2014年 08月 10日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 下】二十二

【二十八品は悉く南無妙法蓮華経の事】

一 涌出品

 御義口伝に云く、此の品は迹門流通の後・本門開顕の序分なり。故に先ず先ず本地無作の三身を顕さんが為に、釈尊所具の菩薩本化の弟子を召すなり。是れ又妙法の従地なれば十界の大地なり。妙法の涌出なれば十界皆涌出なり。十界妙法の菩薩なれば皆饒益有情界の慈悲深重の大士なり。蓮華の大地なれば十界の大地なり。蓮華の大地なれば十界涌出の菩薩本来清浄なり。所詮悟道に約する時は従地とは十界の衆生の大浮所生なり。涌出とは十界の衆生の出胎の相なり。菩薩とは十界の衆生本有の慈悲なり。此の菩薩に本法の妙法蓮華経を付属せんが為に従地涌出するなり。日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は従地涌出の菩薩なり、外に求むること無かれ云云。

一 寿量品

 御義口伝に云く、寿量品とは十界の衆生の本命なり。此の品を本門と云う事は本入門と云う事なり。凡夫の血肉の色心を本有と談ずるが故に本門とは云うなり。此の重に至らざるを始覚と云い迹門と云うなり。是を悟るを本覚と云い本門と云うなり。所謂南無妙法蓮華経は一切衆生の本有の在所なり。爰元を経に我実成仏已来とは云うなり。

 一 分別功徳品

 御義口伝に云く、此の品は上の品の時本地無作の三身如来の寿を聞く故に、今品にしては上の無作の三身を信解するなり。其の功徳を分別するなり。十界己己当体の三毒煩悩を此の品の時其の儘妙法蓮華経の功徳と分別するなり。其の功徳とは本有の南無妙法蓮華経是なり云云。

一 随喜功徳品

  御義口伝に云く、妙法の功徳を随喜する事を説くなり。五十展転とは五とは妙法の五字なり、十とは十界の衆生なり、展転とは一念三千なり。教相の時は第五十人の随喜の功徳を校量せり。五十人とは一切衆生の事なり。妙法の五十人、妙法の展転なるが故なり。所謂南無妙法蓮華経を展転するなり云云。

一 法師功徳品

 御義口伝に云く、無作の三身も如来の寿も分別功徳も随喜も、我が身の上の事なり。然らば父母所生の六根は清浄にして自在無碍なり。妙法の六根なれば十界三千の六根皆清浄なり。蓮華所具の六根なれば全く不浄に非ざるなり。此の六根にて南無妙法蓮華経と見聞覚知する時本来本有として六根清浄なり云云。

 一 不軽品

 御義口伝に云く、此の菩薩の礼拝の行とは一切衆生の事なり。自他一念の礼拝なり。父母果縛の肉身を妙法蓮華経と礼拝するなり。仏性も仏身も衆生の当体の色心なり。故に直ちに礼拝を行ずるなり。止観の第二云く、一切衆生の順逆十二因縁を以て二十四の尊像と釈し給うは此の故なり。皆当作仏の四字は南無妙法蓮華経の種子に依るなり云々。

 一 神力品

 御義口伝に云く、十種の神力を現じて上行菩薩に妙法蓮華経の五字を付属し給うなり。神力とは十界三千の衆生の神力なり。凡夫は体の神力、三世の諸仏は用の神力なり。神とは心法、力とは色法なり。力は法なり、神は妙なり。妙法の神力なれば十界悉く神力なり。蓮華の神力なれば十界清浄の神力なり。惣じて三世の諸仏の神力は此の品に尽くせり。釈尊出世の神力の本意も此の品の神力なり。所謂妙法蓮華経の神力なり。十界皆成と談ずるより外には諸仏の神力は之れ有る可からず。一切の法門神力に非ずと云う事なし云云。


[御義口伝 下 本文]その二十三に続く

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by johsei1129 | 2014-08-10 21:44 | 御義口伝 | Comments(0)


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