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日蓮大聖人『御書』解説

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2019年 09月 05日

唯一妙法蓮華経のみが女人も仏に成ることを明かした書【法華経題目抄】二

[法華経題目抄 本文] その二
 先ず妙法蓮華経の以前・四十余年の間の経の中に大方広仏華厳経と申す経まします。竜宮城には三本あり上本は十三世界微塵数の品・中本は四十九万八千八百偈・下本は十万偈四十八品、此の三本の外に震旦(しんたん)・日本には僅かに八十巻六十巻等あり。阿含・小乗経・方等・般若の諸大乗経等、大日経は梵本には阿嚩囉訶佉(あばらかきゃ)の五字計りを三千五百の偈をもつてむすべり。況(いわん)や余の諸尊の種子・尊形三摩耶(さんまや)・其の数をしらず。而るに漢土には但纔(ただわずか)に六巻七巻なり。涅槃経は雙林(そうりん)最後の説、漢土には但四十巻・是も梵本之れ多し。此等の諸経は皆釈迦如来の所説の法華経の眷属の修多羅(しゅたら)なり。此の外過去の七仏・千仏・遠遠劫の諸仏の所説・現在十方の諸仏の説経、皆法華経の経の一字の眷属なり。されば薬王品に仏・宿王華(しゅくおうけ)菩薩に対して云く「譬えば一切の川流江河の諸水の中に海為(こ)れ第一なるが如く、衆山の中に須弥山為れ第一。衆星の中に月天子最も為れ第一」等云云。妙楽大師の釈に云く「已今当説・最為第一」等云云。此の経の一字の中に十方法界の一切経を納めたり。譬えば如意宝珠の一切の財を納め、虚空の万象を含めるが如し。経の一字は一代に勝る故に妙法蓮華の四字も又八万法蔵に超過するなり。

 妙とは法華経に云く「方便の門を開いて真実の相を示す」。章安大師の釈に云く「秘密の奥蔵(おうぞう)を発(ひら)く、之を称して妙と為す」。妙楽大師・此の文を受けて云く「発とは開なり」等云云。妙と申す事は開と云う事なり。世間に財を積める蔵に鑰(かぎ)なければ開く事かたし。開かざれば蔵の内の財を見ず。華厳経は仏・説き給いたりしかども経を開く鑰をば仏・彼の経に説き給はず。阿含・方等・般若・観経等の四十余年の経経も仏説き給いたりしかども彼の経経の意をば開き給はず。門を閉じて・をかせ給いたりしかば、人・彼の経経をさとる者一人もなかりき。たとひ・さとれりと・をもひしも僻見(びゃっけん)にてありしなり。
 而るに仏・法華経を説かせ給いて諸経の蔵を開かせ給いき。此の時に四十余年の九界の衆生始めて諸経の蔵の内の財をば見しりたりしなり。譬えば大地の上に人畜・草木等あれども日月の光なければ眼ある人も人畜・草木の色形をしらず。日月・出で給いてこそ始めてこれをば知る事なれ。爾前の諸経は長夜の闇の如く、法華経の本迹二門は日月の如し。諸の菩薩の二目ある・二乗の眇目(すがめ)なる・凡夫の盲目(めくら)なる・闡提(せんだい)の生盲(いきめくら)なる・共に爾前の経経にてはいろかたちをば・わきまへずありし程に、法華経の時・迹門の月輪始めて出で給いし時・菩薩の両眼先にさとり、二乗の眇目次にさとり、凡夫の盲目次に開き、生盲の一闡提・未来に眼の開くべき縁を結ぶ。是れ偏に妙の一字の徳なり。

 迹門十四品の一妙・本門十四品の一妙・合せて二妙。迹門の十妙・本門の十妙合せて二十妙。迹門の三十妙・本門の三十妙合せて六十妙。迹門の四十妙・本門の四十妙・観心の四十妙合せて百二十重の妙なり。六万九千三百八十四字一一の字の下に一の妙あり。総じて六万九千三百八十四の妙あり。妙とは天竺には薩(さ)と云い・漢土には妙と云う。妙とは具の義なり、具とは円満の義なり。法華経の一一の文字・一字一字に余の六万九千三百八十四字を納めたり。譬えば大海の一滴の水に一切の河の水を納め、一の如意宝珠の芥子(けし)計りなるが・一切の如意宝珠の財を雨らすが如し。譬えば秋冬枯れたる草木の春夏の日に値うて枝葉・華菓・出来(しゅつたい)するが如し。爾前の秋冬の草木の如くなる九界の衆生・法華経の妙の一字の春夏の日輪にあひたてまつりて菩提心の華さき・成仏往生の菓(このみ)なる。
 竜樹菩薩の大論に云く「譬えば大薬師の能く毒を以て薬と為すが如し」云云。此の文は大論に法華経の妙の徳を釈する文なり。妙楽大師の釈に云く「治し難きを能く治す。所以(ゆえ)に妙と称す」等云云。総じて成仏往生のなりがたき者・四人あり。第一には決定性の二乗、第二には一闡提人、第三には空心の者、第四には謗法の者なり。此等を法華経にをいて仏になさせ給ふ故に法華経を妙とは云うなり。

 提婆達多は斛飯(こくぼん)王の第一の太子、浄飯(じょうぼん)王にはをひ、阿難尊者がこの(兄)かみ、教主釈尊にはいとこに当る。南閻浮提にかろからざる・人なり。須陀比丘を師として出家し、阿難尊者に十八変をならひ、外道の六万蔵・仏の八万蔵を胸にうかべ、五法を行じて殆(ほとん)ど仏よりも尊きけしきなり。両頭(りょうとう)を立てて破僧罪を犯さんために・象頭山(ぞうずせん)に戒壇を築き、仏弟子を招き取り、阿闍世太子をかたらいて云く、我は仏を殺して新仏となるべし、太子は父の王を殺して新王となり給へ。阿闍世太子・すでに父の王を殺せしかば提婆達多は又仏をうかがい、大石をもちて仏の御身より血をいだし、阿羅漢たる華色(けしき)比丘尼を打ちころし、五逆の内たる三逆をつぶさにつくる。其の上・瞿伽梨(くぎゃり)尊者を弟子とし、阿闍世王を檀那とたのみ、五天竺・十六の大国・五百の中国等の一逆・二逆・三逆等をつくれる者は皆提婆が一類にあらざる事これなし。譬えば大海の諸河をあつめ・大山の草木をあつめたるがごとし。智慧の者は舎利弗にあつまり、神通の者は目連にしたがひ、悪人は提婆に・かたらいしなり。
 されば厚さ十六万八千由旬・其の下に金剛の風輪ある大地すでにわれて生身に無間大城に堕ちにき。第一の弟子瞿伽梨も又生身に地獄に入る。旃遮婆羅門女(せんしゃばらもんにょ)も・おちにき。波瑠璃(はるり)王もをちぬ・善星比丘もおちぬ。又此等の人人の生身に堕ちしをば、五天竺・十六の大国・五百の中国・十千の小国の人人も皆これをみる。六欲・四禅・色・無色・梵王・帝釈・第六天の魔王も・閻魔法王等も皆御覧ありき。三千大千世界・十方法界の衆生も皆聞きしなり。
 されば大地・微塵劫はすぐとも無間大城を出づべからず。劫石(ごうしゃく)はひす(薄)らぐとも、阿鼻大城の苦は・つきじとこそ思い合いたりしに、法華経の提婆品にして教主釈尊の昔の師・天王如来と記し給う事こそ不思議にをぼゆれ。爾前の経経・実ならば法華経は大妄語、法華経実ならば爾前の諸経は大虚誑(こおう)罪なり。提婆が三逆を具(つぶさ)に犯して其の外・無量の重罪を作りしも天王如来となる。況(いわん)や二逆・一逆等の諸の悪人の得道・疑いなき事、譬えば大地をかへすに草木等のかへるがごとく、堅石をわる者・輭草(なんそう)をわるが如し。故に此の経をば妙と云ふ。
  女人をば内外典に是をそしり、三皇五帝の三墳五典に諂曲(てんごく)の者と定む。されば災(わざわい)は三女より起ると云へり。国の亡び人の損ずる源は女人を本とす。内典の中には初成道の大法たる華厳経には「女人は地獄の使なり。能く仏の種子を断つ。外面は菩薩に似て内心は夜叉(やしゃ)の如し」と云い、雙林(そうりん)最後の大涅槃経には「一切の江河必ず回曲(えこく)有り。一切の女人必ず諂曲(てんごく)有り」と。又云く「所有(あらゆる)三千界の男子の諸の煩悩・合集して一人の女人の業障と為る」等云云。大華厳経の文に「能く仏の種子を断つ」と説かれて候は女人は仏になるべき種子をい(焦)れり。
 譬えば大旱魃(かんばつ)の時・虚空の中に大雲をこり大雨を大地に下すに・かれたるが如くなる無量無辺の草木・花さき菓(このみ)なる。然りと雖(いえど)もい(焦)れる種はをひずして結句・雨しげければ・くちうするが如し。仏は大雲の如く・説教は大雨の如く・かれたるが如くなる草木を一切衆生に譬えたり。仏教の雨に潤い・五戒十善禅定等の功徳を修するは花さき菓なるが如し。雨・ふれどもいりたる種のをひずかへりて・くちうするは女人の仏教にあひて生死を・はなれずして、かへりて仏法を失ひ悪道に堕つるに譬ふべし。是を「能く仏の種子を断つ」とは申すなり。
 涅槃経の文に一切の江河のまがれるが如く、女人も又まがれりと説かれたるは、水はやわらかなる物なれば石・山なんどの・こわき物にさへられて水のさき・ひるむゆへに、あれへ・これへ行くなり。女人も亦是くの如く、女人の心をば水に譬えたり。心よわくして水の如くなり。道理と思う事も男のこわき心に値(あ)いぬれば・せ(塞)かれて・よしなき方へをもむく。又水にゑがくに・とどまらざるが如し。女人は不信を体とするゆへに只今さあるべしと見る事も又しばらくあれば・あらぬさまになるなり。仏と申すは正直を本とす・故にまがれる女人は仏になるべからず。五障三従と申して五つのさはり三つしたがふ事あり、されば銀色女経には「三世の諸仏の眼は大地に落つとも・女人は仏になるべからず」と説かれ、大論には「清風は・とると云えども女人の心はとりがたし」と云へり。

[法華経題目抄 本文] その三に続く




by johsei1129 | 2019-09-05 21:52 | 重要法門(十大部除く) | Trackback | Comments(0)


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