次に人の本尊とは即ち是れ久遠元初の自受用報身の再誕、末法下種の主師親、本因妙の教主大慈大悲の南無日蓮大聖人是れなり。
問う、久遠元初の自受用身とは即ち是れ本因妙の教主釈尊なり、而るに諸門流一同の義に曰わく、蓮祖は即ち是れ本化上行の再誕なりと云云。其の義文理分明なり処々に之を示すが如し、今何ぞ蓮祖を久遠元初の自受用身と称し奉るや。
答う、外用の浅近は実に所問の如し、今は内証の深秘なるが故に自受用報身の再誕と云うなり。
血脈抄に云く、久遠名字已来本因本果の主、本地自受用報身の垂迹、上行菩薩の再誕、本門の大師日蓮等云云。
若し外用の浅近に拠れば上行の再誕日蓮なり、若し内証の深秘に望まば本地自受用の再誕日蓮なり。故に知んぬ本地は自受用身、垂迹は上行菩薩、顕本は日蓮なり。
問う、顕本日蓮とは前代に未だ聞かず、若し文理無くんば誰か之を許すべけんや。
答う、宗祖云く日蓮仏法を試みるに道理文証に過ぎず、亦道理文証よりも現証に過ぎず云云。
人の本尊を説き明かす二 につづく
文底秘沈抄 目次
六巻抄 目次