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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 12月 02日

先師日蓮は末法の本仏であるとし、天台沙門を唱える五老僧の浅智を厳然と破折した書「五人所破抄」一

【五人所破抄(ごにんしょはしょう)】
■出筆時期:嘉歴3年7月(西暦1328年)日興上人の命により、重須談所の二代目学頭職・日順が日興上人の命を受け草案を出筆、日興上人が裁可し完成した。
■出筆場所:富士 重須談所にて
■出筆の経緯:大聖人より総貫首として付属を受けた日興上人は、大聖人滅後「先師日蓮は法華の行者と為(し)て専ら仏果の直道を顕はし天台の余流」とし、自らを天台沙門と名乗る日昭、日朗、日向、日頂、日持の五老僧の浅智を破折、日蓮大聖人は末法の本仏であるとする日興門下の立義を明らかにするため、重須談所の学頭職に任じた日順に本書の出筆を命じ裁可した。
■ご真筆: 存在しない。時代写本:日代書写(北山本門寺蔵)、日時書写(大石寺蔵)

[五人所破抄 本文]その一

 夫(それ)以(おもんみ)れば諸仏懸遠(けんのん)の難きことは譬へを曇華(どんげ)に仮り、妙法値遇(ちぐう)の縁は比(たぐい)を浮木に類す。塵数三五の施化に猶漏れて・正像二千の弘経も稍(やや)過ぎ已んぬ。闘諍堅固の今は乗戒倶に緩(ゆる)く、人には弊悪の機のみ多し。何の依憑(たのも)しきこと有らんや。設い内外兼包の智は三祇(さんぎ)に積み、大小薫習(くんじゅう)の行は百劫を満つとも、時と機とを弁(わきま)へず、本と迹とに迷倒せば其れも亦信じ難からん。 爰(ここ)に先師聖人・親(まのあた)り大聖の付を受けて末法の主為(た)りと雖も、早く無常の相を表して円寂に帰入するの刻(きざみ)、五字紹継の為に六人の遺弟を定めたまふ。日昭・日朗・日興・日向・日頂・日持已上六人なり

 五人武家に捧ぐる状に云く未だ公家に奏せず

 天台の沙門日昭謹んで言上す。 先師日蓮は忝(かたじけな)くも法華の行者として専ら仏果の直道を顕はし、天台の余流を酌み・地慮の研精を尽す云云。又云く、日昭不肖の身為(み・た)りと雖も兵火永息の為・副将安全の為に法華の道場を構え、長日の勤行を致し奉る。已に冥冥(めいめい)の志有り。豈昭昭の感無からんや 詮を取る。
 天台沙門日朗謹んで言上す。 先師日蓮は如来の本意に任せ、先判の権経を閣(さしお)いて後判の実経を弘通せしむるに最要未だ上聞(じょうぶん)に達せず。愁欝(しゅううつ)を懐いて空しく多年の星霜を送り、玉を含みて寂に入るが如く逝去せしめ畢んぬ。然して日朗忝くも彼の一乗妙典を相伝して鎮(とこしなえ)に国家を祈り奉る 詮を取る。
 天台法華宗の沙門日向・日頂、謹んで言上す。 桓武聖代の古風を扇(あお)ぎ・伝教大師の余流を汲み、立正安国論に准じて法華一乗を崇められんことを請うの状。 右謹んで旧規を検(かんが)えたるに、祖師伝教大師が延暦年中に始めて叡山に登り法華宗を弘通したもう云云。 又云く法華の道場に擬して天長地久を祈り今に断絶すること無し 詮を取る。

 日興公家に奏し武家に訴えて云く。
 夫(それ)日蓮聖人は忝(かたじけな)くも上行菩薩の再誕にして本門弘経の大権なり。所謂大覚世尊・未来の時機を鑒(かんが)みたまい、世を三時に分ち・法を四依に付して以来、正法千年の内には迦葉・阿難等の聖者、先ず小を弘めて大を略し、竜樹・天親等の論師は次に小を破りて大を立つ。像法千年の間・異域には則ち陳隋両主の明時に智者は十師の邪義を破る。本朝には亦桓武天皇の聖代(せいだい)に伝教は六宗の僻論(びゃくろん)を改む。
 今末法に入つては上行出世の境・本門流布の時なり。正像已に過ぎぬ、何ぞ爾前迹門を以て強いて御帰依有る可けんや。就中(なかんずく)天台・伝教は像法の時に当つて演説し、日蓮聖人は末法の代を迎えて恢弘(かいこう)す。彼は薬王の後身、此れは上行の再誕なり。経文に載する所・解釈炳焉(へいえん)たる者なり。
 凡そ一代教籍(きょうしゃく)の濫觴(らんじょう)は法華の中道を説かんが為なり。三国伝持の流布は盍(いずくん)ぞ真実の本門を先とせざらんや。若し瓦礫(がりゃく)を貴んで珠玉を棄て、燭影を捧げて日光を哢(ろう)せば、只風俗の迷妄に趁(おもむ)いて世尊の化導を謗ずるに似るか。華の中に優曇(うどん)有り、木の中に栴檀有り、凡慮(ぼんりょ)・覃(およ)び難し。併(しかし)ながら冥鑑に任す云云。
 本と迹と既に水火を隔て、時と機と亦天地の如し。何ぞ地涌の菩薩を指して苟くも天台の末弟と称せんや。
 
 次に祈国の段、亦以て不審なり。所以は何ん。文永免許の古(いにしえ)先師・素意の分・既に以て顕はれ畢んぬ、何ぞ僣聖(せんしょう)道門の怨敵に交はり、坐して鎮(とこしなえ)に天長地久の御願を祈らんや。況んや三災弥(いよいよ)起り、一分も徴(しる)し無し。啻(ただ)に祖師の本懐に違するのみにあらず、還つて己身の面目を失うの謂(い)いか。

[五人所破抄 本文]その二に続く




by johsei1129 | 2019-12-02 21:46 | 日興上人 | Trackback | Comments(3)
Commented by Snowbell at 2016-09-11 01:30 x
はじめまして。管理人様に質問ですが。「懸遠」の意味が分かりません。ぜひご教示頂きたく存じます。同抄は現代文では使用されない難解な語句があり、辞書片手に解読した次第ですが「懸遠」は分かりませんでした。
Commented by johsei1129 at 2016-09-11 09:59
お問い合わせいただき、有難うございます。
懸遠は妙法蓮華経方便品の長行後半の偈「諸佛興出世 懸遠値遇難」に由来している語句です。
意味は懸遠が、かけ離れている、はるかにで、懸遠ではるかに遠いとなります。
仏が世に出現する事はるかに遠く、衆生が仏に会うことはまれでなかなか会い難いことを意味しております。
ちなみに日蓮正宗二十六世日寛上人の三重秘伝抄でもこの語句は使われておられます。
http://nichirengs.exblog.jp/23145475/
Commented by Snowbell at 2016-09-13 06:01 x
管理人様江。早速ご教示いただき恐縮に存じます。有難う御座いました。


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