日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 12月 25日

「大地の動ずる事は人の六根の動くによる」と説き、依(国土)正(人間)不二の原理を示した書【瑞相御書】

【瑞相御書(ずいそうごしょ)】
■出筆時期:建治元年(西暦1275年) 五十四歳 御作。
■出筆場所:身延山中 草庵にて。鎌倉武士で大聖人門下では最も信仰の厚かった信徒・四条金吾に宛てられた御書と思われる。
■出筆の経緯:本書で大聖人は「依報は影のごとし正報は体のごとし、身なくば影なし正報なくば依報なし。又正報をば依報をもつて此れをつくる」と説き、依(十方の国土)正(衆生=人間)不二の原理を示しとともに、正嘉・文永の大地震は末法に入つて法華経の肝要のひろまらせ給うべき大瑞であると断じている。
■ご真筆: 曽存:身延山(明治8年の火災で焼失)


[瑞相御書] 本文

夫れ天変は衆人をおどろかし地夭は諸人をうごかす。仏、法華経をとかんとし給う時、五瑞六瑞をげんじ給う。其の中に地動瑞と申すは大地六種に震動す。六種と申すは天台大師文句の三に釈して云く「東涌西没とは東方は青、肝を主どる。肝は眼を主どる西方は白、肺を主どる。肺は鼻を主どる。此れ眼根の功徳生じて鼻根の煩悩互に滅するを表するなり。鼻根の功徳生じて眼の中の煩悩互に滅す。余方の涌没して余根の生滅を表するも亦復」云云。妙楽大師之を承けて云く「表根と言うは眼鼻已に東西を表す。耳舌理として南北に対す。中央は心なり、四方は身なり、身四根を具す心遍く四を縁す。故に心を以て身に対して涌没を為す」云云。

 夫十方は依報なり、衆生は正報なり。譬へば依報は影のごとし、正報は体のごとし。身なくば影なし、正報なくば依報なし。又正報をば依報をもつて此れをつくる。眼根をば東方をもつて、これをつくる。舌は南方、鼻は西方、耳は北方、身は四方、心は中央等、これをもつてしんぬべし。かるがゆへに衆生の五根やぶれんとせば、四方中央をどろうべし。されば国土やぶれんとするしるしには、まづ山くづれ草木かれ江河つくるしるしあり。人の眼耳等驚そうすれば天変あり。人の心をうごかせば地動す。抑何の経経にか六種動これなき。一切経を仏とかせ給いしみなこれあり。しかれども仏法華経をとかせ給はんとて六種震動ありしかば、衆もことにおどろき、弥勒菩薩も疑い文殊師利菩薩もこたへしは、諸経よりも瑞も大に久しくありしかば、疑も大に決しがたかりしなり。故に妙楽の云く「何れの大乗経にか集衆・放光・雨花・動地あらざらん。但大疑を生ずること無し」等云云。此の釈の心はいかなる経経にも序は候へども、此れほど大なるはなしとなり。されば天台大師の云く「世人以蜘蛛掛れば喜び来り、かん鵲鳴けば行人至ると。小すら尚徴有り。大焉ぞ瑞無からん近きを以て遠きを表す」等云云。

夫一代四十余年が間なかりし大瑞を現じて、法華経の迹門をとかせ給いぬ。其の上本門と申すは又爾前の経経の瑞に迹門を対するよりも大なる大瑞なり。大宝塔の地よりをどりいでし地涌千界・大地よりならび出でし大震動は、大風の大海を吹けば大山のごとくなる。大波のあしのはのごとくなる小船のをひほにつくがごとくなりしなり。されば序品の瑞をば弥勒は文殊に問い、涌出品の大瑞をば慈氏は仏に問いたてまつる。これを妙楽釈して云く「迹事は浅近・文殊に寄すべし。久本は裁り難し故に唯仏に託す」云云。迹門のことは仏説き給はざりしかども、文殊ほぼこれをしれり。本門の事は妙徳すこしもはからず、此の大瑞は在世の事にて候。仏、神力品にいたつて十神力を現ず、此れは又さきの二瑞にはにるべくもなき神力なり。序品の放光は東方・万八千土、神力品の大放光は十方世界、序品の地動は但三千界。神力品の大地動は諸仏の世界、地皆六種に震動す。此の瑞も又又かくのごとし。此の神力品の大瑞は、仏の滅後正像二千年すぎて末法に入つて法華経の肝要のひろまらせ給うべき大瑞なり。経文に云く「仏の滅度の後に能く是の経を持つを以ての故に諸仏皆歓喜して無量の神力を現ず」等云云。又云く「悪世末法の時」等云云。

 疑つて云く、夫れ瑞は吉凶につけて或は一時・二時・或は一日・二日・或は一年・二年・或は七年・十二年か。如何ぞ二千余年已後の瑞あるべきや。答えて云く、周の昭王の瑞は一千十五年に始めてあえり。訖利季王の夢は二万二千年に始めてあいぬ。豈二千余年の事の前にあらはるるを疑うべきや。問うて云く在世よりも滅後の瑞、大なる如何。答えて云く、大地の動ずる事は人の六根の動くによる。人の六根の動きの大小によつて大地の六種も高下あり。爾前の経経には一切衆生、煩悩をやぶるやうなれども実にはやぶらず。今法華経は元品の無明をやぶるゆへに大動あり。末代は又在世よりも悪人多多なり。かるがゆへに在世の瑞にもすぐれてあるべきよしを示現し給う。疑つて云く、証文如何。答えて云く「而かも此の経は如来の現在にすら猶怨嫉多し、況や滅度の後をや」等云云。去る正嘉・文永の大地震・大天変は、天神七代・地神五代はさてをきぬ。人王九十代・二千余年が間・日本国にいまだなき天変地夭なり。人の悦び多多なれば天に吉瑞をあらはし地に帝釈の動あり。人の悪心盛なれば天に凶変地に凶夭出来す。瞋恚の大小に随いて天変の大小あり。地夭も又かくのごとし。今日本国・上一人より下万民にいたるまで大悪心の衆生充満せり。此の悪心の根本は日蓮によりて起れるところなり。守護国界経と申す経あり。法華経以後の経なり。阿闍世王・仏にまいりて云く我国に大早魃・大風・大水・飢饉・疫病・年年に起る上、他国より我が国をせむ。而るに仏の出現し給える国なり。いかんと問いまいらせ候しかば、仏答えて云く、善き哉・善き哉・大王能く此の問をなせり。汝には多くの逆罪あり。其の中に父を殺し提婆を師として我を害せしむ。この二罪大なる故かかる大難来ることかくのごとく無量なり。其の中に我が滅後に末法に入つて提婆がやうなる僧・国中に充満せば、正法の僧一人あるべし。彼の悪僧等・正法の人を流罪・死罪に行いて、王の后・乃至万民の女を犯して謗法者の種子の国に充満せば、国中に種種の大難をこり後には他国にせめらるべしと、とかれて候。今の世の念仏者かくのごとく候上、真言師等が大慢、提婆達多に百千万億倍すぎて候。真言宗の不思議あらあら申すべし。胎蔵界の八葉の九尊を画にかきて其の上にのぼりて、諸仏の御面をふみて潅頂と申す事を行うなり。父母の面をふみ天子の頂をふむがごとくなる者、国中に充満して上下の師となれり。いかでか国ほろびざるべき。此の事余が一大事の法門なり。又又申すべ。、さきにすこしかきて候。いたう人におほせあるべからず。びんごとの心ざし一度二度ならねば、いかにとも・・・(以下の文末は失われていて不明)。

[瑞相御書本文 ] 完。

by johsei1129 | 2014-12-25 14:48 | 四条金吾・日眼女 | Comments(0)


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