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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 10月 26日

法華経は教主釈尊の師で一字一句も捨てる事は父母を殺す罪に過ぎると説いた書【兄弟抄】三

[兄弟抄] 本文 その三 

 今又日蓮が弟子檀那等は此(これ)にあたれり。法華経には「如来の現在にすら猶怨嫉多し。況んや滅度の後をや」又云く「一切世間怨(あだ)多くして信じ難し」
 涅槃経に云く「横(よこしま)に死殃(しおう)に羅(かか)り、訶嘖(かしゃく)・罵辱(めにく)・鞭杖(べんじょう)・閉繋(へいけい)・飢餓・困苦、是くの如き等の現世の軽報を受けて地獄に堕ちず」等云云。
 般泥洹(はつないおん)経に云く「衣服不足にして飲食麤疎(おんじき・そそ)なり。財を求めるに利あらず、貧賤の家及び邪見の家に生れ、或いは王難及び余の種種の人間の苦報に遭う。現世に軽く受くるは斯れ護法の功徳力に由る故なり」等云云。
 文の心は我等過去に正法を行じける者に・あだをなして・ありけるが、今かへりて信受すれば過去に人を障(ささえ)る罪にて未来に大地獄に堕つべきが、今生に正法を行ずる功徳・強盛なれば未来の大苦をまねぎこ(越)して少苦に値うなり。
 この経文に過去の誹謗によりて・やうやうの果報をうくるなかに、或は貧家に生れ・或は邪見の家に生れ・或は王難に値う等云云。この中に邪見の家と申すは誹謗正法の家なり、王難等と申すは悪王に生れあうなり。此の二つの大難は各各の身に当つて・をぼへつべし。過去の謗法の罪を滅せんとて・邪見の父母にせめられさせ給う。又法華経の行者をあだむ国主にあへり、経文明明たり経文赫赫(かくかく)たり。我身は過去に謗法の者なりける事・疑い給うことなかれ。此れを疑つて現世の軽苦忍びがたくて、慈父のせめに随いて存外に法華経をすつるよし・あるならば、我が身地獄に堕つるのみならず、悲母も慈父も大阿鼻地獄に堕ちて・ともにかなしまん事・疑いなかるべし。大道心と申すはこれなり。

 各各・随分に法華経を信ぜられつる・ゆへに、過去の重罪をせめいだし給いて候。たとへば・くろがねをよくよく・きたへば・きず(疵)のあらわるるがごとし。石はやけば・はいとなる、金(こがね)は・やけば真金となる。此の度こそ・まことの御信用は・あらわれて法華経の十羅刹も守護せさせ給うべきにて候らめ。雪山童子の前に現ぜし羅刹(らせつ)は帝釈なり、尸毘(しび)王のはと(鳩)は毘沙門天ぞかし。十羅刹・心み給わんがために父母の身に入らせ給いてせめ給うこともや・あるらん。それに・つけても・心あさからん事は後悔あるべし。又前車のくつがへ(覆)すは・後車のいましめぞかし。
 今の世には・なにとなくとも道心をこりぬべし。此の世のありさま・厭(いと)うとも・よも厭われじ。日本の人人定んで大苦に値いぬと見へて候、眼前の事ぞかし。文永九年二月の十一日にさかんなりし華の大風に・をるるが・ごとく、清絹(すずし)の大火に・やかるるが・ごとくなりしに、世をいとう人のいかでか・なかるらん。文永十一年の十月、ゆき・つしまのものども一時に死人となりし事は・いかに人の上とををぼすか。当時も・かの・うて(討手)に向かいたる人人のなげき、老いたる・をや(親)・をさなき子、わかき妻・めづらし(珍重)かりし・すみか(住宅)うちすてて、よしなき海をまほり、雲の・みうれば・はた(旗)かと疑い、つりぶねの・みゆれば兵船かと肝心(きもごころ)をけす。日に一二度・山えのぼり、夜に三四度・馬にくら(鞍)ををく、現身に修羅道をかんぜり。各各のせめられさせ給う事も・詮ずるところは国主の法華経の・かたきと・なれるゆへなり。国主のかたきとなる事は持斎等・念仏・真言師等が謗法より・をこれり。

 今度ねう(忍)しくらして法華経の御利生心みさせ給へ。日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり。いよいよ・をづる心ね・すがた・をはすべからず。定んで女人は心よはく・をはすれば、ごぜ(御前)たちは心ひるがへりてや・をはすらん。がうじやうに・はがみ(切歯)をしてたゆむ心なかれ。例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにて・うちふるまい・いゐしがごとく、すこしも・をづる心なかれ。わだ(和田)が子となりしもの、わかさのかみ(若狭守)が子となりし、将門・貞当(任・さだとう)が郎従等となりし者、仏になる道には・あらねども、はぢを・をもへば命をしまぬ習いなり。なにと・なくとも一度の死は一定(いちじょう)なり。いろ(色)ばし・あしくて人に・わらはれさせ給うなよ。

 あまりに・をぼつかなく候へば・大事のものがたり一つ申す、白ひ・叔せい(伯夷・叔斉)と申せし者は、胡竹(こちく)国の王の二人の太子なり。父の王・弟(おと)の叔せいに位をゆづり給いき。父し(死)して後・叔せい位につかざりき。白ひが云く、位につき給え。叔せいが云く、兄・位を継ぎ給え。白ひが云く、いかに親の遺言をばたがへ給うぞと申せしかば、親の遺言はさる事なれども・いかんが兄を・をきては位には即くべきと辞退せしかば、二人共に父母の国をすてて他国へわたりぬ。周の文王に・つかへしほどに文王・殷の紂王に打たれしかば、武王・百箇日が内に・いくさを・をこしき。白ひ叔せいは武王の馬の口に・とりつきて・いさめて云く、をや(親)のし(死)して後・三箇年が内にいくさを・をこすはあに不孝にあらずや。武王いかりて白ひ叔せいを打たんと・せしかば大公望せいして打たせざりき。
 二人は此の王をうとみて・すやう(首陽)と申す山にかくれゐて・わらび(蕨)を・をりて命を・つぎしかば、麻子(まし)と申す者ゆきあひて云く、いかに・これには・をはするぞ。二人・上件(かみ・くだん)の事をかたりしかば麻子が云く、さるにては・わらびは王の物にあらずや。二人せめられて爾の時より・わらびをくわず。天は賢人をすて給わぬならひなれば天・白鹿(はくろく)と現じて乳を・もつて二人をやしなひき。白鹿去つて後に叔せいが云く、此の白鹿の乳(ち)をのむだにも・うまし、まして肉をくわんと・いゐしかば、白ひ・せい(制)ししかども天これを・ききて来たらず。二人うへて死ににき。一生が間・賢なりし人も、一言に身をほろぼすにや。各各も御心の内はしらず候へば・をぼつかなし・をぼつかなし。

[兄弟抄] 本文 その四に続く




by johsei1129 | 2019-10-26 12:19 | 池上兄弟 | Trackback | Comments(0)


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