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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 11月 04日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】十一

[御義口伝 上 本文]その十一

宝塔品二十箇の大事】
 第一 宝塔の事  文句の八に云く「前仏已に居し、今仏並びに座す、当仏も亦然なり」と。

 御義口伝に云く、宝とは五陰(おん)なり。塔とは和合なり。五陰和合を以て宝塔と云うなり。此の五陰和合とは妙法の五字なりと見る、是を見とは云うなり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は見宝塔なり。

 第二 有七宝の事

 御義口伝に云く、七宝とは聞・信・戒・定(じょう)・進・捨・慙(ざん)なり。又云く頭上の七穴なり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉るは有七宝の行者なり云云。

 第三 四面皆出(しめんかいすい)の事

 文句の八に云く「四面出香(しめんすいこう)とは四諦の道風・四徳の香を吹くなり」と。
 御義口伝に云く、四面とは生老病死なり。四相を以て我等が一身の塔を荘厳するなり。我等が生老病死に南無妙法蓮華経と唱え奉るは併(しかしなが)ら四徳の香を吹くなり。南無とは楽波羅蜜、妙法とは我波羅蜜、蓮華とは浄波羅蜜、経とは常波羅蜜なり。

 第四 出(すい)大音声の事

 御義口伝に云く、我等衆生の朝夕吐く所の言語なり。大音声とは権教は小音声、法華経は大音声なり。廿八品は小音声、題目は大音声なり。惣じて大音声とは大は法界なり。法界の衆生の言語を妙法の音声と沙汰するを大音声とは云うなり。
 今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉るは大音声なり。又云く大とは空諦、音声とは仮諦なり、出とは中道なり云云。

 第五 見大宝塔 住在空中の事
 
 御義口伝に云く、見大宝塔とは我等が一身なり。住在空中とは我等衆生・終に滅に帰する事なり。
 今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉りて信心に住する処が住在空中なり。虚空会に住するなり。

 第六 国名宝浄 彼中有仏 号曰多宝の事

 御義口伝に云く、宝浄世界とは我等が母の胎内なり。有仏とは諸法実相の仏なり。爰を以て多宝仏と云うなり。
 胎内とは煩悩を云うなり。煩悩の淤泥(おでい)の中に真如の仏あり。我等衆生の事なり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉るを当体蓮華の仏と云うなり云云。

 第七 於十方国土 有説法華経処 我之塔廟 為聴是経故 涌現其前 為作証明 讃言善哉(さんごんぜんざい)の事

 御義口伝に云く、十方とは十界なり。法華経とは我等衆生・流転の十二因縁なり。仍(よっ)て言語の音声を指すなり。善哉とは善悪不二・邪正一如なり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る処を多宝涌現と云うなり。

 第八 南西北方 四惟(しゆい)上下の事

 御義口伝に云く、四方・四惟・上下合して十方なり。即ち十界なり。十界の衆生共に三毒の光之れ有り。是を白毫と云うなり。一心中道の智慧なり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉るは十界同時の光・指すなり。諸法実相の光明なるが故なり。

 第九 各齎宝華満掬(かくさい・ほうけ・まんきく)の事

 御義口伝に云く、宝華(ほうけ)とは合掌・一念三千の所表なり。各(かく)とは十界なり、満の一字を一念三千と心得可し。
 今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは仏に宝華を奉るなり。宝華即宝珠なり、宝珠即一念三千なり。合掌以敬心・欲聞具足道(よくもん・ぐそくどう)是なり云云。

 第十 如却関鑰(にょきゃっけんやく) 開大城門の事  補註(ふちゅう)の四に云く、此の開塔見仏は蓋(けだ)し所表有るなり。何となれば即ち開塔は即開権なり、見仏は即顕実なり。是れ亦前を証し復将(ま)さに後を起さんとするのみ。如却関鑰とは却(きゃく)は除なり。障除(さわり・のぞ)こり機動くことを表す。謂く法身(ほっしん)の大士、惑を破し・理を顕し・道を増し・生を損するなりと。

 御義口伝に云く、関鑰(けんやく)とは謗法なり・無明なり。開とは我等が成仏なり。大城門とは我等が色心の二法なり。大城とは色法なり、門とは口なり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る時、無明の惑障却(さ)けて己心の釈迦多宝・住するなり。
 関鑰とは無明なり、開とは法性なり。鑰(やく)とは妙の一字なり。天台の云く「秘密の奥蔵を発(ひ)らく、之を称して妙と為す」と。妙の一字を以て鑰と心得可きなり。
 此の経文は謗法不信の関鑰を却(さ)けて己心の仏を開くと云う事なり。開仏知見・之を思う可し云云。

 第十一 摂諸大衆 皆在虚空の事

 御義口伝に云く、大衆とは聴衆なり、皆在虚空とは我等が死の相なり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は生死即涅槃と開覚するを皆在虚空と説くなり、生死即涅槃と被摂(ひしょう)するなり。
 大地は色法なり、虚空は心法なり。色心不二と心得可きなり。虚空とは寂光土なり。
 又云く虚空とは蓮華なり。経とは大地なり、妙法は天なり、虚空とは中なり。一切衆生・仏菩薩、蓮華に座するなり。此れを妙法蓮華経と説かれたり。経に云く「若在(にゃくざい)仏前・蓮華化生(けしょう)」と。

 第十二 譬如大風 吹小樹枝の事

  御義口伝に云く、此の偈頌(じゅげ)の如清凉池と譬如大風と燃大炬火(ねんだいこか)とは三身なり。其の中に譬如大風とは題目の五字なり。吹小樹枝とは折伏門なり。今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは大風の吹くが如くなり。

  第十三 若有能持 則持仏身の事

 御義口伝に云く、法華経を持ち奉るとは我が身仏身と持つなり。則の一字は生仏不二なり。上の能持の持は凡夫なり。持つ体は妙法の五字なり。仏身を持つと云うは一一文文皆金色仏体の故なり。
 さて仏身を持つとは、我が身の外に仏無しと持つを云うなり。理即の凡夫と究竟即の仏と二無きなり。即の字は「即の故に初後不二」の故なり云云。

 第十四 此経難持の事

 御義口伝に云く、此の法華経を持つ者は難に遇(あ)わんと心得て持つなり。されば即為疾得(そくいしっとく)無上仏道の成仏は、今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る是なり云云。

 第十五 我則歓喜 諸仏亦然(しょぶつやくねん)の事

 御義口伝に云く、我とは心王なり、諸仏とは心数(しんじゅ)なり。法華経を持ち奉る時は心王心数同時に歓喜するなり。
 又云く我とは凡夫なり、諸仏とは三世諸仏なり。今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱えて歓喜する是なり云云。
 
 第十六 是名持戒(ぜみょうじかい)の事

 御義口伝に云く、此の経文にて三学倶伝(ぐでん)するなり。虚空不動戒・虚空不動定・虚空不動慧、三学倶(とも)に伝うるを名づけて妙法と曰うと。
 戒とは色法なり。定とは心法なり。慧とは色心二法の振舞なり。倶(ぐ)の字は南無妙法蓮華経の一念三千なり。伝とは末法万年を指すなり。
 今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉り、権教は無得道・法華経は真実と修行する、是は戒なり。防非止悪(ぼうひしあく)の義なり。持つ所の行者・決定無有疑(けつじょうむうぎ)の仏体と定む、是は定なり。三世の諸仏の智慧を一返の題目に受持する、是は慧なり。
 此の三学は皮肉骨・三身・三諦(さんたい)・三軌(さんき)・三智等なり。

 第十七 読持此経の事

 御義口伝に云く、五種の修行(注)の読誦と受持との二行なり。

 今、日蓮等の類い、南無妙法蓮華経と唱え奉るは読なり。此の経を持つは持なり。此経とは題目(妙法蓮華経)の五字なり云云。


 第十八  是真仏子の事
 

 御義口伝に云く、法華経の行者は真に釈迦法王の御子(みこ)なり。然る間王位を継ぐ可きなり。悉是吾子(しつぜごし)の子と是真仏子の子と能く能く心得(こころえ)合はす可きなり。今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は釈迦法王の御子なり。

 第十九 諸天人 世間之眼の事
 

 御義口伝に云く、世間とは日本国なり。眼とは仏知見なり。法華経は諸天世間の眼目なり。眼とは南無妙法蓮華経なり。是諸の天人世間の眼なり。

 又云く是諸仏の眼目云云。此の眼をくじる者は禅・念仏・真言宗等なり。

 眼目とは目聞(めきき)なり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉るは諸天世間の眼目に非ずや云云。

 第二十 能須臾説(のう・しゅゆせつ)の事
 

 御義口伝に云く、能の一字之を思う可し。説とは南無妙法蓮華経なり。今日蓮等の類いは能須臾説の行者なり云云。



[御義口伝 上 本文]その十二に続く


御義口伝 目次





by johsei1129 | 2019-11-04 15:49 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)


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