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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 10月 19日

一念三千に十門の義 【三重秘伝抄第一】

 三重秘伝抄           日寛謹んで記す

 開目抄上に曰く、一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘し沈めたまえり、竜樹・天親は知って而も未だ弘めたまわず、但我が天台智者のみ此れを(いだ)けり等云云。
 問うて云く、方便品の十如實相・寿量品の三妙合論(あに)一念三千経文の面に顕然(けんねん)なるに非ずや、宗祖何ぞ文底秘沈と言うや。
 答う、此れ則ち当流深秘の大事なり、故に文少なしと(いえど)も義意豊富なり。若し此の文を(あきら)むる(とき)は一代の聖教鏡に懸けて(くも)り無く、三時の弘経(たなごころ)に在りて覩るべし。故に先哲(なお)分明に之れを判ぜず、況んや予が如き頑愚(がんぐ)(いずく)んぞ之れを解るべけんや。然りと雖も今講次に(ちな)みて文に三段を分かち、義に十門を開き略して文旨を示さん。
 文に三段を分かつとは即ち標・釈・結なり。義に十門を開くとは、第一に一念三千の法門は聞き難きを示し、第二に文相の大旨を示し、第三に一念三千の数量を示し、第四に一念に三千を具する相貎を示し、第五に(ごん)(じつ)相対して一念三千を明かすことを示し、第六に本迹(ほんじゃく)相対して一念三千を明かすことを示し、第七に(しゅ)(だつ)相対して一念三千を明かすことを示し、第八に事理の一念三千を示し、第九に正像に未だ弘めざるの所以を示し、第十に末法流布の大白法なることを示すなり。

日享上人 註解

○一念三千法門とは、天台智者大師始めて法華経に依って述べられた法門で下の文に委しくす。

○天台智者とは支那の六朝末、陳と隋との世に在って南岳大師に継ぎて天台法華宗を大成した人、祖書の各篇に在るが委しくは高僧伝・別伝・仏祖統記等に見ゆる。

○十如実相とは、仏の窮め尽くされた方便品の十如是の理法は宇宙万法の実相であって衆生の妄想とは大いに異なるもの委しくは下の文に見ゆる。

○三名合論とは、本因妙・本果妙・本国土妙の三妙を合せて寿量品の上に説かれたもの、一代聖教とは、釈尊一代五十年の間に説かれた(ひい)

○三時弘経とは、釈尊御入滅後、正法千年・像法千年・末法千年の間に羅漢・菩薩・論師・人師次第に出現して機法相応の小大権実本迹等の聖教を述べて衆生を済度せられた、即ち正像末の三時に弘教するの次第順序である、委しくは諸御書に散在する。

○先哲とは、門内門外の古き学者達。

○頑愚とは、事理に通ぜざるカタクナナル、ヲロカモノで本師自らの卑下の御辞である。。

○講次に因んでとは、因とは態とではなく次はツイデである。開目抄を披いて文底秘沈の文を講ずるついでにと云ふのである。

○標釈結とは、(つう)()順序であは「文相よ。

○大白法とは、大とは小に対し白は黒に対す、猶小少劣に対する大多勝・悪邪麁に対する善正妙の如くである。

第一に一念三千の法門は聞き難きを示すとは に続く

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by johsei1129 | 2014-10-19 10:07 | 日寛上人 六巻抄 | Trackback | Comments(0)


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