2019年 11月 04日
[御義口伝 上 本文]その二 御義口伝巻上 御義口伝巻上 日蓮所立 自序品至涌出品 【序品七箇の大事】 第一 如是我聞(にょぜがもん)の事 文句の一に云く「如是とは所聞の法体(ほったい)を挙ぐ。我聞とは能持の人なり」。記の一に云く「故に始と末と一経を所聞の体と為す」。 御義口伝に云く、所聞の聞は名字即なり、法体とは南無妙法蓮華経なり、能持とは能の字之を思う可し、次に記の一の「故始末一経」の釈は始とは序品なり、末とは普賢品なり、法体とは心と云う事なり、法とは諸法なり、諸法の心と云う事なり。諸法の心とは妙法蓮華経なり。伝教云く「法華経を讃むると雖も還つて法華の心を死(ころ)す」と、死の字に心を留めて之を案ず可し。不信の人は如是我聞の聞には非ず、法華経の行者は如是の体を聞く人と云う可きなり、爰を以て文句の一に云く「如是とは信順の辞なり。信は則ち所聞の理会し、順は則ち師資の道成ず」と。所詮日蓮等の類いを以て如是我聞の者と云う可きなり云云。 第二 阿若憍陳如(あにゃきょうじんにょ)の事 疏(しょ)の一に云く「憍陳如は姓なり此には火器と翻ず、婆羅門種なり。其の先・火に事(つ)こう、此れに従りて族に命(な)づく。火に二義有り、照なり・焼なり。照は則ち闇生ぜず、焼は則ち物生ぜず、此には不生を以て姓と為す」。 御義口伝に云く、火とは法性の智火なり。火の二義とは、一の照は随縁真如の智なり。一の焼は不変真如の理なり、照焼の二字は本迹二門なり。 さて火の能作としては照焼の二徳を具(そな)うる南無妙法蓮華経なり。今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは生死の闇を照らし晴して涅槃の智火明了なり。生死即涅槃と開覚するを照則闇不生とは云うなり。煩悩の薪を焼いて菩提の慧火現前するなり、煩悩即菩提と開覚するを焼則物不生とは云うなり。爰を以て之を案ずるに、陳如は我等法華経の行者の煩悩即菩提・生死即涅槃を顕はしたり云云。 第三 阿闍世王(あじゃせおう)の事 文句の一に云く「阿闍世王とは未生怨(みしょうおん)と名づく」又云く大経に云く「阿闍世とは未生怨と名づく」又云く、大経に云く「阿闍を不生と名づく、世とは怨と名づく」。 御義口伝に云く、日本国の一切衆生は阿闍世王なり。既に諸仏の父を殺し、法華経の母を害するなり。無量義経に云く「諸仏の国王と是の経の夫人と和合して共に是の菩薩の子を生む」。謗法の人・今は母の胎内に処しながら法華の怨敵たり、豈(あに)未生怨に非ずや。其の上・日本国当世は三類の強敵なり「世者名怨(せしゃみょうおん)」の四字に心を留めて之を案ず可し。日蓮等の類い此の重罪を脱れたり。謗法の人人法華経を信じ、釈尊に帰し奉らば何ぞ已前の殺父殺母の重罪滅せざらんや。但し父母なりとも法華経不信の者ならば殺害す可きか。其の故は権教の愛を成す母・方便真実を明らめざる父をば殺害す可しと見えたり。仍って文句の二に云く「観解(かんげ)は貪愛の母・無明の父・此れを害する故に逆と称す。逆即順なり。非道を行じて仏道に通達す」と。観解とは末法・当今は題目の観解なる可し。子として父母を殺害するは逆なり。然りと雖も法華経不信の父母を殺しては順となるなり。爰を以て逆即是順と釈せり。 今日蓮等の類いは阿闍世王なり。其の故は南無妙法蓮華経の剣を取つて貪愛(とんあい)・無明の父母を害して教主釈尊の如く・仏身を感得するなり、貪愛の母とは勧持品三類の中第一の俗衆なり、無明の父とは第二第三の僧なり云云。 第四 仏所護念の事 文句の三に云く「仏所護念とは、無量義処は是れ仏の証得し給う所。是の故に如来の護念し給う所なり。下の文に仏自(ぶつじ)住大乗と云えり。開示せんと欲すと雖も衆生の根(こん)・鈍なれば久しく斯(こ)の要を黙して務(いそぎ)て速かに説き給わず。故に護念と云う」記の三に云く「昔未だ説かず故に之を名けて護と為す。法に約し・機に約して皆護念する故に・乃至機仍(き・な)お未だ発せず・隠して説かず。故に護念と言う。乃至未説を以ての故に護し・未暢(みちょう)を以ての故に念ず。久黙と言うは昔より今に至るなり。斯要(しよう)等の意・之を思うて知る可し」。 御義口伝に云く、此の護念の体に於ては本迹二門・首題の五字なり。此の護念に於て七種の護念之れ有り。一には時に約し、二には機に約し、三には人に約し、四には本迹に約し、五には色心に約し、六には法体に約し、七には信心に約するなり云云。今日蓮等の類いは護念の体を弘むるなり。 一に時に約するとは、仏・法華経を四十余年の間・未だ時至らざるが故に護念し給うなり。 二に機に約するとは「法を破して信ぜざるが故に三悪道に堕つ」故に前四十余年の間に未だ之を説かざるなり、 三に人に約するとは、舎利弗に対して説かんが為なり、 四に本迹に約するとは、護を以て本と為し念を以て迹と為す、 五に色心に約するとは、護を以て色と為し念を以て心と為す、 六に法体に約するとは、法体とは本有常住なり、一切衆生の慈悲心是なり。 七に信心に約するとは、信心を以て護念の本と為すなり。 所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは併(しかしなが)ら護念の体を開くなり。護とは仏見なり。念とは仏知なり。此の知見の二字本迹両門なり。仏知を妙と云うなり。仏見を法と云うなり。此の知見の体を修行するを蓮華と云うなり、因果の体なり。因果の言語は経なり、加之(しかのみならず)法華経の行者をば三世の諸仏・護念し給うなり。普賢品に云く「一に者(は)諸仏に護念せらるること為(え)」と。護念とは妙法蓮華経なり。諸仏の法華経の行者を護念したもうは妙法蓮華経を護念したもうなり。機法一同・護念一体なり。記の三の釈に「法に約し、機に約して皆護念する故」と云うは此の意なり。 又文句の三に云く「仏所護念とは前の地動瑞を決定(けつじょう)するなり」地動は六番破惑を表するなり。妙法蓮華経を受持する者は六番破惑・疑い無きなり。神力品に云く「我が滅度の後に於て・応に斯の経を受持すべし。是の人仏道に於て決定(けつじょう)して疑ひ有ること無けん」仏自住大乗とは是なり。 又た一義に仏の衆生を護念したもう事は、護とは「唯我一人能為救護」念とは「毎自作是念」是なり。普賢品に至つて「一者為諸仏護念」と説くなり。日蓮は生年卅二より南無妙法蓮華経を護念するなり。 第五 下至阿鼻地獄の事 御義口伝に云く、十界皆成(かいじょう)の文なり。提婆が成仏、此の文にて分明(ふんみょう)なり。宝塔品の次に提婆が成仏を説く事は二箇の諌暁の分なり。提婆は此の文の時・成仏せり。此の至の字は白毫(びゃくごう)の行く事なり。白毫の光明は南無妙法蓮華経なり。上至阿迦尼咜天(じょうしあかにだてん)は空諦、下至阿鼻地獄は仮諦、白毫の光は中道なり。之に依つて十界同時の成仏なり。天王仏とは宝号を送るまでなり。 去(さ)て依正二報の成仏の時は、此の品の下至阿鼻地獄の文は依報の成仏を説き、提婆達多の天王如来は正報の成仏を説く。依報正報共に妙法の成仏なり。 今日蓮等の類い・聖霊を訪う時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱え奉る時、題目の光・無間に至りて即身成仏せしむ。廻向の文・此れより事起こるなり。法華不信の人は堕在無間なれども、題目の光を以て孝子・法華の行者として訪(とぶら)わんに、豈此の義に替わる可しや。されば下至阿鼻地獄の文は、仏・光を放ちて提婆を成仏せしめんが為なりと日蓮推知し奉るなり。 第六 導師何故(どうし・がこ)の事 疏(しょ)に云く「良(まこと)に以(おもん)みれば説法入定して能く人を導く。既に導師と称す」。 御義口伝に云く、此の導師は釈尊の御事なり。説法とは無量義経、入定とは無量義処三昧に入りたもう事なり。所詮導師に於て二あり。悪の導師・善の導師之れ有るなり。悪の導師とは法然・弘法・慈覚・智証等なり。善の導師とは天台・伝教等是なり。末法に入つては今日蓮等の類いは善の導師なり。説法とは南無妙法蓮華経。入定とは法華受持の決定心(けつじょうしん)に入る事なり。「能導於人(のうどうおにん)」の能の字に心を留めて之を案ず可し。涌出品の「唱導之師」と同じ事なり。所詮日本国の一切衆生を導かんが為に説法する人是なり云云。 第七 天鼓自然鳴(てんく・じねんみょう)の事 疏に云く「天鼓自然鳴は無問自説を表するなり」。 御義口伝に云く、此の文は此土(しど)他土の瑞・同じきことを頌(じゅ)して長出せり。無問自説とは釈迦如来・妙法蓮華経を無問自説し給うなり。 今日蓮等の類いは無問自説なり。念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊と喚(さけ)ぶ事は無問自説なり。三類の強敵・来たる事は此の故なり。 天鼓とは南無妙法蓮華経なり。自然(じねん)とは無障碍(むしょうげ)なり。鳴とは唱うる所の音声なり。 一義に一切衆生の語言音声を自在に出すは無問自説なり。自説とは獄卒の罪人を呵責する音(こえ)・餓鬼飢饉の音声等、一切衆生の貪瞋癡の三毒の念念等を自説とは云うなり。此の音声の体とは南無妙法蓮華経なり。 本迹両門・妙法蓮華経の五字は天鼓なり。天とは第一義天なり。自説とは自受用の説法なり。 記の三に云く「無問自説を表するとは方便の初めに三昧より起つて舎利弗に告げ、広く歎じ・略して歎ず。此土他土・言に寄せ・言を絶す。若は境、若は智、此れ乃(すなわ)ち一経の根本・五時の要津(ようしん)なり。此の事軽からず」と。此釈に一経の根源・五時の要津とは南無妙法蓮華経是なり云云。
by johsei1129
| 2019-11-04 11:54
| 御義口伝
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