日蓮大聖人『御書』解説

nichirengs.exblog.jp
ブログトップ
2014年 08月 30日

先師日蓮は末法の本仏であるとし、天台沙門を唱える五老僧の浅智を厳然と破折した書「五人所破抄」二

[五人所破抄 本文]その二

 又五人一同に云く、凡そ倭漢両朝の章疏を披いて本迹二門の元意を探るに、判教は玄文に尽き、弘通は残る所無し、何ぞ天台一宗の外に胸臆の異義を構えんや。拙いかな尊高の台嶺を褊して辺鄙の富山を崇み、明静の止観を閣いて仮字の消息を執す。誠に是れ愚癡を一身に招き耻辱を先師に及ぼす者なり、僻案の至りなり。甚だ以て然るべからず。若し聖人の製作と号し後代に伝えんと欲せば、宜く卑賤の倭言を改め漢字を用ゆべし云云。

 日興が云く、夫れ竜樹・天親は即ち四依の大士、円頓一実の中道を申ぶと雖も、而も権を以て面と為し実を隠して裏に用ゆ。天台伝教は亦五品の行位にして専ら本迹二門の不同を分ち、而も迹を弘め衆を救い本を残して末に譲りたまふ。内鑒は然りと雖も外は時宜に適うかの故に、或は知らざるの相を示し、或は知つて而も未だ闡揚せず。然るに今本迹両経共に天台の弘通と称するの条、経文に違背し解釈は拠を失う。所以は宝塔三箇の鳳詔に驚き勧持二万の勅答を挙げて、此土の弘経を申ぶと雖も迹化の菩薩に許さず。過八恒沙の競望を止めて不須汝等護持此経と示し、地涌千界の菩薩を召して如来一切所有の法を授く。迹化他方の極位すら尚劫数の塵点に暗し、止善男子の金言に豈幽微の実本を許さんや。本門五字の肝要は上行菩薩の付嘱なり。誰か胸臆なりと称せんや委細文の如し経を開いて見るべし。

 次に天台大師経文を消したまふに、「如来之を止むるに凡そ三義有り、汝等各各自ら己が住有り、若し此の土に住すれば彼の利益を廃せん。又他方は此土に結縁の事浅し、宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無からん。又若し之を許さば則ち下を召すことを得ず、下若し来らずんば迹も破することを得ず。遠も顕すことを得ず。是を三義と為す。如来之を止めて下方を召して来らしむるに亦三義有り。是れ我が弟子応に我が法を弘むべし。縁深厚なるを以て能く此土に遍して益し、分身の土に遍して益し、他方の土に遍して益し、又開近顕遠することを得。是の故に彼を止めて下を召すなり」文。又云く「爾時仏告上行の下、是れ第三に結要付嘱」と云云。伝教大師は本門を慕いて「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り、法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」文。又云く「代を語れば則ち像の終り末の初め地を原ぬれば則ち唐の東、羯の西、人を尋ぬれば則ち五濁の生、闘諍の時、経に云く猶多怨嫉況滅度後と、此の言良に以有るなり」云云。 加之記の八に大論を引いて云はく「法華は是れ秘密なれば諸の菩薩に付す」と。今の下文に下方を召すが如く尚本眷属を待つ、験けし余は未だ堪へざることを。輔正記に云く「付嘱を明せば、此の経をば唯下方涌出の菩薩に付す、何を以ての故に爾る、法是れ久成の法なるに由るが故に、久成の人に付す」と。論釈一に非ず繁を恐れて之を略す。  観音・薬王は既に迹化に居す、南岳・天台誰人の後身ぞや。正像過ぎて二千年、未だ上行の出現を聞かず。末法も亦二百余廻なれば本門流布の時節なり、何ぞ一部の総釈を以て猥に三時の弘経を難ぜんや。

 次に日本は惣名なり、亦本朝を扶桑国と云う。富士とは郡の号、即ち大日蓮華山と称す。爰に知んぬ、先師自然の名号と妙法蓮華の経題と山州共に相応す。弘通此の地に在りなり。遠く異朝の天台山を訪えば台星の所居なり大師彼の深洞を卜して迹門を建立す。近く我が国の大日山を尋ぬれば日天の能住なり、聖人此の高峰を撰んで本門を弘めんと欲す。閻浮第一の富山なればなり。五人争でか辺鄙と下さんや。
 
 次に上行菩薩は本極法身・微妙深遠にして寂光に居すと雖も、未了の者の為に事を以て理を顕す。地より涌出したまいて以来付を本門に承け、時を末法に待ち生を我朝に降し訓を仮字に示す。祖師の鑒機失無くんば、遺弟の改転定めて恐れ有らんか。此等の所勘に依つて浅智の仰信を致すのみ。抑梵漢の両字と扶桑の一点とは時に依り機に随つて互に優劣無しと雖も、倩上聖被下の善巧を思うに殆んど天竺震旦の方便に超えたり。何ぞ倭国の風俗を蔑如して必ずしも漢家の水露を崇重せん。但し西天の仏法東漸の時、既に梵音を飜じて倭漢に伝うるが如く、本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し。遠沾の飜訳は諍論に及ばず。雅意の改変は独り悲哀を懐く者なり。


[五人所破抄 本文]その三に続く

by johsei1129 | 2014-08-30 01:03 | 日興上人 | Comments(0)


<< 先師日蓮は末法の本仏であるとし...      先師日蓮は末法の本仏であるとし... >>