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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 09月 09日

法華経の行者を供養する功徳は釈迦仏を無量の宝を尽して供養せる功徳に勝れたりとあかした【新池御書】一

【新池御書(にいけごしょ】
■出筆時期:弘安三年二月(西暦1280年)、五十九歳御作 鎌倉幕府直参の武士、新池左衛門尉に与えられた。
■出筆場所:身延山 草庵にて。
■出筆の経緯:遠江国磐田郡(現、静岡県)に住まわれていた鎌倉幕府の武士新池左衛門尉に、法華経を持つ僧に供養する功徳を説くとともに、伝教大師の「法華経を讃すと雖も還つて法華の心を死(ころ)す」の文を引き、「法華の心に背きぬれば還つて釈尊・十方の諸仏を殺すに成りぬ」と諭し、「始より終りまで弥(いよいよ)信心をいたすべし」と法華経の信仰を生涯貫くよう励まされている。尚、新池左衛門尉は文永十一年に大聖人が身延へ入山されて間もなくのころ、大聖人に帰依している。
■ご真筆: 現存しない。

[新池御書 本文]その一

 うれしきかな末法流布に生れあへる我等、かなしきかな今度此の経を信ぜざる人人。抑(そもそも)人界に生を受くるもの誰か無常を免れん。さあらんに取つては何ぞ後世のつとめを・いたさざらんや。倩(つらつら)世間の体を観ずれば、人・皆口には此の経を信じ・手には経巻をにぎるといへども、経の心にそむく間・悪道を免れ難し。譬えば人に皆五臓あり。一臓も損ずれば其の臓より病出で来て余の臓を破り、終に命を失うが如し。爰を以て伝教大師は「法華経を讃すと雖も還つて法華の心を死(ころ)す」等云云。文の心は法華経を持ち読み奉り・讃むれども、法華の心に背きぬれば、還つて釈尊・十方の諸仏を殺すに成りぬと申す意なり。縦ひ世間の悪業衆罪は須弥(しゅみ)の如くなれども、此の経にあひ奉りぬれば諸罪は霜露の如くに法華経の日輪に値い奉りて消ゆべし。
 然れども此の経の十四謗法の中に、一も二も・をか(犯)しぬれば其の罪消えがたし。所以(ゆえん)は何(いか)ん。一大三千界のあらゆる有情を殺したりとも、争か一仏を殺す罪に及ばんや。法華の心に背きぬれば十方の仏の命を失ふ罪なり。此の・をきてに背くを謗法の者とは申すなり。
 地獄おそるべし・炎を以て家とす、餓鬼悲むべし・飢渇にうへて子を食らふ。修羅は闘諍なり。畜生は残害とて互ひに殺しあふ。紅蓮(ぐれん)地獄と申すはくれなゐのはちすとよむ。其の故は余りに寒につ(詰)められてこごむ間、せなか(背中)われて肉の出でたるが紅の蓮に似たるなり。況んや大紅蓮をや。かかる悪所にゆけば王位将軍も物ならず。獄卒の呵責(かしゃく)にあへる姿は猿をまはすに異ならず。此の時は争(いかで)か名聞名利・我慢偏執(がまんへんしゅう)有るべきや。

 思食(おぼしめ)すべし、法華経をしれる僧を不思議の志にて一度も供養しなば悪道に行くべからず。何に況んや十度・二十度乃至五年・十年・一期生の間供養せる功徳をば仏の智慧にても知りがたし。此の経の行者を一度供養する功徳は、釈迦仏を直ちに八十億劫が間・無量の宝を尽して供養せる功徳に百千万億勝れたりと仏は説かせ給いて候。此の経にあひ奉りぬれば悦び身に余り、左右の眼に涙浮びて釈尊の御恩報じ尽しがたし。かやうに此の山まで度度の御供養は、法華経並びに釈迦尊の御恩を報じ給うに成るべく候。弥(いよいよ)はげませ給うべし、懈(おこた)ることなかれ。皆人の此の経を信じ始むる時は信心有る様に見え候が、中程(なかほど)は信心もよはく、僧をも恭敬(くぎょう)せず、供養をもなさず、自慢して悪見をなす。これ恐るべし・恐るべし。始めより終りまで弥(いよいよ)信心をいたすべし。さなくして後悔やあらんずらん。譬えば鎌倉より京へは十二日の道なり。それを十一日余り歩みをはこびて・今一日に成りて歩みを・さしをきては、何として都の月をば詠(なが)め候べき。何としても此の経の心をしれる僧に近づき、弥(いよいよ)法の道理を聴聞して信心の歩みを運ぶべし。






by johsei1129 | 2014-09-09 00:25 | 弟子・信徒その他への消息 | Trackback | Comments(0)


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