日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 11月 30日

66 金吾の奉行所対決

金吾は「法華経信仰を捨てよ」という光時の主命に背き、所領を捨ててまで法華経をたもつことを誓った。日蓮は、金吾に対し「末法に妻子ある在家の身で、所領をすててまで法華経を信じ通すと起請することは、とても言葉に表すことができないほど大変な事です」と賞賛を惜しまなかった。

「去月二十五日の御(ふみ)、同月の二十七日の(とり)の時に来りて候。仰せ下さるる状と又起請かくまじきよしの御せいじ()()うとを見候へば、優曇華(うどんげ)(注)のさきたるをみるか、赤栴檀(せんだん)ふたば(嫩葉)になるをえたるか。()づらし、かう()ばし。三明六通を得給う上、法華経にて初地、初住にのぼらせ給へる証果の大阿羅漢(あらかん)、得無生忍の菩薩なりし舎利弗・目連・迦葉等だにも娑婆世界の末法に法華経を弘通せん事の大難こら()へかねければ、かなふまじき由、辞退(じたい)候いき。まして三惑未断の末代の凡夫が、争か此経の行者となるべき、(たと)い日蓮一人は(じょう)(もく)()(しゃく)悪口(あっく)・王難をも忍ぶとも、妻子を帯せる無智の俗なんどは(いかで)か叶うべき。中中(なかなか)、信ぜざらんはよかりなん、すへ()とを()らずしば(暫時)しならば人に、わら()はれなんと不便にをもひ候いしに、度度の難、二箇度の御勘気に心ざしを、あらはし給うだにも不思議なるに、かく・おど(威嚇)さるるに二所の所領をすてて法華経を信じとをすべしと御起請(きしょう)候事、いかにとも申す(ばか)りなし」『四条金吾殿御返事(不可惜所領事): 建治三年七月』

くわえて金吾の身にせまる危険に人一倍心配した。主人に抵抗する以上、身内人が命をねらうのは必至である。


仏法と申すは道理なり。道理と申すは主に()(もの)なり。いかにい()をし、はな()れじと思う()なれども、死しぬればかひなし。いかに所領を()しゝとをぼすとも死しては他人の物、すでにさか()へて年久し、すこしも()しむ事なかれ。またさきざき申すがごとく、さきざきよりも百千万億倍御用心あるべし。『四条金吾殿御返事(世雄御書)

金吾は奉行所に出頭した。

奉行所は聴衆であふれかえっていた。

このころ鎌倉で名越光時の家臣四条金吾の噂をしない者はいなかった。

一介の武士が信仰のために主君にそむいて所領を捨てるという。当時としては考えられないことだった。くわえて金吾の信じる法華経と主人光時の念仏について、賛否両論がわきおこったのである。

金吾側は三位房、土木常忍をはじめとする法華宗の信徒が傍聴した。対するは念仏者の面々である。この中に幕府御家人も多数いた。

鬼の形相の奉行人が金吾に詰問した。

中務(なかつかさ)三郎左衛門尉、そのほうが高名な四条金吾か。主の北条光時殿に無礼なふるまいをしておるようだな。かの竜象上人の説法に参ったところ、悪行をくわだて、悪口をもって騒動をおこしたとのこと。まちがいはあるまいな」

金吾が弁明した。

「その条、跡形もなき虚言であります。しょせん誰人の讒言(ざんげん)()でありましょうや。御哀憐をこうむりて召しあわせられ、実否を糾明せられば歴然であります。

(それがし)法門の事と承りて、宮仕えに暇ない身でまかり出でましたが、頼基は在家の身でござる。一言も言わざる上は(あつ)()におよばざる事、厳察に足るべきであります。

そもそも法華経を信じまいらせて仏道を願う者がどうして説法のおり、悪行をくわだて悪口を(むね)とすることがありましょう。ご賢察いただきたい。その上、日蓮聖人の弟子と名のりぬる上、わが殿の御前にまいりて問答の様子を申しあげました。またその辺にこの頼基を知らぬ者はあらざるはず。ただこの金吾をねたむ人々の作りごとであろう。早々に召しあわせられん時、そのかくれあるべからず」

奉行人は金吾の申し入れには答えず、良観の側の意向に沿って一方的に話を進める。

「鎌倉の者は、みな極楽寺の長老良観上人は釈迦の生まれかわりであると仰いでおる」

 金吾は即座に反論する。
 「その状、
難勘(なんかん)の次第におぼえまする。そのゆえは、日蓮聖人は経に説かれてましますが如くば如来の使い、上行菩薩の垂迹(すいじゃく)、法華本門の行者、(ごの)五百歳の大導師であらせらるる聖人を、首をはねらるべき由の申し状を書きて殺罪に行われんとしたことはいかが。死罪をやめて佐渡の島まで遠流せられたのは、良観上人の所行ではなかったか。その訴状には別紙にこれあり。ご覧いただきたい」

金吾の弁明は具体的で、かつ迫力に満ちていた。

聴衆がざわめいている。主人と家来の評定である。だれもが金吾の敗北を予想していた。
 金吾は聴衆のざわめきにかまわず、さらに相手方に追い打ちをかける。

「そもそも生き草をさえ切るべからず、と説法されながら、法華の正法を弘める聖人を断罪に行なわるべき旨申し立てらるるは自語相違にあらずや。この僧こそ天魔の入れる僧ではないか」

念仏者がたまらず激高した。

奉行人が手をあげて静める。

金吾がさらに説く。

「良観上人は今の日本国、別しては武家鎌倉の世で権勢を張るお人であります。その良観殿を、日蓮聖人といえどもたやすくおおせあることいかがと、某も弟子たちも一同に恐れ申しておりました。

しかるに(いぬ)る文永八年六月の大干魃(かんばつ)の時、良観殿は雨をふらさず涙を流した。極楽寺の弟子檀那も同じく声をおします口惜(くちお)しがったのはまぎれもない事実であります。

しからば良観上人、身の上の恥を思えば跡をくらまして山にこもり、約束のままに聖人の御弟子ともなりたらば道心の少しにてもあるべきに、さはなくして無尽の讒言(ざんげん)をかまえて殺人を申し行わんとするのは尊き僧かと、聖人はおおせでありました。またこの頼基も見聞きいたしました。

ほかのことはさておき、主君のおおせはおそれ多きことながら、この事はなぜなのかと、どうして思わないではいられましょう」

奉行人が動揺しだした。

「いや、なんといっても竜象上人、良観上人は釈迦・阿弥陀の再来である」

ここで金吾は驚くべきことを証言した。

「かの竜象房は京都にて人の骨肉を朝夕の食物とすること、露顕(ろけん)いたしておりまする」

場内が騒然とした。念仏者が「なにをたわけたことを申す」と激昂する。にわかには信じられない話である。名高い僧が人食いとは。

しかし金吾は冷静だった。

「このため比叡山の僧俗は蜂起して、世末代におよびて悪鬼国中に出現せり、山王の力をもって退治を加えんとして草庵を打ちこわし、その身を罰せんといたしましたが、未然に逃亡し行方知らざるところに、たまたま鎌倉の中にまた人の肉を食ろうているとのこと。情けある人を恐怖に陥れる者を仏菩薩と仰せあるは、まことにいわれなき次第。所従の身として、どうして主君の御あやまちをいさめ申さずしておかれましょう。あまつさえ起請におよぶべき由おおせをこうむること、思いのほか嘆きいっておりまする」

さわぐ聴衆に狼狽の色があらわれた。奉行人もうろたえたが、なお強気である。

「では人の進退というものは、主や親の所存に従うことが神仏の加護もあり、世間の手本ともなるのではないか。おぬし、主にそむくことが道理にかなっているというのか」

奉行人が勝ちほこったようにつめよった。

金吾は静かにこたえる。

「このこと、最第一の大事であります。同輩などはこの頼基を無礼であると思っておりますが、世間のことでは必ず父母主君のおおせにしたがうでありましょう。

さりながらそのために大恩の主が悪法の者にたぼらかされ、悪道に堕ちるのをなげくばかりであります。それについてもろもろの僧の説法を聴聞いたして、いずれが成仏の法とうかがうところ、日蓮聖人のお方は三千大千世界の主、一切衆生の父母、釈迦如来のお使い、上行菩薩の再誕であられまする。このように法華経に説かれているのを信じているのみでござる」

奉行人は今こそ核心をついてやろうと、ずる賢い目で金吾に迫る。

「そのほうの起請文に、二ケ所の所領を捨てて法華経を信じとおすとある。土地こそ武士の命であろう。その言い分では露頭に迷ってもよいというのだな」

「某は殿の御内を出て、いまさら土地を所望することはありませぬ。殿から所領を取りあげられたのは法華経の御布施であり、幸いと思っております。今の所領は殿からいただいたものではありませぬ。重い病気を法華経の薬をもってお助けしたために拝領した所領なれば、取りあげるのであれば病気もまた殿に帰るでありましょう。その時はこの頼基に怠状あっても用いることはござらぬ」

怠状とはわび状・謝罪状のことである。
 島田と山城は、金吾の開き直りともとれる申し立てを聞いて呆気にとられる。

金吾が突然手をついて滔々と口上を述べだした。

「起請におよぶべき由おおせをこうむること、思いのほか嘆いておりまする。頼基が万一起請を書きましたならば、殿はたちまち法華経の罰をこうむるでありましょう。

過日、良観御坊の讒訴(ざんそ)によって、釈迦如来のお使い日蓮聖人を流罪せしめたがために、聖人の申したとおり百日のうちに合戦あいおこり、あまたの武士が滅亡いたし、かつ名越の(きん)(だち)()()横死の憂き目にあわれました。これひとえに良観が日蓮聖人を讒訴したゆえに、あまたの武士を失い奉りたることではなかったかと思われまする」

この金吾の口上に対し、念仏者は怒り狂ったように非難したが、金吾は一向にひるまない。

「今また良観・竜象の奸智により、この金吾に起請文を書かしめたならば、殿はまたその罪にあたらぬことはござらぬ。かくの如き道理を知らざるゆえか、はたまた殿をだまし奉らんと思うゆえか、某に事をよせて、大事をおこさんと謀る人々こそ、事の究明のため召しあわせられたい」

念仏僧の怒号が飛び交う中、評定は終わった。

島田と山城はただちに光時の館に駆けつけ、主人につめよった。
 二人の怒りは頂点に達した。

「殿、もはや猶予はなりませぬ。四条金吾は謀反人も同然でござる。今すぐ四条と絶縁いたし、下克上の者として侍所に訴えましょう。あやつの息の根を止めるのです」

しかし光時は聞かないふうだった。疲労の色が濃い。彼はうつろに立ちあがり、部屋を出ようとしたところでたおれてしまった。

二人は突然のことでおどろき、「殿、殿」と呼びかけるばかりだった。

光時の女房がなにごとかと出てきて、二人をはね飛ばして夫を抱きおこした。

「殿」

女房が夫の額に手をあて、悲鳴をあげた。火のような熱である。

反射的にさけんだ。

「金吾殿を。頼基殿を呼びなされ」

急を聞いて金吾が光時邸にかけこんだ。

入口で島田、山城が立ちふさがったが、かまわず二人をおしのけて入っていく。二人が金吾の背中をにらみつけた。

女房のほか、親類眷属が集まり、病床の光時を見守っていた。

そこに金吾が飛びこんだ。

床に寝ている主の顔面は蒼白、呼吸があらく咳もひどい。

女房は疲れきっていた。

「熱はさがったのですが、このようにお苦しみになられて」

金吾が主人の額に手をあて、身につけている直垂の胸元を開き、首筋や胸元をつぶさに看た。

「これは麻疹(ましん)でござる。いま鎌倉に蔓延しておる病です」

「金吾殿、どのように看病すればよいのか教えてつかわされ」

「殿は肺の蔵をわずらっておられる。このままでいけば心の臓もあやうい。奥方、とにもかくにも体を冷やさぬよう。暖めてくだされ」

金吾が座敷を見まわした。

「これでは明るすぎる。少し暗くしなされ。食事は当面控えて水をたっぷりと飲むよう。果物も用意して、殿が回復したら最初に召し上がらせてくだされ」
「承知しました。金吾殿だけが頼りです」
「奥方、ご安心くだされ。金吾はなにがあっても殿のそばをはなれませぬぞ」

 

人食いが覆面をかぶったまま山上へ逃げた。

追いかける武士団が山の頂上へむかい、(かね)を鳴らし、声をかけながら追いつめていく。猪や鹿をとらえる猟法だった。

「いたか」

「いないぞ。ここでまちがいないか」

人食いが木かげにかくれていたが、苦しまぎれに飛びだした。それを武士団がかこんだ。

逃げ場はない。人食いは幾十の棒でおさえられて観念した。

武士が覆面をとりはらって言った。

「観念しろ、竜象房」

翌日、真昼の沿道は群衆でごったがえした。

人食いが頭におおいをかぶせられ、縄で幾重に縛られ引かれていく。

町民が罵詈雑言をあびせた。鎌倉を恐怖のどん底におとしいれた犯人がつかまったのだ。

群衆の中に極楽寺良観もいた。彼は人食いが竜象房だったことをまだ知らない。良観は通りにでて、得意気に扇子で人食いの頭をたたいた。

この時、兵士が覆面をはらい、はじめて顔をあらわにした。

群衆が悲鳴をあげ、やがて沈黙した。金吾が証言したとおり、人食いは竜象房だった。

良観は腰をぬかしてしまった。

この竜象房の一件については、幸いというか奇跡というか日蓮の信徒、土木常忍の手になる消息が今にのこっている。

常忍は日ごろから甲斐の日蓮に鎌倉の情勢を報告していた。

この時代の人は筆まめである。常忍は忌まわしい人肉事件のことも報告していた。

中世史研究の大家、石井進氏が解説する。

 「 建治三年(一二七七)ごろ、日蓮の古い門弟で有力な檀越だった冨木常忍が、身延山の日蓮あてに書き送った一通の手紙には、当時の鎌倉での奇怪な風聞が記されている。

その大意は、『近ごろ、稲荷(いなり)社や八幡宮に人肉が供えられる事件が起こった。またある下法師(最下級の僧侶)が小袋坂で葬送された死人の肉を切り取っている現場を発見され、由比ヶ浜で幕府政所が糾問(きゅうもん)したところ、竜象房からの注文で切り取ったと白状した。そこで竜象房を取り調べたが、まったくその事実はないという。再度、下法師を調べたら化粧坂の(とう)()堂の法師からの注文だと答えたので、目下捜査中といううわさがもっぱらである。まことに驚くべき、とんでもない事件だ』という内容だ」  『日本の中世』中央公論社  

竜象房を人肉事件の犯人と断定したのは日蓮である。日蓮は事件の当初から比叡山出身の竜象に注目していた。日蓮は若いころ、比叡山で修行していた。それだけに知己もおおい。以前、比叡の山で人肉事件をおこし、所を追われた竜象の名は知っていた。日蓮はかずかずの情報をもとにして鎌倉の竜象房が同一の人物と断定し、評定の場で金吾に告発させたのだった。

金吾は懸命の治療をしていた。彼いがい、光時をなおせる者はいない。

寝ている光時をおこし、薬をのませる。ぬれた布切れをしぼり、光時の額にあてた。光時が目をさまして起きようとするのをおさえ、首をふって横にさせた。

中間の者が居眠りする夜中、金吾は一人、枕元で手をあわせた。

「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経、殿のご病気、治させたまえ」

朝がきた。

金吾が部屋からでると、女房と公達がまちうけていた。

島田と山城が女房のうしろから相変わらず金吾をにらみつけていた。二人にとって金吾は殺したいほど憎い相手だが、主人がなおるまで手がだせない。

女房は憔悴しきっていた。

「殿の病状はいかがでしょう。なおるのでしょうか・・」

金吾は正座して手をあわせた。

「わかりかねまする。さりながら、できるだけのことはいたしました。(それがし)の力の及ぶべきご病気にあらずと思いましたが、いかに辞退申せども、ぜひにとおおせになられましたので、今までおりもうした。ほかでもない、先祖代々仕えております殿でありますから看病しているまでのことでございます」

この時、下女が駆けこんできた。

「金吾様、殿の(はだえ)が」

全員が病室に集まった。

見ると光時の顔や胸元の皮膚の皮がむけている。まるで(ぬか)がおちたようだった。

金吾がにこやかにうなずいた。その顔は光時の病状が峠を越したことを物語っていた。

一族が声を殺しながら手を取りあい、そっと座敷をでていった。

光時が目をさました。
 あたりを見まわすと、
部屋には金吾しかいない。それとわかると光時は横をむいてしまった。

沈黙がつづいた。金吾も言葉がでない。

やがて光時がぼそりといった。

「幸せ者だのう」
 金吾は即座に答える。
「いかにも。殿は北条一門の重鎮でございます。幕府のなかで右に出るものは、時宗様お一人でございますぞ」

 金吾は少しでも主人の気分を良くしようと持ち上げる。
「わしではない。そなたのことだ」

意外な主人の一言に金吾が押し黙る。

「おぬしは心の底まで法華経を信じ、日蓮殿を信じておるのだな。題目の声が聞こえておったわ。それほどまでに日蓮殿の信心は尊いのか」
 金吾が身をのりだす。

「殿、日蓮聖人は三界の主、一切衆生の父母、釈迦如来のお使いでございます。殿もお題目を唱え、幕府の要として日本国の、そして民の苦しみをお救いくださいませ」

しかし光時はさみしげだった。

「いや、わしはこのたびの件で日蓮殿にそむいた。法華経のとおり、無間の地獄におちるのであろう。信心強盛のおぬしは成仏し、わしには獄卒がむかえにくるのであろう」

金吾は初めて見る光時の弱りきった姿に同情し、すすり泣きはじめた。

「・・頼基が今さらなにについて疎遠に思うことがありましょう。後生までも殿にしたがい、金吾が成仏したならば殿を救いまいらせ、殿が成仏しなければ、金吾も助かろうとは思いませぬ。そのようなことでは金吾が仏になろうとも、甲斐はございませぬ」

金吾の意気は消沈した。

懸命の治療のかいもなく、金吾の思いは光時に通じなかった。これほどまでに主人とは深い溝ができていたのか。事は訴訟にまでおよんでしまった。ならばこれ以上主君についてもむだであろう。

金吾は光時のもとを静かに退席し、奥方に別れを告げた。

「殿は完治したわけではありませぬ。これからが大切でござる。長い間お世話になりもうした。某はこれにて失礼いたす」

「金吾殿」

奥方が金吾の袖をつかんだが、ふりほどくようにでていった。

金吾親子は安普請の家に引っ越すこととなった。

これまでの住みなれた屋敷に人の気配はなくなった。

かつての従者がつぎつぎと金吾に挨拶し去っていった。のこったのは父の代からいる爺ひとりになった。

金吾の所領は取りあげられたままだった。主人光時からはなんの音沙汰もない。

信心とひきかえに所領を失った。重い代償である。すでに四十五になった金吾にとって、こたえたようにみえた。すくなくとも世間はそう見た。

だが金吾は動じていない。

幼い(つき)(まろ)御前が金吾のひざの上で聞いた。

「父上、どうして家来の人はでていくのですか。お父上はなにか悪いことでもしたのですか」

金吾が首をふった。

「試されているのだよ。天がわしの信心をふるいにかけておられるのだ。月満、貧乏はきらいか」

月満はあどけない顔でいった。

「月満は父上と母上がいらっしゃれば、それだけで幸せです」

金吾が笑う。

「そのとおりだな。なにもなくてよいのだ。一生は夢の上、明日を()せず。いかなる乞食にはなるとも法華経にきずをつけ給うべからず。上人の仰せのとおりだ。蔵の(たから)よりも身の財すぐれたり。身の財よりも心の財第一なり。所領より出世より名聞より、心の財をつまなくてはな」

真夏の太陽の下、四条金吾と爺の二人が田を耕していた。田畑を失った以上、自分で耕さなくてはならない。

金吾は鎌倉を遠くはなれ、田のできそうな土地を見つけて住みついた。

金吾が鍬を手にし、爺が種をまく。二人とも汗だくの毎日である。

爺がぼやく。

「ほんにのう。つい昨日までたくさんの田畑をもち、大勢の手下をかかえていたのにのう。鎌倉の屋敷はお取りあげ。今は門もなく、塀もなく(うまや)もなく、持仏堂もない一軒家のみ。さぞかし、おつらいことでございますなあ」

爺は自分よりつらいのは金吾であるとわかってはいるものの、どうしても愚痴がでる。

金吾が鍬をいれた。
「それを申すなといったではないか。これも修行のうちよ」

「そんなもんでございますかのう」

そこに馬に乗った二人の武士が近づいてきた。島田入道と山城入道である。二人は金吾を見下しながら笑いをうかべていた。

爺が二人に気づき、金吾をかばった。

馬上の島田は身なりよく、上機嫌だった。

「金吾殿、久しぶりでござるな。しばらく鎌倉で見かけなかったが、こんなところにおられたか。われら仲間うちでは隠居のうわさもでておるぞ」

爺が怒った。

「なにを無礼な。わが主人は心なき者どもの讒言にあい・・」

金吾がさえぎった。

「よせよせ、かまうな。こやつらはこの金吾をねたむ者どもだ。正法を誹謗すれば悪道に堕ちる道理を知らぬ者だ。わが君をだましたてまつる者。金吾に事をよせて大事をいださんとたばかる者だ。相手にするでない。時のむだよ」

島田が息巻いて馬からおりようとしたが、山城が止めて言った。

「金吾殿、ほかでもない明日は名越家に慶事がござってな。わが君光時様のご病気が完治いたし、一族郎党が集まることにあいなった。わが殿のお気に入りのそなたも、馳せ参じたほうがよかろうとすすめにまいったところだ。さぞかし殿もお喜びでござろう。少しでもあわす顔があればこられよ」

馬上の二人が笑いながら去っていく。
 島田と山城はかつて金吾の命をつけ狙っていたが、金吾が主人に捨てられた今、斬る価値もなくなった。二人にとって金吾は敵ではなく、からかうだけの元同僚になった。

金吾がその二人の背を見つめた。

爺が金吾につめよる。

「行かれてはなりませぬぞ。もう光時様は御主人ではありませぬ。縁遠いお方です。いけば金吾様のお命も危のうございます」

金吾は答えず空を見ていた。彼は家にもどり、日蓮から下付された御本尊の前で手をあわせた。そしてしぼりだすようにいった。

「上人、殿が全快いたしました。法華経のおかげです」



  
               67 金吾の蘇生 につづく
下巻目次


優曇華(うどんげ) :三千年に一度しか咲かないと言われる伝説の花。仏典の中できわめてまれなことが起きる(吉兆)ことのたとえとして使われる。



by johsei1129 | 2014-11-30 11:40 | 小説 日蓮の生涯 下 | Comments(0)


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