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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 09月 05日

唯一妙法蓮華経のみが女人も仏に成ることを明かした書【法華経題目抄】三

[法華経題目抄 本文] その三
 此くの如く諸経に嫌はれたりし女人を・文殊師利菩薩の妙の一字を説き給いしかば忽に仏になりき。あまりに不審なりし故に宝浄世界の多宝仏の第一の弟子・智積(ちしゃく)菩薩、釈迦如来の御弟子の智慧第一の舎利弗(しゃりほつ)尊者、四十余年の大小乗経の経文をもつて竜女の仏になるまじき由を難ぜしかども、終に叶はず仏になりにき。初成道の「能く仏の種子を断つ」雙林最後の「一切の江河必ず回曲有り」の文も破れぬ。銀色女経・並に大論の亀鏡も空しくなりぬ。智積・舎利弗は舌を巻きて口を閉ぢ、人天大会は歓喜せしあまりに掌(たなごころ)を合せたりき。是れ偏に妙の一字の徳なり。此の南閻浮提の内に二千五百の河あり・一一に皆まがれり。南閻浮提の女人の心のまがれるが如し。但し娑婆耶(しゃばや)と申す河あり。縄を引きはえたるが如くして直に西海に入る。法華経を信ずる女人亦復是くの如く、直に西方浄土へ入るべし、是れ妙の一字の徳なり。
 妙とは蘇生の義なり、蘇生と申すはよみがへる義なり。譬えば黄鵠(さい)の子・死せるに鶴の母・子安(しあん)となけば死せる子・還つて活(よみがえ)り、鴆鳥(ちんちょう)・水に入れば魚蚌(ぎょぼう)悉く死す。犀(さい)の角・これに・ふるれば死せる者皆よみがへるが如く、爾前の経経にて仏種をいりて死せる二乗・闡提(せんだい)・女人等、妙の一字を持ちぬれば・いれる仏種も還つて生ずるが如し。天台云く「闡提は心有り猶(なお)作仏すべし、二乗は智を滅す・心生ず可からず。法華能く治す、復称して妙と為す」と。妙楽云く「但大と云いて妙と名づけざるは一には有心は治し易く、無心は治し難し。治し難きを能く治す、所以(ゆえ)に妙と称す」等云云。
 此等の文の心は大方広仏華厳経・大集経・大品経・大涅槃経等は題目に大の字のみありて妙の字なし。但生(いけ)る者を治して死せる者をば治せず。法華経は死せる者をも治するが故に妙と云ふ釈なり。されば諸経にしては仏になる者も仏になるべからず。其の故は法華は仏になりがたき者すら尚仏になりぬ、なりやすき者は云ふにや及ぶと云う道理立ちぬれば、法華経をとかれて後は・諸経にをもむく一人もあるべからず。
 而るに正像二千年過ぎて末法に入つて当世の衆生の・成仏往生のとげがたき事は、在世の二乗闡提等にも百千万億倍すぎたる衆生の・観経等の四十余年の経経によりて生死をはなれんと思うは・はかなし・はかなし。女人は在世・正像末・総じて一切の諸仏の一切経の中に法華経を・はなれて仏になるべからず。
 霊山の聴衆・道場開悟(かいご)たる天台智者大師・定めて云く「他経は但男に記して女に記せず。今経は皆記す」等云云。釈迦如来・多宝仏・十方諸仏の御前にして摩竭提(まかだ)国・王舎城の艮(うしとら)・鷲(わし)の山と申す所にて八箇年の間・説き給いし法華経を智者大師まのあたり聞こしめしけるに、我五十余年の一代聖教を説きをく事は皆・衆生利益のためなり。但し其の中に四十二年の経経には女人・仏になるべからずと説きたまひしなり。今法華経にして女人仏に成ると・とくと・なのらせ給いしを仏滅後・一千五百余年に当つて鷲の山より東北・十万八千里の山海をへだてて摩訶尸那(まかしな)と申す国あり、震旦(しんたん)国是なり。此の国に仏の御使に出でさせ給ひ天台智者大師となのりて女人は法華経を・はなれて仏になるべからずと定めさせ給いぬ。
 尸那国より三千里をへだてて東方に国あり、日本国となづけたり。天台大師・御入滅・二百余年と申せしに此の国に生れて伝教大師となのらせ給いて秀句と申す書を造り給いしに「能化・所化倶(とも)に歴劫無し。妙法経の力にて即身に成仏す」と竜女が成仏を定め置き給いたり。而るに当世の女人は即身成仏こそ・かたからめ、往生極楽は法華を憑(たの)まば疑いなし。譬えば江河の大海に入るよりもたやすく、雨の空より落つるよりもはやくあるべき事なり。而るに日本国の一切の女人は南無妙法蓮華経とは唱へずして、女人の往生成仏をとげざる雙観・観経等によりて弥陀の名号を一日に六万遍・十万遍なんどとなうるは、仏の名号なれば巧(たくみ)なるには似たれども、女人不成仏・不往生の経によれるが故に・いたずらに他の財(たから)を数えたる女人なり。これひとえに悪知識にたぼらかされたるなり。されば日本国の一切の女人の御かたきは虎狼よりも・山賊海賊よりも・父母の敵・とわり(遊女)等よりも法華経をば・をしえずして念仏ををしゆるこそ一切の女人のかたきなれ。
 南無妙法蓮華経と一日に六万・十万・千万等も唱えて後に暇(ひま)あらば時時(よりより)阿弥陀等の諸仏の名号をも口ずさみ・なるやうに申し給はんこそ法華経を信ずる女人にては・あるべきに、当世の女人は一期の間・弥陀の名号をば・しきりに・となへ、念仏の仏事をば・ひまなくをこなひ、法華経をばつやつや唱へず・供養せず・或はわづかに法華経を持経者に・よますれども念仏者をば父母・兄弟なんどのやうに・をもひなし、持経者をば所従眷属よりもかろくをもへり。かくして・しかも法華経を信ずる由を・なのるなり。抑(そもそ)も浄徳夫人は二人の太子の出家を許して法華経をひろめさせ、竜女は「我大乗の教を闡(ひら)いて苦の衆生を度脱せん」とこそ誓ひしが、全く他経計りを行じて此の経を行ぜじとは誓はず。今の女人は偏(ひとえ)に他経を行じて法華経を行ずる方をしらず。とくとく心をひるがへすべし・心をひるがへすべし。南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経。
                                                  日蓮花押

文永三年丙寅正月六日 清澄寺に於いて未の時書し畢(おわ)んぬ。




by johsei1129 | 2019-09-05 22:54 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)


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