった。

良観と弟子の入沢入道がこの様子をながめる。

入沢が報告した。

「上人様、和賀江の運上金が順調でございます」

良観がうなずいた。

「いま木材の値が上がっておる。あの火事のおかげだ。忘れるな、買い占めておけ。鎌倉の普請や作事が活発じゃ。木材の値はつりあがるぞ」

実業家の良観は抜け目ない。極楽寺は商売ぬきでは維持できなかった。ここに仏の法があるのだろうか。

入沢には気になることがあった。

「お師匠さま。池上の件についてですが、三日後に跡目相続がございます。父親は兄を勘当して弟に無理やり奉行をつがせようとしております。はたして弟は決心するでしょうか」

良観が弟子の目の奥をみた。

「すでに既成の事実はつくられた。あの弟はわれらが敷いた道を歩けばよいのだ。楽なものではないか。弟はわれわれのもとにくる。

あたりまえだ。来世ではなく、今世の功徳こそ人の生きがいではないか。どこの世界にあるかわからぬ浄土よりも、人は目の前の極楽が大事なのだ。弟は一生楽しく暮らせるのだぞ。それをみすみす捨てる者がどこにおる。断れば奉行の職は取りあげとなるのだ。ほかに道があるか」

入沢がうなずいた。

良観は宗長が法華経を捨てなければ、作事奉行を池上からはずす運動をおこすつもりである。幕府に絶大な力をもつ彼にとって、なんでもないことだった。

ひげ面の兄宗仲が家財道具をかたづけ、引っこしの準備にいそがしい。親の跡目を継げない以上、零落の道がまっていた。
 すっかり人のかわった妻が、なおも宗仲に催促した。

「あなた、こうされてはいかがでしょう。お父様にわびを入れるのです。そうすれば弟に財産を横取りされることはありませんわ。あなた」

「それはできぬ。もうあともどりはできぬ」

「あなた、武士のはしくれでございましょう。弟が憎くはないのですか。兄をさしおいて弟が奉行につくのを、だまって見ているのですか」

宗仲が黙々と片づける。

「わかりました。わたし、そのようなことでは離縁して家を出とうございます」

宗仲が背中でいった。

「かまわぬ。いたしかたない」

妻は宗仲の背中にだきついて泣いた。

いっぽう弟宗長の家は銅銭がならべられ、美服で埋まっていた。

宗長が武士の正装である(かり)(ぎぬ)で帰ってきた。彼は親が定めた道に従うしかないと決めた。

宗長は思った。

退転は不本意だが、運命の力には逆らえない。信心と家の未来を(はかり)にかけ、自分なりに考えたが、ここは父親につくしかないと観念した。

脳裏に四条金吾や土木常忍など、親しい同志の顔が浮かんだ。彼らの落胆した姿が目に浮かぶ。宗長はそんな妄念をふりきるようにかき消した。そして安置していた日蓮の本尊をとりだし、巻いてしまった。

ふと見ると、妻があいかわらず粗末な帷子(かたびら)を着て正座している。

宗長がいぶかしんだ。

「どうした。着替えなかったのか」

いつも明るい妻がだまったままでいる。

「どうした、なぜ着ない。暮らしが楽になるのだ。うれしくないのか。思うぞんぶんに贅沢もできる。不満があるのか。わしが父のいうことを聞かなければ、一族が途絶えるのだ。これしか今はとる道がないではないか」

妻はうやうやしく両手をついて語りだした。はじめて見る姿である。

「一言申しあげます。お悩みの様子、痛み入りました。わたくしはあなた様が兄上様を捨ててまで、良い思いをしようとは思っておりませんでした。でもあなたがたとえ法華経の信心をお捨てになっても、わたしはあなた様についてまいります。贅沢をしたいからではありませぬ。

聖人はおおせでした。夫楽しければ妻は栄える。夫盗人ならば妻も盗人になる。男王なれば女人(きさき)となる。男善人ならば女人仏になる。今生ばかりのことでなく世々(せせ)生々(しょうじょう)に影と身と、(はな)(このみ)と、根と葉とのようにおわすると。木にすむ虫は木を食べる。水にある魚は水を食べる。芝枯( か)るれば蘭泣き、松栄うれば(かしわ)悦ぶ。草木すらかくのごとしと。

わたしはあなた様が盗人になっても、あなた様についてまいります。どうぞご安心ください」

宗長が救われたようによろこんだ。今の自分を理解してくれるのは妻だけだ。たった一人いる味方だった。

「よく申してくれた」

だが妻はここで、突き放すように言った。

「ただひとつお願いがございます。聖人にお会いして、けじめをつけてくださいませ。お父様に従って、法華経の信心とお兄様を捨てる前に、聖人にお会いしてきっぱりとお話しするのが筋でございましょう。いかがでございますか」

身延の山に雨がしのつく。昼なのに道は暗かった。

馬上の宗長がひとり、笠をかぶり蓑をまとい、馬の両脇に供養の品を携えて山中をのぼる。

彼は行きつ戻りつした。女房にいわれてはるばるきたが、さすがに足どりが重かった。

やがて日蓮の館が見えてきた。日蓮のもとで修行する学匠たちの手で、建治三年の冬に一度修復しているとはいえ、極楽寺とは比べ物にならないほど粗末な建物だった。

館の明かりがみえた。

雨にぬれた宗長が明かりを見つめながら立ちすくんだ。

宗長は妻から日蓮に話をつけるよういわれた時から、どのようにして話そうか、そればかり考えた。

日蓮は反対するにきまっている。自分はどう答えればよいだろう。苦渋の顔で首をふる日蓮を思いうかべた。どうやって切りぬければよいであろう。頭の中でそのことばかりを思案していた。

当の日蓮は、富木常忍より送られた書き損じの紙の裏面に、弟子に講説するための法門をしたためていた。ちなみに富木常忍が開基した中山法華経寺に残されている日蓮の真筆の中に、常忍の主君で下総の守護千葉氏に関係した紙背文書(注)が含まれている。

紙は貴重である。良観のように贅沢はできない。日蓮はなんども使い古した紙を使った。

日蓮のわきでは弟子の筑後房日朗が経巻を読んでいる。さらにその横では日目が日蓮に頼まれて諸経典を書写している。日興が得度した日目は建治二年、十七歳で身延に詣で、日蓮のそばで常随給仕をしてきたが、はや二十一歳の凛々しい青年僧になっていた。

ちなみに日目が建治三年二月、身延において書写した『五戒口決伝受』の自筆が伊豆・実成寺に現存している。

 しずしずと雨音だけが聞こえる。

筑後房日朗がうれしそうに語った。

「熱原での伯耆房の活躍は目を見はるものがございますな。駿河にあのまま法華経がひろまってくれればよいのですが。日本国の広宣流布も夢ではないかもしれませぬな」

東日本を中心として弟子たちの活躍が始まっていた。なかでも伯耆房日興は、富士地方を中心に弘教の先頭に立っていた。

しかし日蓮は筑後房の話には耳もかさず、筆を走らせていた。

「筑後房、外に客人のようだ。あけてあげなさい」

気づかなかった。上人はどうしてわかるのだろう。

筑後房が戸を開けると、池上宗長が立っていた。傘もささず雨に濡れている。

筑後房は突然の来訪に驚いたが、すぐ笑顔で宗長を中に引きいれた。

日蓮は逆に、にこりともしない。

宗長は身をこわばらせながら蓑をはずした。

筑後房は宗長と会うのが嬉しくてたまらない。

「宗長殿。よくぞおこしくだされた。お父上のことはうかがっております。今が肝心な時です。兄上と力をあわせてこの大難を乗りこえましょう。宗仲様は・・」

ここで日蓮はなぜか制止した。

「まて、まて、筑後房、しばしさがっていなさい」

やがて奥の間で日蓮が宗長と対面した。
 日蓮は黙然として目を閉じていた。
 宗長はこの静寂に耐え切れなくなり、意を決して日蓮に話しかける。
「上人、実は・・」

 日蓮は宗長から跡目相続の顛末の話を聞き終えると、全て承知しているとばかり静かに語りだした。

宗長殿のお話は能くわかり申した。この度のことについては日蓮の思う所がありますので、すぐにも消息を差し上げましょう。それまではくれぐれも性急に事を運ばないようご承知おきくだされ

 狭い館である。二人の会話は筒抜けで広間の弟子たちに聞こえた。筑後房以下、皆が日蓮の一言一言に聞き耳を立てていた。大事な信徒にいったい何を言おうとしているのか。

当の宗長は叱責を覚悟していたが、聖人の思う所を消息に書いてくれると言う。拍子抜けしたが、師はすでに私を情けない信徒と見捨てたのかとも思うと、厳しく叱られた方がまだましだったとも思われた。しかし今は聖人からの消息を待つしかないと観念し、宗長は身延の日蓮の館から帰路についた


日蓮からの消息は、建治三年(一二七七年)十一月二十日に身延の館から差し出され翌々日には宗長(兵衛志)に届いたと思われる。恐らく俗信徒に送られた消息の中で、最も厳しい信心指導の書と言えよう。

 以下に全文を示す。尚、本消息の御真筆は、京都市 妙覚寺に全十六紙が所蔵されている


かたがたのもの()()二人をもつて、をくりたびて候。その心ざし弁殿の御ふみに申すげに候。

さてはなによりも御ために第一の大事を申し候なり、正法・像法の時は世もいまだをとろへず聖人・賢人も・つづき生れ候き天も人を()ほり給いき、末法になり候へば人のとん()よく()やうやくすぎ候て主と臣と親と子と兄と弟と諍論(じょうろん)ひまなし。まして他人は申すに及ばず、これに・よりて天も・その国をすつれば三災七難乃至一二三四五六七の日()でて草木()れうせ小大河も()き大地はすみ()のごとく・をこり大海はあ()らのごとくになり・けつくは無間(むけん)地獄(じごく)より(ほのお)いでて上(ぼん)天まで火炎・充満すべし、これ()てい()の事いでんとて・やうやく世間はをと()へ候なり。

 皆人のをもひて候は、父には子したがひ臣は君にかなひ弟子は師に()すべからずと云云。かしこき人もいやしき者もしれる事なり。しかれども貪欲(どんよく)瞋恚(しんに)愚癡(ぐち)と申すさけ()()いて主に敵し、親をかろしめ師をあな()づる、つね()にみへて候。

 但、師と主と親とに随いてあしき事をば(いさめ)ば、孝養となる事はさきの御ふみにかきつけて候いしかばつねに御らむあるべし。

 ただこのたび、()もん(衛門)(さかん)どの(殿)(兄・宗仲)かさねて親のかん()だう()あり、とのの御前にこれにて申せしがごとく一定かんだうあるべし。ひ()()(さかん)殿(弟・宗長)をぼつかなし(頼りない)ごぜん(御前)かまへて御心()あるべしと申して候しなり。今度はとの(殿)は一定(必ず)()(落ち=退転)給いぬとをぼ()うるなり。

 をち給はんをいかにと申す事は、ゆめゆめ候はず、但、地獄にて日蓮をうらみ給う事なかれしり候まじきなり。千年のかる()かや()も一時にはい()となる、百年の功も一言にやぶれ候は法のこ()わりなり。

 さえもんの大夫殿は、今度も法華経のか()きになりさだ()まり給うとみへて候。えもんのたいうの(さかん)殿は今度法華経の行者になり候はんずらん。

 とのは現前の(はからい)なれば親につき給はんずらむ。もの()ぐる()わしき人人はこれをほめ候べし。(むね)(もり)親父(おや)入道の悪事に随いてしの()わら()にて頚を切られし、重盛(しげもり)が随わずして(さき)に死せし、いづれか親の孝人なる。

 法華経のかたきになる親に随いて一乗の行者なる兄を()てば親の孝養となりなんや。せんするところひとすぢにをも()ひ切つて兄と同じく仏道を()り給へ。

 親父は(みょう)(しょう)(ごん)(のう)のごとし、兄弟は浄蔵浄眼なるべし。昔と今はかわるとも法華経のことわりは、たが()うべからず、当時も武蔵の入道、そこばくの所領所従等をすてて遁世(とんせい)あり。まして()どの(殿)ばら(宗長)が、わづ()かの事をへつらひて心うすくて悪道に堕ちて、日蓮をうらみさせ給うな。

 かへすがへす、今度(殿)のは(おつ)べしとをぼうるなり。此の程、心ざしありつるがひきかへて悪道に堕ち給はん事がふびん(不便)なれば申すなり。百に一つ千に一つも日蓮が義に()かんとをぼさば、親に向つていい切り給へ。

 親なれば、いかにも(したが)いまいらせ候べきが、法華経の御かたきになり給へば、つきまいらせては不孝の身となりぬべく候へば、()てまいらせて兄につき候なり。

 兄をすてられ候わば兄と一同とをぼすべしと申し切り給へ。すこしも()そるる心なかれ。

 過去(かこ)遠遠劫(おんのんごう)より法華経を信ぜしかども仏にならぬ事これなり。しを()()ると、()つと月の出づると、いると、夏と秋と冬と春とのさ()ひには、必ず相違する事あり。凡夫の仏になる又かくのごとし。必ず三障四魔と申す(さわり)いできたれば、賢者はよろこび愚者は退くこれなり。

 此の事はわざ()とも申し又びん(便)()にと・をもひつるに、(ご供養の)御使ありがたし、堕ち給うならば、よもこの御使は、あらじと、をもひ候へば、・もしやと申すなり。

 仏になり候事は、此の須弥山(しゅみせん)はり()をたてて、彼の須弥山よりいと()をはなちて、そのいとの・()ぐに()たりて・はりの()なに入るよりもかた()し。

 いわ()うや、さか()さまに大風のふきむかへたらんは、いよいよかた()き事ぞかし。

 経に云く「億億万劫より不可議に至る時に(すなわ)ち是の法華経を聞くことを得。億億万劫より不可議に至る。諸仏世尊時に是の経を説きたもう。是の故に行者仏滅後に於て是くの如きの経を聞いて疑惑を生ずること(なか)れ」等云云。此の経文は法華経二十八品の中に、ことに()づらし。

 序品より法師品にいたるまで等覚已下の人天・四衆・八()・其のかず()ありしかども、仏は但釈迦如来一仏なり、重くてかろ()きへんもあり。宝塔品(ほうとうぼん)より(ぞく)累品(るいぼん)にいたるまでの十二品は殊に重きが中の重きなり。其の故は釈迦仏の御前に多宝の宝塔(ほうとう)()(げん)せり、月の前に日の出でたるがごとし。又十方の諸仏は、樹下に御()します十方世界の草木の上に火をともせるがごとし。此の御前にてせん()せられたる文なり。

 涅槃(ねはん)経に云く「昔無数(むしゅ)無量劫より(このか)た常に苦悩を受く。一一の衆生一劫の中に()む所の(ほね)は、王舎城の()()()山の如く、()む所の乳汁(ちち)は四海の水の如く、身より出す所の()は四海の水より多く、父母兄弟妻子眷属(けんぞく)の命終に哭泣(こうきゅう)して出す所の(なん)()は、四大海より多く、地の草木を尽くして四寸の(かずとり)と為し、以て父母を数うも(また)尽くすこと能わじ」云云。此の経文は、仏最後に雙林の(もと)(ふし)てかたり給いし御言(みことば)なり、もつとも心をとどむべし。無量劫より已来(このかた)(うむ)ところの父母は、十方世界の大地の草木を四寸に切りて()かぞ()うともたるべからずと申す経文なり。此等の父母には()ひしかども法華経にはいまだ・あわず、されば父母は()うけやす()し法華経はあひがたし。今度あひやすき父母のことばを・そむ()きて、あひがたき法華経のとも()にはなれずば、我が身・仏になるのみならず、そむ()きし()やをも、みちびきなん。

 例せば(しつ)()太子(たいし)(釈迦の幼名)(じょう)(ぼん)王の嫡子なり。国をもゆづり、位にもつけんと、をぼして、すでに御位につけまいらせたりしを、御心をやぶりて夜中城をにげ出でさせ給いしかば、不孝の者なりと、うら()みさせ給いしかども、仏にならせ給うては、まづ浄飯王・麻耶(まや)夫人をこそ、みちびかせ給いしか。

 をや()という、をやの、世をすてて仏になれと申すをやは一人もなきなり。これは、とに()せ、かくによせて、()どの(殿)ばらを持斎・念仏者等が、つくり・()とさんために、をやを・すすめをとすなり。両火房は百万反の念仏をすすめて人人の内を()きて、法華経のたね()を、()たんと、はか()るときくなり。極楽寺殿はいみじかりし、人ぞかし、念仏者等にたぼらかされて日蓮を(あだ)ませ給いしかば、我が身といい其の一門、皆ほろびさせ給う、ただいまは、()ちご()(かみ)殿一人計りなり。両火房を御信用ある人はいみじきと御らむ()あるか、なご(名越)への一門の善光寺・長楽寺・大仏殿立てさせ給いて、其の一門の()らせ給う事をみよ。又(こう)殿(どの)は日本国の主にてをはするが、一閻浮提(えんぶだい)のごとくなる、か()きを()させ給へり。

 わどの兄をすてて、あにがあとを、ゆづ()られたりとも、千万年のさ()へ、かたかるべし。しらず、又わづかの程にや、いかんが・()()ならんずらん。よくよくをもひ切つて一向に後世をたのまるべし。かう(日蓮が)申すとも、いたづら(無駄)ふみ()なるべしと、をもへば、かくも、も()(心が重い)けれども、()ちのをも()()に、しるし申すなり、恐恐謹言。

 

  十一月二十日              日 蓮 花 押

 兵衛志殿御返事


 日蓮は此の消息で、二度も、あなたは此の度は退転するだろうと記している。

 また相続する所領は「わづかの程」と記されているが、兄宗仲は、日蓮大聖人滅後、法華経の文字数六万九千三百四十八文字分の坪数を寺領として寄進し、現在の池上本門寺の基盤をなしている。

 凡夫の目からは、鎌倉幕府の作事奉行であった父康光の所領は膨大なものだったと推察されるが、日蓮の目では「わづかの程」でしかなく、その僅かの所領を譲り受けるために法華経を捨てるのは、「後生」に地獄に陥ることが必定であると弟・宗長を厳しく指導した。



              七十二、池上兄弟、親を法華経にみちびく につづく


下巻目次

: 紙背文書(しはいもんじょ)。和紙の使用済みの裏面を利用して別の文書(古文書)が書かれた際、先に書かれた文書のことをいう。




by johsei1129 | 2017-09-17 17:11 | 小説 日蓮の生涯 下 | Comments(0)


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