日蓮大聖人『御書』解説

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2017年 03月 14日

九、女性信徒の出現

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春の穏やかな陽ざしが武家屋敷にさしこむ。

ここには女房や後家尼たちが集まっていた。この中に金吾の妻日眼女やのちに大信者となる日妙がいた。

 日蓮は女性信徒の教化にも積極的だった。

法華経はもともと女人成仏の経典である。日蓮は唯一、女人成仏を説いた法華経に帰依すべきことを力説した。

「古来より女人は罪多き者といわれてきました。国を破る源ともいわれております。内典には五障(注)を明かし、外典には三従を教えております。三従とは、幼い時は親に従い、成人すれば夫に従い、老いては子に従う。かように幼い時より老耄(ろうもう)にいたるまで三人に従いて心にまかせず、思うことも言わず、見たきことをも見ず、聴聞したきことも聞かず、是を三従という。この三つの(さわ)りあるため、世間において自由ではない。仏法においても成仏できないとされておりました。しかし釈尊は法華経で初めて女人成仏を説いたのです」

 女性たちは念仏宗のことばかりを聞いていた。死んでから救われるだけの教えである。彼女たちはそんな説法に興味はない。だが日蓮はちがった。法華経は自分たち女性の成仏をじかに説いている。新鮮なおどろきだった。

「しかるに日本国の一切の女人は南無妙法蓮華経とは唱えずして、女人の往生成仏をとげざる双観・観経等によりて、弥陀の名号を一日に六万遍・十万遍なんど唱えるのは、仏の名号なれば(たくみ)なるには似たれども、女人不成仏・不往生の経によれるゆえに、いたずらに他人の(たから)を数える女人です。これひとえに悪知識にたぼらかされたためです。されば日本国の一切の女人の御かたきは、虎狼(ころう)よりも山賊海賊よりも、父母の敵・遊女(とわり)などよりも、法華経をば教えずして念仏などを教えるこそ一切の女人の敵です。女人の御身としては南無妙法蓮華経と唱えて法華経を信ずる女人にてあるべきに、当世の女人は一期(いちご)のあいだ弥陀の名号をばしきりに唱え、念仏の仏事をばひまなくおこない、法華経をば唱えず供養せず、あるいはわずかに法華経を持経者に読ませるけれども、念仏者をば父母兄弟のようにもてなし、持経者をば所従眷属よりも軽く思う。かくしてしかも法華経を信ずる由を名乗っている。早く早く心をひるがえし、正法に帰らねばなりませぬ」

当時の女性信徒が日蓮に心を開いていたことを示す、貴重な御書が残っている。

 その御書とは、比企(ひき)大学三郎の妻が、月ごとに巡る女性特有の(がっ)(すい)(月経の意)の時、仏道修行を、どのようにしたらよいかと、日蓮に問われたことへの返答の書「月水御書」である。

その中で日蓮は次のようにわかりやすく明快に説いている。


 日蓮、(ほぼ)聖教を見候にも、酒肉・()(しん)婬事(いんじ)なんどの様に、不浄を分明(ふんみょう)に月日をさして(いまし)めたる様に、月水をいみたる経論を未だ(かんが)へず候なり。在世の時多く盛んの女人、尼になり仏法を行ぜしかども、月水の時と申して嫌はれたる事なし。是をもつて()(はか)(はべ)るに、月水と申す物は外より(きた)れる不浄にもあらず。只女人のくせかたわ生死の種を継ぐべき(ことわり)にや、又長病(ながやまい)の様なる物なり。例せば()尿(にょう)なんどは人の身より出れども、()(きよ)くなしぬれば別にいみもなし、是体(これてい)(はべ)る事か。


日蓮はさらに女性信徒に説く。


 当世の一切の女人は仏の記し置き給ふ(ごの)五百歳二千余年に当たって、(これ)(まこと)の女人往生の時なり。例せば冬は氷(とぼ)しからず、春は花珍しからず、夏は草多く、秋は(このみ)多し。時節()くの如し。当世の女人往生も(また)此くの如し。(とん)多く(いかり)多く(おろか)多く(まん)多く(ねたみ)多きを嫌はず。(いか)(いわん)んや此等の(とが)無からん女人をや。女人往生抄


女性たちは夫の信心を通じて妙法を受持した。男のいうままに信心したが、彼女たちは法華経で説く女人成仏に関心をおぼえた。さらに驚くべきことに法華経は男女同等を説いていることを知った。これは彼女たちにとっては衝撃だった。

法華経以前の経典では、女性は何度も生まれ変わって男にならなければ成仏できないと説かれていた。女の身そのままで成仏はできないと説いてる。教典では、まるで女に恨みがあったのだろうかと思いたくなるほど女人に対し辛辣である。

「女人は地獄の使ひなり、()く仏の種子を断ず。外面は菩薩に似て内面は夜叉(やしゃ)の如し」(華厳経)()()()()

仮使(たとい)法界に偏する大悲の諸菩薩も、彼の女人の極業の(さわ)りを(ごう)(ぶく)すること(あた)はず」(十二仏名経)()()

「所有三千界の男子の諸の煩悩合集して一人の女人の業障と為る」(同)

「女人を見ること一度なるすら永く輪廻(りんね)の業を結す。何に況や犯すこと一度、定んで無間獄に堕す」(大論)。

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これを読む男性は女に生れなくてよかったと思うかもしれない。また女性にしても釈迦の女性批判には、思いあたる点があるかもしれない。

「苦の衆生とは別しては女人の事なり」(御義口伝上提婆品)という日蓮の指摘にもあるように、当時女性は圧倒的に社会的弱者であった。

だがこの女性の苦しみを打ち破ったのも釈尊だった。

釈尊は当初、比丘(男の出家僧)の修行の妨げになるとして女性の出家を認めなかった。最初の比丘尼(女の出家僧)は、釈尊の王宮時代の養母、摩訶波(まかは)(じゃ)波提(はだい)(マハーパジャパティー)だったが、彼女は再三出家を願い出たが釈尊に断られ続けた。見かねた釈尊の従者阿難が「マハーパジャーパティはあなたが恩ある方です。ぜひ出家を認めてください」と懇願し、ようやく許された。それでも出家者が守るべき戒(具足戒)は、比丘が二百五十戒に対し、比丘尼は三百四十八戒だった。

さらに釈尊は法華経で弟子たちに未来成仏の記莂をつぎつぎに与えたが、比丘ばかりでなく比丘尼にも成仏の約束をしている。

釈迦の叔母である摩訶波闍波提(まかはじゃはだい)には一切衆生喜見仏、王宮時代の妻、耶輸(やしゅ)多羅女(たらにょ)には具足千万光相如来の記別をそれぞれ与えている。また蛇身の竜女が身を改めずして即身成仏し、舎利(しゃり)(ほつ)らの阿羅(あら)(かん)(注)を驚かせた。

日蓮は女性の本質について次のように説いている。

女人となる事は物に(したが)って物を随える身なり。『兄弟抄

女性はあらゆる社会の制約にしばられながら、信仰によって完全な自由を得られる。束縛されているように見えて「物を随える身」である。この自覚に立って妙法を唱えれば、自由自在の境涯をつかむことができる。女性にとって、これは法華経により盲目の目を開かれたようなものだった

日蓮の門下に(ごう)(しん)な女性が続出したのは自然の成りゆきだった。日妙をはじめとして妙法尼、桟敷(さじき)の尼、千日尼、日眼女など、日蓮自身が驚くほど強信の女性が輩出していった。

                        十、 弟子への薫陶につづく


上巻目次

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五障

女は、梵天(ぼんてん)(のう),帝釈天,魔王,転輪聖王,仏、にはなれないと言われてきた。竜樹の『大智度論』では五礙(ごげ)と称している。

阿羅漢(あらかん

)梵語arhanの音訳。一定の悟りを得、衆生から尊敬や供養を受けるにふさわしい僧の位。



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by johsei1129 | 2017-03-14 13:23 | 小説 日蓮の生涯 上 | Comments(0)


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