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日蓮大聖人『御書』解説

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2014年 07月 15日

末法の本仏の立場で法華経一部二十八品を直弟子日興上人に口伝した書【御義口伝 上】十

[御義口伝 上 本文]その十

法師品十五箇の大事】
 第一法師の事

 御義口伝に云く、法とは諸法なり、師とは諸法が直ちに師と成るなり、森羅三千の諸法が直ちに師と成り・弟子となるべきなり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は法師の中の大法師なり。
 諸法実相の開覚(かいかく)顕はれて見れば地獄の灯燃猛火(とうねんみょうか)・乃至仏果に至る迄・悉く具足して一念三千の法師なり。又云く法とは題目、師とは日蓮等の類いなり。

 第二 成就大願 愍衆生故(みんしゅじょうこ) 生於悪世 広演此経の事

  御義口伝に云く、大願とは法華弘通なり、愍衆生故とは日本国の一切衆生なり、生於悪世の人とは日蓮等の類いなり、広とは南閻浮提なり、此経とは題目なり。今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者なり。

 第三 如来所遣 行如来事の事

 御義口伝に云く、法華の行者は如来の使ひに来たれり。如来とは釈迦、如来事とは南無妙法蓮華経なり。如来とは十界三千の衆生の事なり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉るは真実の御使ひなり云云。

 第四 与如来共宿(よにょらいぐしゅく)の事

 御義口伝に云く、法華の行者は男女共に如来なり、煩悩即菩提生・死即涅槃なり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は与如来共宿の者なり。傅大士(ふだいし)の釈に云く「朝朝(ちょうちょう)・仏と共に起き、夕夕(せきせき)仏と共に臥(ふ)す。時時に成道し、時時に顕本す」と云云。

  第五 是法華経蔵 深固幽遠(じんこゆうおん) 無人能到の事

 御義口伝に云く、是法華経蔵とは題目なり、深固とは本門なり、幽遠とは迹門なり、無人能到とは謗法なり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は無人能到の者に非ざるなり云云。

 第六 聞法信受 随順不逆の事

 御義口伝に云く、聞とは名字即なり、法とは題目なり、信受とは受持なり、随順不逆とは本迹二門に随順するなり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者の事なり。

 第七 衣座室(えざしつ)の事

 御義口伝に云く、衣座室とは法報応の三身なり、空仮中の三諦、身口意の三業なり。今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は此の三軌を一念に成就するなり。
 衣とは柔和忍辱の衣、当著忍辱鎧(とうじゃくにんにくがい)是なり。
 座とは不惜身命の修行なれば空座に居するなり。
 室とは慈悲に住して弘むる故なり、母の子を思うが如くなり。豈一念に三軌を具足するに非ずや。

 第八 欲捨諸懈怠(けたい) 応当聴此経(おうとうちょうしきょう)の事

 御義口伝に云く、諸の懈怠とは四十余年の方便の経教なり。悉く皆懈怠の経なり。此経とは題目なり。
 今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉るは、是れ即ち精進なり。応当聴此経は是なり。応(まさ)に日蓮に此の経を聞くべしと云えり云云。

 第九 不聞法華経 去仏智甚遠の事

 御義口伝に云く、不聞とは謗法なり、成仏の智を遠ざかるべきなり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者は仏智開悟の者にして成仏の近き故なり。

  第十 若説此経時 有人悪口罵(うにん・あっくめ) 加刀杖瓦石(か・とうじょうがしゃく) 念仏故応忍の事

 御義口伝に云く、此経とは題目なり、悪口とは口業(くごう)なり、加刀杖は身業なり、此の身口の二業は意業より起るなり。今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は仏勅を念ずるが故に応忍とは云うなり。

 第十一 及清信士女 供養於法師の事

 御義口伝に云く、士女とは男女なり、法師とは日蓮等の類いなり、清信とは法華経に信心の者なり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者是なり云云。此れ諸天善神等・男女と顕れて法華経の行者を供養す可しと云う経文なり。

 第十二 若人欲加悪 刀杖及瓦石 則遣変化人(そっけんへんげにん) 為之作衛護(しいさ・えご)の事

 御義口伝に云く、変化人とは竜口守護の八幡大菩薩なり。今日蓮等の類い・南無妙法蓮華経と唱え奉る者を守護す可しと云う経文なり。

 第十三 若親近(にゃくしんごん)法師 速得(そくとく)菩薩道の事

 御義口伝に云く、親近とは信受の異名なり、法師とは日蓮等の類いなり、菩薩とは仏果を得る下地なり。今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者の事なり。

 第十四 随順是師学の事

 御義口伝に云く、是師とは日蓮等の類いなり、学とは南無妙法蓮華経なり、随順とは信受なり云云。師学と云う事は、師とは日蓮等の類い、学とは一念三千なり、師も学も共に法界三千の師学なり。

 第十五 得見恒沙仏(とっけん・ごうじゃぶつ)の事

 御義口伝に云く、見恒沙仏とは見宝塔と云う事なり。恒沙仏とは多宝の事なり。多宝の多とは法界なり、宝とは一念三千の開悟なり、法界を多宝仏と見るを見恒沙仏と云うなり。故に法師品の次に宝塔品は来るなり。解・行・証(げ・ぎょう・しょう)の法師の乗物は宝塔なり云云。
 今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは妙解・妙行・妙証の不思議の解・不思議の行・不思議の証得なり、真実一念三千の開悟なり云云。此の恒沙と云うは悪を滅し善を生ずる河なり。恒沙仏とは一一文文皆金色の仏体なり。見の字之を思う可し、仏見と云う事なり。随順とは仏知見なり、得見の見の字と見宝塔の見とは依正の二報なり。得見恒沙の見は正報なり、見宝塔の見は依報なり云云。

[御義口伝 上 本文]その十一に続く






by johsei1129 | 2014-07-15 22:08 | 御義口伝 | Trackback | Comments(0)


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