2019年 12月 16日
こうしたただならぬ政治状況に、庶民の間でも蒙古来襲の噂がひろまった。 この事は日蓮以外、日本国のだれもが予期しないことだった。 日蓮は釈尊の一切経を読み、経文のとおりに未来を予言した。邪法をそのままにすれば、未だ惹起しない二つの難がおきる。自界叛逆難、他国侵逼難である。 当時朝鮮半島を支配していた高麗は一国をあげて念仏を信奉したために亡国となった。まつりごとの善悪ではない、森羅万象を極めた仏法の正邪によって国の存亡が決まる。 予言はまず他国侵逼の形であらわれた。仏法が正しければ、蒙古の攻めは現実となる。とすれば残るもう一つの難「自界叛逆」が起こるのも必定だった。 日蓮がこの牒状を知ったのは、鎌倉に国書が届いた三ケ月後だった。日蓮はこの年、四十七歳になっていた。文応元年、三十九歳の時、北条時頼に『立正安国論』を献じ九年を経て、今度は時頼の息子時宗に予言的中を告げる蒙古からの国書が届いた。 日蓮の感慨はふかい。 文永六年十二月八日、自ら書写した立正安国論にこの時の思いを奥書として追記している。
文応元年之を勘ふ、正嘉より之を始め文応元年に勘え畢る。 去ぬる正嘉元年八月廿三日戌亥の剋の大地震を見て之を勘ふ。 其の後文応元年七月十六日を以て、宿谷禅門に付して故最明寺入道殿に奉れり。その後文永元年七月五日大明星の時、弥々此の災の根源を知る。文応元年より文永五年後正月十八日に至るまで九箇年を経て、西方大蒙古国より我が朝を襲ふべきの由牒状之を渡す。又同六年重ねて牒状之を渡す。既に勘文之に叶ふ。之に準じて之を思ふに未来も亦然るべきか。此の書は徴有る文なり。是偏に日蓮の力に非ず、法華経の真文の感応の致す所か。 『立正安国論奥書』
「未来も亦然るべきか」に日蓮の思いがつたわる。未来の日本の国主が邪法を奉れば、国難は避けられない、と予言している。 法華経どころか仏教の上に靖国神社を位置づけて崇拝した日本は、太平洋戦争で史上初めて外国に国土を占領された。その靖国神社を今も崇めている現政権は、中国、北朝鮮に日本の領海を脅かされ続けている。 日蓮は決意した。いよいよ立ちあがる時だ。 他国侵逼という国難を乗りきる方法を知るのは、日本国に自分をおいてほかにはいない。 そして邪法を退治するには、国主の前で各宗の僧をあつめ、正邪を決める『公場対決』をする以外に方法はない。 世出世の邪正を決断せんこと必ず公場なる可きなり。『強仁状御返事』 論談を致さゞれば才の長短を表はさず、決択に交はらざれば智の賢愚を測らず 『念仏者追放宣旨御教書事 山門申状』
ことの邪正是非は一対一の対論で決まる。これを衆目の中で行えば、その差がいっそうきわ立ち、見る者聞く者に利益となる。近代の議会制度はこの精神を体現している。つまり日蓮の考えは、十三世紀の鎌倉時代に民主主義を志向していたことになる。力による決着は永続しない。よりすぐれた人間の智慧の論争が、よりすぐれた結論を引きだす事は自明の理である。 日蓮は釈尊が「唯仏与仏 乃能究盡 諸法実相(唯仏と仏のみ、すなわち森羅万象の法を能く極め盡す:妙法蓮華経方便品第二)」と説いた法華経をもって諸宗にいどもうとした。 まず四月、幕府に影響力をもつ法鑒という僧に手紙をしたため善処をうながした。
日蓮正嘉の大地震、同じく大風、同じく飢饉、正元元年の大疫等を見て記して云はく、他国より此の国を破るべき先相なり。自讃に似たりと雖も、若し此の国土を毀壊せば復仏法の破滅疑ひ無き者なり。而るに当世の高僧等は謗法の者と同意の者なり。復自宗の玄底を知らざる者なり。定めて勅宣・御教書を給ひて此の凶悪を祈請するか。仏神弥瞋恚を作し、国土を破壊せん事疑無き者なり。 日蓮復之を退治するの方之を知る。叡山を除きて日本国には但一人なり。譬へば日月の二つ無きが如く、聖人肩を並べざるが故なり。若し此の事妄言ならば、日蓮が持つ所の法華経守護の十羅刹の冶罰之を蒙らん。但偏に国の為法の為、人の為にして身の為に之を申さず。 復禅門に対面を遂ぐ故に之を告ぐ、之を用ひざれば定めて後悔有るべし。恐々謹言。 文永五年太歳戊辰四月五日 日蓮花押 法鑒御房 『安国論御勘由来』
しかしいっこうに音沙汰はない。幕府はなにをしているのであろう。危機は迫っている。 四ケ月後の八月二十一日、日蓮はかつて立正安国論をとりついだ幕臣、宿屋入道光則に同様の書をおくった。しかし返事がない。日蓮は蒙古の牒状いらい、さかんに幕臣へ書を送り意見を具申した。光則もその一人だった。だがこれも返事がない。冒頭にそのいきどおりをしるす。
其の後は書・絶えて申さず、不審極まり無く候。抑去ぬる正嘉元年丁巳八月二十三日戌亥刻の大地震、日蓮諸経を引いて之を勘へたるに、念仏宗と禅宗等とを御帰依有るがの故に、日本守護の諸大善神、瞋恚を作して起こす所の災ひなり。若し此を退治無くんば、他国の為に此の国を破らるべきの由、勘文一通を撰し、正元二年庚申七月十六日、御辺に付け奉りて故最明寺入道殿へ之を進覧す。其の後九箇年を経て今年大蒙古国の牒状之有る由風聞す等云云。経文の如くんば彼の国より此の国を責めん事必定なり。而るに日本国中、日蓮一人彼の西戎を調伏するの人たる可しと兼ねて之を知り、論文に之を勘ふ。 君の為・国の為・神の為・仏の為・内奏を経らるべきか。委細の旨は見参を遂げて申すべく候。恐々謹言。 文永五年八月二十一日 日蓮花押 宿屋左衛門入道殿 『宿屋入道許御状』
だが期待とは裏腹に、宿屋はいっこうに日蓮に会おうとはしない。なしのつぶてである。なんということであろう。仏法に盲目であるばかりか、国難にも無神経なのか。 一月後の九月、日蓮は再度、より強い調子で宿屋に書状を送った。官僚として主君に取りつぎせずに放置すれば、事によっては主君に罰せられると。 宿屋にとって耳が痛かったにちがいない。
去ぬる八月の比、愚札を進ぜしむるの後、今月に至るも是非に付け返報を給はらず、欝念散じ難し。怱々の故に想亡せしむるか。軽略せらるゝの故に此の一行を慳むか。本文に云はく「師子は少兎を蔑らず大象を畏れず」等云云。若し又万一他国の兵この国を襲ふ事出来せば、知りて奏せざるの失、偏に貴辺に懸るべし。仏法を学ぶの法は身命を捨て国恩を報ぜんが為なり。全く自身の為に非ず。本文に云はく「雨を見て竜を知り蓮を見て池を知る」等云云。災難急を見る故に度々之を驚かす。用ひざるに而も之を諌む。強・・ 『宿屋入道再御状』
現存する書はここで途切れる。日蓮のいきどおりが素直にあらわれている。 幕府中枢の反応はその後もまったくなかった。日蓮の訴えは執権の耳にとどいていない。これは時宗から「相手にするな」と捨て置かれたか、幕府重臣の手で闇に葬られていたかのいずれかであったことは明らかだった。 二十、北条時宗を諌暁 につづく
by johsei1129
| 2019-12-16 06:11
| 小説 日蓮の生涯 上
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